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Accumu Vol.9

木版画「人間の位置」

木版画「人間の位置」

作者紹介

米田哲生さんは,表現意欲が人並みはずれて旺盛な人です。(いってみれば,他の欲望はそっちのけで)いつも,専ら「表現しようという意欲」をみなぎらせている,会うたびにそんな印象を強く受ける人です。個展の会場にあっては,一点一点その作品を前にして,その制作意図や表現技法をうまずたゆまず説明し,続けて,次にはどんな作品をどんな表現で制作したいと考えているかを,情熱をこめて語りつづけられる。いますぐにアトリエにとんでかえって制作にかかりたいといわんばかりに。寡聞にして,私は他にそんな人をしりません。

米田さんと話していると,一つ気付くことがあります。大きな声で雄弁に話しつつ,目の前で右手をじつによく動かされるのです。なにかを軽くつまむような,あるいは,目に見えぬものに(しかし私に見えぬだけで,米田さんには見えているのでしょう),一つ一つ,手指の先から水をふりかけていくような,そんなしぐさが加わるのです。それを見るたびに私は,この人は「言葉を使った表現者」というより,天性の「手を使う表現者」なんだな,と思わされます。

なぜ木版画か

われわれはふだん,眼を開きさえすれば,豊かで多様な世界をそっくり見てとることができると考えています。そして画家とは,われわれ皆が見てとっているものを,表現する技にたけた人であると考えています。しかし,これはほんとうでしょうか。じつは,「眼で見てとったものを,手が表現するのではない」*1のです。眼を開きさえすれば見えるものを,その次の段階として,手を使って表現する,というものではないのです。手の活動が加わって,はじめて,ものを「見ること」ができるのです。これは「描きながら見る」経験を考えてみれば,誰でも思い当ることでしょう。画家とは,この「手の活動を通して見る」技にすぐれた人のことです。

したがって,手の活動が具体的にどんなものか,鉛筆を使うのか,絵筆を使うのか,それとも彫刻刀を使うのかは,画家にとって大きな問題となります。一般に,彫刻の素材について,こんなことが言われます。柔らかい素材の方が,思い通りの表現がしやすいため,いいようだけれど,実はむしろ硬くて扱いにくい素材の方に優れた作品があると言われることがあるのです。このことは,彫刻に限らず,絵を描く道具についても言えるのではないかと思います。つまり彫刻刀にくらべて,鉛筆や絵筆はより扱いやすいものでしょう。より思い通りに,より素早く描ける道具は,便利なようですが,だからこそ不利な点をもちます。前記のごとく,手の活動が加わって,はじめてものを「見ること」ができるとすれば,簡単には思い通りにならないものだからこそ,いわば,「手の活動」の範囲が広がるのです。制作に時間がかかるということは,まさに手にひきずられて考える時間が増え,考えそのものが延びるのです。言葉をかえれば「見ること」がより深まるのです。いってみれば,彫刻刀の場合には,絵筆の場合以上に「手で見る」という性格が強まるといえるでしょう。米田さんの場合30年余にわたって,彫刻刀を使いつづけてこられました。

なぜ抽象画か

「輪郭によって外側から区切られた明瞭さ」に対し,「見ること」が本来かたちに見出すものは,「いわば内側から輝き出した明瞭さ」(山崎正和)であるといわれます。米田さんは高校生のころから,抽象画を描きだしたと聞きました。なぜ抽象画か。輪郭(アウトライン)を描くことの不毛さに気付いたからということです。米田さんには「遺伝子」と名づけたシリーズがあります。それは,地上にたった一つ現れた生命から,連綿と続いて現在に至る,この生命の連鎖をそっくり表現したい,その「生命のかたち」を表現したいという強い希望のあらわれでした。

米田さんの一番好きな絵は,有名な「鳥獣戯画」。あの絵のなかに現れる,ウサギ,カエル,シカなどの,生命力とユーモアあふれる表現こそ自分が目指すものだといわれます。あの動物たちを表わす線表現は,輪郭(アウトライン)の表現ではないのです。生命の躍動を表現している線なのです。

あるいはまた,米田さんからこんなことも聞きました。「崇高」こそ表現したいものですと。自然の中に確固とした輪郭(アウトライン)を持って存在すると思われているバラの花,そのバラの輪郭(アウトライン)を描いて「崇高」は表現できるだろうか。「崇高」という眼に見えないものを,見るためには,輪郭(アウトライン)を具体的に描くのではだめであって,まさに,「内側から輝き出す色」を,手を使ってつかむことが必要なのでしょう。抽象的な表現が求められるのです。

(牧野 澄夫)

*1.『近代の藝術論』(世界の名著・中央公論社)所収の山崎正和氏の解説による。

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米田 哲生
Tetsuo Yoneda
  • 1940年生まれ
  • 1962年京都市立美術大学(現京都市立芸術大学)日本画科卒業
  • 1964年同大学日本画専攻科卒業
  • 以来,抽象の木版画を続けて現在に至る
  • 1996年10月より1998年4月まで,日経新聞の「新東海道物語」シリーズに挿絵として木版画を掲載
  • 京都・平安画廊,大阪・画廊みやざき他で個展多数

上記の肩書・経歴等はアキューム9号発刊当時のものです。