初代学院長はコンピュータの出現に,新時代の到来を予見された。コンピュータは,単に「省力化」の道具ではなくて,「人間のもつポテンシャルの開拓・開発」に貢献する,という画期的な性格をもつ機械である。コンピュータは,真に「人間と共生し,よきパートナーとなりうる」機械である。その意味で,初代学院長は,いつでもコンピュータに最大限の賛辞を惜しまれなかった。
同時に先生は,機械としてのコンピュータすなわちハードウェア以上に,はるかに,利用技術としてのソフトウェアが重要となる点で,情報処理技術は人間の活動全体に似ていること,その意味で,20世紀まで続いてきた,ハードウェア優先の伝統的な技術観を,根底から覆すものであることを看取された。まさに,新しい時代を拓く,新しい技術の到来である。
当時はしかし,この技術はごく少数の専門家に関わるものと一般に考えられていた。これに対し,「この画期的な情報処理技術には将来大量の技術者が必要となる」という先見の明をもって,初代学院長は若者,特に,受験勉強に汚染されることの少ない若者の教育を考えられた。彼らには,新しい時代に生きてゆく上で,この技術こそ学ぶべき第一のものではないか。これが初代学院長の教育の基本理念となった。
情報処理技術はとどまるところを知らず,前進を続けている中,専門学校として,いや専門学校だからこそ,技術の進歩に即応した柔軟なカリキュラムが可能であった。何を学生たちに教授すべきかについて,大学院の博士課程等で最新の研究を行っていた若手研究者たちとの議論を楽しんで,時の過ぎるのを忘れておられた。
他方で,先生は大型コンピュータの導入に強い意欲を持ち続けられた。パソコン時代の現在では考えられないような非常に高額な大型コンピュータを,純粋に学生の実習用として設置したのは,全国に類を見ないものであった。
情報処理技術の学習は,コンピュータ実習によって,遂行される。ただしそれは「実習」という名の操作訓練ではない。また,予想される結果を検証するための「実験」でもないだろう。そうではなくて,まさにコンピュータ実習とは,学習者が,コンピュータというハードウェアとともに,新しいソフトウェアを作り出す,すなわち人間が機械をパートナーとして,ともに学ぶプロセスでなければならないのだ。これこそ新しい時代の新しい勉強である。
情報処理技術の進歩とその拡大を考えたなら,学ぶべきこと,教授すべきことはどこまでも広がってゆくといえた。情報技術の進歩を考えると,専門学校卒業後,さらに学ぶことができる場所が必要であった。しかし当時は,専門学校卒業生がさらに高度な勉強をしたいと思っても,大学や大学院へ編入学する道は開かれていなかった。さらに,情報処理技術という教育の中味を考えれば,従来の高等教育機関ではない,新しいタイプの高等教育機関が必要であった。
「他にもあるような学校なら,なにも僕がやる必要はない」が口癖であった先生の中で,旧来型ではない,全く新しいタイプの大学創設の夢が,徐々に育ってゆく。しかし,その夢の実現の道半ばにして,1986年7月2日,先生は病に倒れ鬼籍に入られることとなった。享年56歳であった。
2003年,専門職大学院という新制度が施行された。旧来の研究大学院とは一線を画する,プロフェッショナル・スクールの誕生である。それは,初代学院長の志を継いで,その夢の実現をめざす者にとって,千載一遇の好機であった。初代学院長の教育理念に淵源する,京都コンピュータ学院の41年にわたるコンピュータ・情報教育の伝統は,今,新しい果実を結ぶ期を迎えたのである。
そして,2004年1月30日,専門職大学院「京都情報大学院大学」が文部科学省より認可を受けた。専門職大学院という新制度のもと,IT専門職大学院として,日本最初にして唯一のものである。
先生は,クラシックの音楽にも強い愛着をもっておられた。愛好された曲の一つに,ブラームスの「大学祝典序曲」がある。これは,ブラームス46歳の年,ブレスラウの大学から名誉博士号を授与された返礼として,書き上げた管弦楽曲である。中に使われている学生歌「我々は立派な校舎を建てた」,「新入生の歌」,「さあ青春を謳歌しよう」…。まさに新しい大学の開学にぴったりの音楽である。先生は大学創設の夢に重ね合わせて,この曲を愛好されていたのであろう。
毎年京都コンピュータ学院の入学式には,初代学院長をしのんで,「大学祝典序曲」が流れる。
本年4月,京都情報大学院大学の記念すべき第一期生の入学式においても,初代学院長の遺影が掲げられた壇上から,「大学祝典序曲」の演奏が流れた。