京都コンピュータ学院情報科学研究所が開設されたのは,1987年である。
しかし同名の研究所は,金沢工業大学においても,1974年筆者により設立された。
共に,学校当局において,その必要性を認めて,設立の支援をされたからと思い,改めて当学院に感謝する次第である。
理工学の分野において,天体物理学と最適制御論とが,ある時点で密接な関連があったことを知る人は少ないと思うので,簡単にここに触れてみたい。
星の光の強度分布を大気の物理化学的性質と関連させることは天体物理学者の大きな願望であった。この先駆者はドイツのK・シュワルツシルドという天才的な天体物理学者であった。彼は第一次大戦中,西部戦線の塹壕の中で,その著名な輻射平衡論を書きあげたと伝えられている。彼のフレードホルム積分方程式の解析解に非常に興味をもったのは,1930年代の初めにドイツを訪れた米国のN・ウィーナー博士とE・ホップフ博士であった。短期の滞独中に得られた彼らの成果は,今日ウィーナー・ホップフ解法と呼ばれている。ウィーナー博士はかかる関数変換に基づいて,線形確率論的推定論及びサイバネティクス論に進み,ホップフ博士は,輻射平衡論,エルゴート論及び乱流統計論等を開発した。前者の理論は,ウィーナー,カルマン及びチャンドラセカールフィルター等にまで発展し,近代情報理論の中心課題となった。五十有余年前,京都大学在学中,宇宙物理学教室の荒木俊馬先生の講義の資料として,私はホップフ博士の名著「輻射平衡数学論」を入手,その数学的端麗さに魅せられ,ついに多重散乱論から情報理論にまで手を拡げることになったのは,この著者によるところが大きい。前記のウィーナー・ホップフの手法は応用数学の一手段として研究されたが,そのまま最適制御の主要手法とはならなかった。それには,第二の接点が必要であった。四十有余年前から米国のランド研究財団において,動的計画法を開発していたR・ベルマン博士及びR・カラバ博士の研究陣は,ソ連の天体物理学者V・A・アムバルツミアン博士が提唱し,米国のS・チャンドラセカール博士により発展された不変法の原理の応用に着目した。不変法の理論は,惑星大気内輻射輸達論の初期値解として,誠に独創的であった。また後に中性子散乱,放射線測定,稀薄気体論,波動伝播等にも利用された。ベルマン博士達は動的計画法の主要解法として,不変埋蔵法を発展させた。換言すると,不変法の考えと埋蔵という普遍的な概念との重合である。これにより最適制御における動的計画法の応用分野が著しく開拓され,殊に当時発展途上にあったロケットエ学,電子工学,宇宙航法の研究者によりこれが応用された。成功の主因は,これらの諸分野の汎関数方程式の最適解を求める場合,微分(微積分,積分,または差分)方程式の初期値解の数値計算に帰したことである。これは当時発展途上にあった大型計算機の偉力によったものと思う。且この初期値解は,アムバルツミアン博士もベルマン博士も共にリカッチー形の非線形微分積分方程式を使用しているのが,その特色である。天体輻射論と最適制御論との交流には,かくして2回の接触を経て,数十年かかったことになる。著者がベルマン博士の研究陣に入ってからすでに33年経た。これも36年程前,米国インディアナ大学発行の「数学力学誌」にホップフ博士の推薦による筆者の論文が掲載されたのをベルマン博士が気づいて,当時滞仏中の筆者に連絡をされてきたからである。惑星大気内輻射を支配する基礎方程式の初期値解か,リカッチー形微積分方程式の解に帰せられることに,ベルマン博士が興味を抱かれたからと思う。ベルマン博士の招待によって,1960年,米国ランド研究所顧問及びカリフォルニア大学ロサンジェルス校客員教授として,同氏の研究陣に参加した。当時,NSF及びNASAの援助のもとで,輻射輸達論の研究がなされた。1970年から今日に到るまで,米国南カリフォルニア大学,金沢工業大学,米国マサチューセッツ州立大学及び京都コンピュータ学院で研究に従事した。その対象はフィルター論,系同定,放射線及び衛星画像の解析から,最近は系同定に連想記憶理論の応用を,カリフォルニア州立大学のH・カギワダ博士及び南カリフォルニア大学のR・カラバ博士達と試みている。またアリゾナ州立大学のA・ワン博士とは,探照燈問題の共同研究を続行中である。
