情報処理学会の白鳥則郎会長が2010年10月,KCG京都駅前校を訪れ,KCGのコンピュータ遺産コレクションを見学,その後,実コンピュータ博物館実現に向けて抱負を語った。白鳥会長は「技術立国日本を継続していくためにも,技術の遺産を子どもたちに伝えていくコンピュータ博物館は絶対必要」と強調。「教育,観光と共生する存在になるよう学会とKCGがしっかりと手を携え,知恵を絞りながら関係機関に働き掛けていきたい」と述べた。
白鳥 予想以上にコンピュータ関連の古いものが保存されていて,懐かしく感じたのと同時に,大変驚いています。これまでに国内でNTTの研究所 やNEC,富士通などの施設を見学しましたが,KCGはスケール,種類はもちろん,保存・展示状態が素晴らしい。私個人としても,情報処理学会と しても,今後の保存に対してお役に立ちたいと強く感じました。
情報処理学会は2001年度,ウェブ上に「コンピュータ博物館」を構築しました。そこにはこれまで,かなりアクセスはありますが,KCGの展示を見て,やはり実物を見ると印象深さが違うと,しみじみ痛感しました。
白鳥 いまちょうど日本のコンピュータの開発に携わり,技術の礎を築いた人たちが高齢となってしまわれています。
資源のないわが国にとって,「技術立国日本」を継続していくためには,ICTが重要な位置を占めます。そのICTの基盤となるのは何といってもコンピュータ。われわれは,その技術を子どもたちに伝えながら,日本の将来を背負っていくような人材を育てる準備をしていかなければならない。情報処理学会の中で,その議論を繰り返しました。
歴史的な技術遺産は,このままほうっておいたら無くなるばかり。それを食い止めるための方策として,まずすぐできることは「情報処理技術遺産」と「分散コンピュータ博物館」の認定制度を設けること。社会に,一般の方々にコンピュータ技術を残す意義・重要性を認識していただき喚起したかったのです。まずは保存から始めようということで,情報処理学会の意見がまとまりました。
KCGのコレクションを見てあらためて痛感したのが,以前のコンピュータは非常に大きかったのだということ。それがパーソナルコンピュータになり,最近ではiPadといった,より小型で高性能のものが出てきました。それは技術の進歩をそのまま表現しているといえるでしょう。それらの比較をすることで,子どもたちは驚きを感じるのではないでしょうか。スピードの進歩ももちろんありますが,やはりこれだけ大きさが変化したということは,ときめき,夢にもつながると思います。
白鳥 情報処理学会としても政府の関係省庁に何度か提案書を出すなどコンピュータ博物館実現に向けて働き掛けているのですが,なかなか前向きの答えを得られていません。それもあって,先にウェブページをつくったというのも事実です。
文化や技術の歴史を残すということは大切です。昔,ヨーロッパの芸術家らにはスポンサーがいて生活を保障され,自分の好きな音楽,絵に専念できました。そのため質の高い作品ができ,文化が花開いたといえるでしょう。技術の面で言うと,米国では「アメリカンドリーム」を得た人物が寄付するという動きが活発でした。周囲から称賛されると,それを社会にも役立てようという意識が強いのでしょう。しかし日本は悪い意味での「平等主義」があり,成功すると妬まれるという文化が存在します。ですから日本では,ビル・ゲイツのような大富豪・篤志家はなかなか現れない。日本人にそのような文化・意識が無いのなら,国・地方自治体がやるべきなのだが,なかなか腰が重い。そうなると民間しかないことになりますが,その中にあってKCGのアクティビティは非常に貴重であり,興味深く注視しています。これをタネにして大きくし,啓蒙することによってほかの地域にも飛び火してくれればいいと願います。中核になりえるのは今,KCGしかありません。ここをモノにして,各地域に小さいながらもタネが芽を出してくれればと思うばかりです。私はそのようになるために少しでもお役に立ちたい。
白鳥 行政は長期的なテーマを考えない。数年で担当者が変わってしまうことも理由にあるのかもしれませんね。
民主党政権の目玉事業である事業仕分けで「なぜ二番じゃダメなのですか」という言葉も聞かれました。私はそれを聞いてがっかりしました。一番だと「標準」になり,世界にマーケットが広がる。「二番」だと標準にならないのはもちろん,国内でも相手にされなくなるのですよ。
白鳥 世界でもそうですが,日本の大学はコンピュータ関連の人気が低い。私が学生だった30~40年前は,建築と並んで非常に人気が高い分野だったのに,残念なことに今では下位に甘んじています。パソコンだけでなく携帯電話やiPadなどが身近になりすぎ,空気のような存在になってしまって,子どもたちがコンピュータに対して夢やときめきが起こらなくなってしまったのでしょうか。
そのような状況を少しでも改善しようと,情報処理学会ではいろんな工夫をしています。コンピュータ将棋がプロ棋士に挑戦するのもひとつ。いまの理科離れを改善して,コンピュータにもときめきがあるのだと,子どもたちや一般の方々にも伝えたい。これは情報処理学会誕生50周年記念行事のひとつで,楽しみにしています。私は95%,コンピュータが勝つと予想しています。(2010年10月11日に東京大学本郷校舎で行われた対局では,情報処理学会のコンピュータ将棋システム「あから2010」が,清水市代女流王将を破った。コンピュータ将棋システムが公式の場でプロ棋士を破ったのは初めて)
白鳥 今は経済状態が非常に悪い。学会にもその影響が及んでいるのも事実です。そんな中にあって,コンピュータ博物館実現に向けた学会メンバーの志は高い。くじけずに前進していきたいと思っています。手だて,知恵を巡らせ,KCGと学会が連携していくのはもちろん,積極的にみなさんからアイデアを出していただきたいと願っています。いろんな可能性を求め,探っていきたい。
白鳥 進歩はモノを見えなくさせます。最近の学生はコンピュータの原理を知らないのですよ。私の時代はアセンブリ言語,いわゆる機械言語でプログラミングをしました。そうすることによってコンピュータの原理も理解できた。しかしコンピュータが進歩して,最近の学生たちは言語・FORTRAN などを使いながら,コンピュータをマスターしたと思ってしまうのですが,それは勘違い。FORTRAN とコンピュータの原理は全く別のものですから。それらを修正するためにも,古いコンピュータは貴重な教材になります。なかなか稼働させるのは難しいかもしれないが,実物があれば貴重です。
日本の古いコンピュータが今,アメリカなどで保存されているケースもあります。NEC200-22 03 はコンピュータヒストリーミュージアムにあると聞 きます。自国のものはせめて自国で保存し,技術の発展や子どもたちの好奇心喚起に役立てたいと思うのですが。
コンピュータ博物館の在り方を考えるとき,最初に「ミュージアム」ができたころの目的を思い出さなければならないと思います。ミュージアムとは,単に展示する施設なのではなく,教育,それに観光と強く結びついた存在であるべきです。とりわけKCGは京都にある。アドバンテージがあり,この地に博物館をつくる環境は十分にそろっている。
博物館実現に向けては,全国各地とうまくリンクして「共生」しながら,自分と相手の調和に価値を置く考え方を大事にしたいと考えています。子どもたちの教育に十分生かすことができる施設の誕生,それが私の夢です。