2004年9月4日から10月13日までアフリカ・モザンビーク共和国にICT専門家としてJICA(国際協力機構)より派遣された。モザンビーク国は政策としてICTをより進め,ICTの力により同国の産業発展を促し成功させようとしている。それには人材育成がキーとなり,このプロジェクトのひとつとしてモザンビークICT学院の設立がある。私はその学校(Mozambique ICT Institute:MICTIと呼ぶ)のICTに関するカリキュラムの作成を任された。これが私のミッションである。
モザンビーク国はアフリカの中でも最貧国のひとつで,国民の約80%が1日1ドルで生活するというレベルである。人口はおよそ1800万人,そのうち20%が首都のマプトに住む。しかしマプトは隣国に南アフリカ共和国を控え,物資や生活水準も地方とは格段に違う。私はこのマプトに5週間滞在し,依頼主であるMICTIのスタッフとともにカリキュラム作成に没入した。主な仕事場は唯一の国立大学であるエドワルド・モンドラネ大学の構内にある小さな事務所だ。私をサポートしてくれるスタッフが2人,そしてあと数名がMICTIの立ち上げに尽力している。MICTIは実は学校としての体裁である校舎はまだ存在せず,前述の国立大学の一室を間借りし,学校を作ること以外の活動,例えばICTの重要性を地方に教示することや,スポンサー探しも含めた学会活動を行っている。エドワルド・モンドラネ大学の副学長がMICTIの実質的指導者で,政府に対し,モザンビーク国のICT戦略のプロポーザルを提示した人物である。名前はマシンゲ氏。この原稿を執筆している時点で同国の科学技術大臣に就任されたと聞いている。
カリキュラム設計にあたり,マシンゲ氏から指示のあったことは,ICTの有用性をアピールし,より大勢の人が学びに来るよう,既存の概念にとらわれない発想で学校を作り,またMICTIを卒業するとこのような技術を習得できるといった,具体的なプロジェクトを提示するようにとのことであった。プロジェクトを遂行しながら学んでいくという方法はプロジェクトベース・トレーニング(PBT)といい,実践的な学習をすることで成果が期待できる。私が考案したプロジェクトは3つあり,ネットワーク管理・設計者になるための技術を学ぶプロジェクト,インターネットを用い,地方の農村と都市部の市場での農作物の流通を活発化させるためのサイトの構築プロジェクト(図1),そしてマルチメディアを用いた学習教材の開発プロジェクトである。
マシンゲ氏はこのMICTIプロジェクトを進めるにあたり,ICT先進国である日本の産業と教育の現状を視察に来られた。その際に京都コンピュータ学院を視察され,その教育理念に大変感銘を受け,また学院の実践的教育手法が同氏の考えと一致したこともあり,同氏の帰国後JICAを通して京都コンピュータ学院に対してスタッフの派遣要請があったというのが,今回私がモザンビークに赴くことになったいきさつである。
さて,カリキュラム作成にあたってはまずモザンビークの現状を知る必要があり,国立エドワルド・モンドラネ大学におけるICT教育の現状を視察した。私が視察した範囲は限られるが,ICT教育は必ずしも充実しているとは言いがたい。とくに施設面での不備が目に付く。実習用パソコンは1教室あたり10数台から20台までであり,学生2人に1台で実習を行っているのが現状のようである。ソフトウェアに関しても同様で,パソコンの性能上,一昔前のバージョンであると講師は言っていた。全体として,ICTに関しては机上での論議が主であり,実習機を使わないプログラミングや理論・概念の講義中心であるのが実情のようであった。
次に産業界の現状を知るために,首都マプトにあるいくつかの会社を視察した。訪問した業種はソフトウェア開発,印刷・広告,放送・編集,印刷などである。どの会社も車で30分もかからない距離にある。産業は発展しているわけではないが,一応前述のような企業はある。企業が例えばプログラマを募集してもプログラムを机上でしか作成したことがなかったりと,求めるスキルを持っている人材を見つけることは難しいのが現状のようだ。したがって,国内にしっかりとしたICT教育環境が整えば,企業内教育の負担を軽減することができ,さらに産業界全体のレベルアップにつながることが期待されている。また,カリキュラムの作成に際しそういったニーズを満たすような人材を輩出してほしいという希望があった。前述のプロジェクトベースのカリキュラムはこういった背景をも検討に入れた結果である。MICTIに入学する学生はおよそ9ヶ月でコースワークを終えたあと,企業へインターンシップに行き,その後最終報告書を書き上げトータル1.5年で卒業する。MICTIの発想はどちらかというと日本の専修学校に近く,既存の大学とは異なるシステムで教育を実践する初の試みとなる。
カリキュラムの詳細と必要な設備,教室の大きさ,必要な教員数,時間割などを作成し,JICA所長,在モザンビーク日本大使,そしてマシンゲ氏に対してプレゼンテーションを行った。マシンゲ氏をはじめ皆満足そうであった。これでミッションコンプリートである(図2は作成したカリキュラムの一部)。
帰路は成田に到着後,新宿のJICA本部で報告を行い,長いプレッシャーから開放された。ホテルに行くと,妻と3歳の娘が迎えに来てくれていた。およそ1ヶ月の間離れていたせいか,娘は少し恥ずかしそうに私に寄ってきた。
追記:日本とアフリカという距離はいまや携帯電話が距離感を埋めてくれる。モザンビークでも携帯電話はかなり普及しており,日本から携帯電話でアフリカにいる私に直接電話できる。また,インターネットによるビデオチャットも可能で,人の心の中には物理的な距離とは関係ない距離感があるものだと実感した。
上記の肩書・経歴等はアキューム24号発刊当時のものです。