1989年6月中旬に,米国ボストン市にある京都コンピュータ学院ボストン校において,「多重散乱理論とその応用」のワークショップを開催した。参加者は米国航空宇宙局のアーキング博士,カギワダ博士,ワン博士などで,2日間にわたり活発な討論がなされた。
さらに1991年8月上旬に,本学院百万遍校において「システム,モデリング,非線形解析と知識処理」のワークショップを開催した。招待講演者はカリフォルニア州立大学フラトン校のカギワダ博士であり,一般講演は京都大学,岐阜大学,東京理科大学,金沢工業大学及び近畿大学等の各教授により実施された。
1987年より1993年に到る間,毎年日本天文学会,日本リモートセンシング学会,日本写真測量学会の講演会及びシステム制御情報学会主催の「確率システム・シンポジウム」には,金沢工業大学の川田博士との共著論文を発表してきた。また,同様に,同上年度間,米国電気電子工学者協会(IEEE)の「国際地球科学及びリモートセンシング・シンポジウム」にも共著論文を発表してきた。
さらに1989年及び1992年の2回,米国の「写真測量及びリモートセンシング国際学会」の国際会議にも同様論文を発表してきた。
また. 1992年9月中旬,神戸国際会議場において,「システム工学についてのIEEE国際会議」が開催されるについて,「自動化,非線形モデリング及び最適化」についての特別セッションを提案したところ受理され,国内外より計14編の論文が講演されることになった。このセッション主催者はH・カギワダ博士,協力主催者は大分大学の杉坂博士と筆者である。
日本学術振興会の支援のもとで,今まで3回,国際共同研究が実施された。その最初は,筆者が京都大学在職中,南カリフォルニア大学のR・ベルマン博士と共同で実施された。その次は,筆者が金沢工業大学在職中,マサチューセッツ州立大学のW・アーヴィン博士と共同で実施された。
さらに,1992年から1994年にわたり,日本学術振興会の「二国間国際共同研究協定」に基づき,ロシア学士院と「宇宙からの画像処理:正及び逆問題」を研究することになった。当方は東京大学生産技術研究所の高木博士,川田博士と筆者の3人,先方はレニングラード学士院のV・ソボレフ博士,同学士院所属の「情報及び自動化研究所」のO・スモクティ博士及びモスクワ学士院の宇宙写真測量大学学長のV・サヴィニーク博士である。これからの2ヵ年はこの共同研究に主力を尽くすことになる。
この協定に基づいて, 1992年夏に川田博士,1993年3月に高木博士と川田博士が,共にサンクト・ペテルブルグ市を訪れ,同学士院と研究情報の交換を試みた。本年度は日本側3人の訪露が予定されている。
また,1986年から1988年の問,筆者は米国のIEEE内の「地球物理及び遠隔探査学会」(IGARS)の東京支部長を務め,感謝状を受領した。1992年には,日本リモートセンシング学会から,「大気補正に対する地形効果の近似」に対し,優秀論文発表賞を,川田博士と共に受領した。
1992年夏,カオス理論に詳しい東保所員の参加を得て,一層の研究の促進が図られた。
1993年1月中旬に,八ワイ大学の「情報及び計算機科学教室」の主催のもとで,第5回ベルマン・コンティヌーム国際ワークショップ」がワイコロアのホテルで開催され,筆者及びワン博士は共著の二編を発表した。
さらに本年夏,東京工学院大学において,IEEEの「IGARSS93」が開催の予定である。これに筆者,スモクティ博士(サンクト・ペテルブルグ学士院)及び川田博士の3人,筆者,東保所員及びワン博士の3人による,計2編の論文発表か予定されている。これに加え,日本リモートセンシング学会,日本写真測量学会,システム制御情報学会,計測自動制御学会等の春秋年会に筆者及び東保所員共著論文の発表が予定されている。