豊岡を過ぎると日は暮れて,フロントガラスを叩く小雨がみぞれ雪になった。助手席に座る遥子は,いつものように楽しそうに話している。冬になって,松葉蟹を食べに行こうと意気投合して,二人でこうして車を走らせている。遥子はとても楽しそうに,蟹の甲羅で蟹味噌焼いて,酒の飛びきっていないのをふうふうして食べると美味しいのよね,なんて言っている。遥子の声を聞きながら車を走らせ,闇のなかに浮かび上がるセンターラインを見ていると,僕は昔のことを思い出す。
高校一年生のとき,僕は遥子に出会った。細身で声の大きな元気な少女というのが第一印象だった。僕は6人の不良どもとチームを組んでいて,遥子は,とびきりの美人ばかりの女軍団の一員だった。医者の娘で際立って派手だった遥子は,当時流行っていたディスコではいつも光り輝いていた。大学生がするようなことはすべてやってしまう,当時の京都の公立の高校の一時代を過ごして,卒業式で綺麗なドレスを着ていた遥子を見たのを最後に,僕は彼女のことを忘れていた。その後,浪人時代を経て,東京の大学に進学した年の夏,高校の同窓会で僕は遥子に再会した。一年早くに東京の医大に進学した彼女は,西麻布のくすんだレストランとか,横浜瑞穂埠頭のあやしげなバーとか,横田基地の近くの旧い喫茶店とか,すこし変わった所をたくさん教えてくれた。そして秋から僕たちは,東京でささやかなデートを重ねるようになった。夕食を共にするとか,コーヒーを飲みながら話す程度だったけれど,変わったスポットも探検しながら,高校の同窓生同士は,互いを東京での大事な友人だと確信していたのだと思う。
大学3年生のクリスマスに,彼女に誘われて鎌倉に行ったことがあった。そのときはたまたま,彼女に相手がいなかったからだった。僕にもそのときステディな相手がいなくて,偶然が一致した。夕暮れの海岸をドライブして,イタリア料理と赤ワインで乾杯しながら,僕は彼女に見とれていた。その後,横浜の山下埠頭で大きな船を見ながら,僕は寒さに震える彼女を抱き寄せようとしたけれど,さらりとかわされた。その一瞬の動作で,彼女にそんな気がないことを,僕は悟ったのだった。次の年,大学を卒業して僕は京都に帰り,働き始めた。そして京都で結婚し,娘を得た。医大生だった彼女は東京に残り,その後の人生を歩み始めた。そして,年に数回は連絡しあいながら,ときには仕事を頼み,あるいは頼まれたりしながら,気のいい友人関係がずっと続いている。
踏切りを渡るといよいよ城崎だ。小さな橋の手前で左折すると,城崎の温泉街になる。予約してあった旅館にチェックインして,風呂に行く。湯に浸りながら日常から解きほぐされていく自身を体感した後,部屋に戻って夕食を待つ。畳の匂いも新しい落ち着いた空間で,杉の床柱を背に座り込む。湯上りの遥子は浴衣姿が艶やかだけれど,いつものようにしゃべりつづけている。すこし経つと,遥子と同じくらい明るく気の利く仲居さんが次々と料理を運んでくる。口取りは鴨ロースに小海老,他には野菜がこじんまりと盛られている。薄味で京都人にはありがたい。椀物は牡蠣豆腐で,ふんわりさらりと喉の奥へ滑っていく。そして,小さな炭火で自分で焼く松葉蟹は,たっぷりとした甘味を口中に広げて,歯ごたえを感じさせる。いわゆるずわい蟹のうち,山陰の香住港付近で揚がる太った特別のものだけを,松葉蟹と呼ぶらしい。たしかに,街中で食べるずわい蟹とはまったく違う別物だ。京都であれ東京であれ,街中で食べる蟹は嫌味な臭いが強いのだが,それがただ単に新鮮でないからだということがよく解った。歯ごたえがあって,そしてやわらかく,たっぷりとした甘味と透き通った香りには全く濁りがない。香住港からその日に運ばれてくる松葉は,冬の日本海の潮風のようにさわやかで,大空のように広く懐深いのである。そして,その白い淡雪は芳醇に殻から溢れ出してくる。殻をほじくって食べるという感ではなく,殻から海の豊穣が湧き上がってくるというほうが正しい。さすがに遥子は口数が少なくなった。
地酒の熱燗を傾けて,僕は遥子を眺めながら海の宝に酔う。辛口の酒は海の豊満を口中に広げて,鼻へと昇り立つ。馥郁とした風雲に包まれて,僕は香住港の冬景色を想像した。鰤の塩焼きのあんかけにも,また打ちひしがれる。魚の美味さは,海の側でしか味わえない。天然ものの鰤やハマチは,一口噛むとその違いがわかる。それは,ただ,潮騒を感じるか否かということでもある。都会にいると,特に京都のような海から遠い街にいると,舌が鈍化して忘れてしまうのだけれど,こうして本場で本当の海を味わうと,ふつふつと泉出る喜びと幸せがある。そういうとき,人は海から生まれたに違いないと確信する。
