「失敗と書いてけいけんと読む」「努力する人は希望を語り,怠ける人は不満を語る」。大阪・北浜にある本社事務所のホワイトボードに,経営者の教訓などをしたためたポスターのようなものが貼られている。「成功してもさほど学ぶことはないけれど,失敗から学ぶことは実に多い。それに,いつも前を向き,チャレンジする気持ちを持ち続けていたい。これらの言葉は,まさに言い得ているんですよ」。中国・上海にソフトウェア・システム開発などを手がける「得基愛芙信息技術有限公司」を設立して4年,大阪の「株式会社エヌ・ジー・アイ・エフ」設立からは2年。松野誠さんは,大阪と上海を行き来する多忙な日々を送りながら,KCGで知り得たコンピュータの魅力と知識を,世界のビジネスの舞台で試そうとしている。
「レベルの低い大学に行くぐらいだったら,歴史のある専門学校で知識をみっちり身につけた方がいい。それにいずれ,コンピュータが社会の中心的な役割を担う時代が来るだろうとも考えていました」と,KCGの門をくぐったころを振り返る。ただ,コンピュータの知識どころか,パソコンに触れたこともほとんどなかったという松野さん。どうしても授業はサボりがちになり,「どの先生に聞いても,劣等生だったと言うでしょうね」と笑う。ただ,勉強が遅れないようにと,居残り授業に夜遅くまで付き合ってくれた先生がいたことを懐かしがり,今あらためて感謝しているという。
就職活動では数社から内定をもらいながらも,いずれも東京の会社だったため見送り,「慣れ親しんだ場所で仕事がしたい」という理由から最後に合格した大阪のソフトウェア会社に進路を決めた。
入社当初は金融や証券関係のシステム開発に取り組んだ。コンピュータを学んできた松野さんにとっては,もちろん未知の分野。「非常にシビアだったと印象に残っています。ただでさえ経験がモノをいう。分からなくて当たり前。変に分かったフリをすると,途端に立ち行かなくなる」。その後,さまざまなジャンルの仕事に臨んだが,このときの経験が礎になり,順調にスキルアップしていけたと自らを分析する。
入社して十数年。ある流通関係のシステム開発のため,50人以上のスタッフからなるジョイントの大型プロジェクトチームに参加することになった。その中には中国人技術者の姿も。「彼らに,それに中国という国に勢いを感じた」という松野さん。「中国と手を携えたビジネスを展開しない手はない」。コスト面や,日本への人材補充という観点からも,会社員でありながらにして中国での起業を決意。勤務する会社からも「メリットを享受できる」などの理由から反対する声はなく,付き合いのあったコンサルタント会社の協力も取り付けた。中国でも人材が豊富な上海に,会社を設立するまでには,それほど時間はかからなかった。
2004年9月,現地で信頼がおける技術者と事務員を確保。「得基愛芙信息技術有限公司(設立当時は得愛信息技術有限公司)」はいざ,現地での社員採用を始めた。しかしそこには大きな壁が待ち構えていた。
「5人採用」枠への応募者は何と300人。「ITは急成長する業界」「ITの中国における給与水準は,銀行に次いで2番目」などという口コミの噂に,「IT最先端の日本が出資する会社」という要素が加わった結果だった。「これは優秀な人材が確保できそうだ」と喜んだのも束の間。応募者が提出する大学の卒業証明書は,どう見ても怪しい。面接で職歴を確認すると,色よい答えが返ってくる。しかし問い詰めると,とても経験があるとは思われない。さらに人材の流動性が高い,そうなると品質が安定しない…。しかし試行錯誤を繰り返すうちに,それらに対処する秘訣も身につけた。中国に生産拠点を置く日系企業からの仕事が舞い込むようになり,実績も着実に積み重ねていった。
これらの実績が,思わぬ「種子」になっていた。駐在していた日系企業の社員が現地でのつとめを終えて日本の本社などに戻ると,松野さんの中国での実績を高く評価した彼らが「日本でも…」と仕事を依頼するようになったのだ。「このチャンスを活かさない手はない」。松野さんと同じ志を持つエンジニア3人が「ともに汗を流そう」と手を挙げた。まだ社員のままだった会社とも話をつけ,準備資金の確保に苦労しながらも,独立にこぎつけた。2006年9月だった。
社名をつける際,設立時のスタッフ4人がそれぞれ好きな単語を持ち寄ることに。「Neo, Global, Information, Future」。その頭文字をとって「エヌ・ジー・アイ・フ」。「直訳すると,あんまり意味をなさないんですよね」と松野さんは笑うが,「システム」などが付かず「コンピュータ会社らしくない社名」(松野さん)を,実は気に入っている。
エヌ・ジー・アイ・エフ社は現在社員10人。大阪では流通系,名古屋ではメーカーを相手に,社員が取引先に常駐する形で,システム開発を手がける。一方の得基愛芙信息技術有限公司は現在社員28人(うち日本人スタッフ3人)。「(男性より)物言いがはっきりして頑張り屋が多い」優秀な女性管理職を採用するなどして社内の体制整備を強化。対象業種を国際物流,販売に特化したことも功を奏して事業エリアも拡大を見せ,シンガポールやタイといった東南アジアでの仕事も獲得した。いずれも業績は順調に伸びているという。 ただ,松野さんは「2009年には,特に日本でIT不況が訪れるかもしれない」と気を引き締める。そんな中にあっても「攻め」の姿勢を貫き,チャレンジを続ける。
大阪の自宅では,両親と妻,娘2人が待つ。「趣味を兼ねたコミュニケーション」というテニスも,できるだけ時間をつくって出かけようと心に決めている。