海鮮ばかりかと思っていたら,石焼ステーキが出てきた。これがまた,驚くほど軽やかな地元の但馬牛だった。アメリカにしばらく住むと解るのだが,広い牧場でしかるべく育てた牛は,牧草の香りはしても,日本によくある牛肉のような配合飼料の臭いは無い。だからいつも,アメリカから帰国すると,日本の牛肉の臭みに辟易する。日本国内で配合飼料の臭みの無い牛肉は,松阪の和田金くらいしか知らなかったが,ここにもあった。一般に,フレンチのフルコースが魚から肉へと移ることからも明らかなように,牛肉の後に魚介類は臭いがきつくて食べられないのが普通だ。しかし,ここ城崎では,その既成概念を徹底的に打ち砕かれた。ステーキの後に蟹すきが出てきたのである。
ステーキを食べたら胃は重くなり,もうこれで十分という気になっていた。遥子も,もう駄目かも,と言っている。せっかくだからと,鍋の出汁が煮えてきた頃合を見て松葉を入れると,またほのかに海が香り立つ。熱いところを皿に取ると,殻から白い身が波立ち主張している。溢れ出る淡い雪を口に運ぶと,嗚呼,舌に金波銀波が打ち寄せ鼻腔に大空が充満して,全身が海と空に包まれるのだ。肉から魚介へと逆行したのだが,凛として透き通る海原は,面と広がる草原と完璧に調和した。焼き蟹よりもそれはもっとふくよかで,もっと淡く,壮大でありながら繊細だ。都会で知る蟹はまったくの別物だと五感で認識できるほどに,その味わいは雪のようにやさしく,香りは冬の海のように透き通っていて,鋭くこまやかに五臓六腑に語りかけてくる。噛み締めるほどに湧き出る潮騒は,そよそよと全身に行き渡るのだ。遥子はとうとう黙ってしまった。
港から遠い都会に輸送された蟹は,すでに海の息吹を失っていたのだった。港のそばでは,海の息吹が残るのだ。その愕然たる事実を体感して感動し,地酒に舌を洗っては,幾度も海の繊細と壮大を味わって漂った。そして,海に沈んでいくように,僕は酔っていった。蟹を食べつくした後に,仲居さんが軽く楽しい冗談を言いながら雑炊を作ってくれた。もう無理,入らないと二人で降参しようとしたのだが,一口味見してみると二人,剋目した。雑炊は,海苔の香りをかすかに残して,さらさらと水の如く舌の彼方に流れていく。歯に弾けて瞬間煌いて,はかなく消え去るのである。二人して阿とか吽とか言う間もなく,なんの重圧もなく,見事にさわやかな余韻だけを残して,風とともに去る。入るところが違うとかなんとか,巷間言われるようなものではなく,ただそよ風の如く,味雷をさわやかに愛撫するのみで通り過ぎて消えるのだ。何も言えない,何もない,胃にもこたえない,無味の深淵であった。言葉は無かった。
雑炊が終わって果物が出た頃には,僕は冬の日本海の潔さと浴衣姿の遥子にすっかり酔っていた。あの最後の柿を食べたのかどうか,今はもう覚えてはいない。僕は,遥子とともに海の豊穣と空の輝煌の間に,雲のように浮遊していた筈だった。長い年月を別々に歩んできた人と,僕は官能の深淵に沈んでいったのではなかったか。遥子の微笑みも声も,腕の中のどこかで響いていたように思う。ふくよかな白い身の柔肌は,遥子のそれであったのかどうか。僕は松葉を食べて征服しようとしたのだけれど,とても敵わず見事に包まれ果てた。同じように,僕はただ,遥子を腕の中に抱きしめようとした筈だけれど,あの横浜のときのように,遥子は微笑みの余韻を残して,融けていったように思う。僕は瞬間翻弄されたに過ぎなかったのだろうか。酩酊した記憶の彼方に遥子の笑い声が,遠く木霊したことだけは覚えている。
目覚めると日は高く,僕は二日酔いの頭痛に苛まれながら,テーブルの対面でコーヒーを飲む遥子を見ていた。遥子は,昨夜積もった窓の外の雪を見ていた。僕は遥子を見ながら,昨夜の夕食時の夢の続きを思い出せずにいた。みぞれは知らぬ間に雪に変わっていたのだった。
旅館を出て北に向かうと,寒風のなかに日本海が見えた。冬の波は,あちこちで白く高く立っている。風は潮の香りを全身に打ちつけて冷たく,空は青灰色に広がって深い。遥子はまたしゃべりだしていた。楽しそうに話す遥子の声を聞きながら,僕は遥子と重ねてきた日々に思いを馳せた。高校時代のあの頃,大学時代のあの頃,働き出して後,結婚して後,僕と遥子は時々会っては,相手の心と自分の心のはざまに何度もゆらゆら揺れ動いた筈だった。これからもまた,何度もそういうことがあるのだと思いたい。
冬の潮風に二人で吹かれて,僕は昔読んだ詩を思い出す。海にいるのは,あれは,波ばかりだけれど,海と空の関係は,もっと素敵な筈だ。遠い北海の空の下,波はところどころ白い歯を輝かせて微笑み空に語りかけ,空は時々風を吹かせて海の気を引くのだが,今目前では双方まだ遠いところにいる。でも,海と空は結局,もっと遠くに見える水平線で融合する筈だ。僕自身が若い頃よくそうしたような,瞬間岩に砕け散る荒波のような恋もあるけれど,目前に広がる海と空のような,ゆったりと広がる大きな愛もある筈だと,水平線を眺める遥子を見つめながら,今僕はそう,信じる。