今中恵さんは京都コンピュータ学院で勤務する傍ら,日本画というフィールドで表現をしている。日本画は和紙に描かれる。和紙は,防水を施さないと滲んでしまう。滲みを防ぐために,ドウサという液で上塗りをしなければならない。日本画はとても手間がかかるものなのだ。顔彩,棒絵の具,水干絵の具,岩絵の具と,絵の具の種類も様々だ。色の名前も日本画特有のもので,たとえば,きみどりは若葉色,暗い茶色が朽木色,濃い緑が松葉色,と想像力をかきたてられる名前が,それぞれつけられている。
水干絵の具,岩絵の具については,着色するためには,膠液が必要になる。膠とは,「獣類の骨・皮・腱・腸などを水で煮た液を乾かし固めた物質。ゼラチンを主成分とし,透明または半透明で弾性に富み,主として物を接着させるに用いる」(『広辞苑』より)。半透明で棒状の膠を水にいれ,これを熱して膠液をつくる。また岩絵の具の場合には,粒子の粗さで色合いが変わる。粒子が粗いほど色は濃くなり,細かくなるにつれ明るい色調となる。
画家は色を発見するために,絵の具を混ぜ合わせたり,ときには絵の具を焼いてみたりもする。なぜ日本画を選んだのか。今中さんは言う,「ぼわっとした淡い色が好きなんです。絵の具の風合が好きなんです」と。「香」という作品では,そうした日本画の特質がまさに活かされている。
今中さんの眼差しは,命に対する優しさに満ちている。100号ほどの「虹鱒」という作品は,まっすぐな生命賛歌である。この絵を描くために,今中さんは何度も水族館に赴いて取材したという。何度も水槽の前に立ち,虹鱒の群れと向き合い,その姿をスケッチする。そうして出来上がった何枚もの下絵をもとに,作品の制作が始まる。
この一枚の絵のなかにも様々な工夫が凝らされている。虹鱒の虹を表現するために,画材として西洋の宗教画などで多用されるテンペラ画材が使われている。また岩のごつごつした感じをリアルに再現するために,水晶末という粒子の粗い無色の絵の具でマチエール(美術作品における材質的効果)をつくり,そのうえに別の絵の具を塗り重ねている。
こうした数々の繊細な工夫のうえに,この生命賛歌は成立している。
「鼓動」という作品も,日常生活の目線では見落としてしまいがちな路傍の樹木に対する共感に満ちた視線で描かれている。今中さんは言う,「日本画と洋画の区別は,絵の具の違いだけで,ほとんどないといってもいいと思います。今,日本画でも様々な表現への挑戦がなされています」と。
ここに描かれている樹木は妙に生々しい。秋から冬にかけての季節の移り変わりのなかにあって,この老木はひとり,生命を謳歌しているようにも思える。周囲の落ち葉と,幹の艶っぽさの対比が鮮やかだ。樹木だと思ってじっと絵を見つめていたら,何か別のものに変わってしまう,そんな奇妙な感じにとらわれた。とても微妙な,言葉では捉えにくい感覚を,今中さんは見事に和紙のうえに定着させている。
学校とは,元来,多彩な人が集まる面白い場所であるべきだと思う。日本画家がさりげなく事務をこなしていたりする京都コンピュータ学院は,かなり面白い場所であるといえるだろう。その気配を感じて,毎年,日本全国から面白い学生さんが集う。ほんとに理想的な循環が京都コンピュータ学院にはある。
今中さんから,在学生の皆さん,そしてまだ見ぬ未来の学生さんにメッセージが届いている。「学生時代は,どんなに些細なことでも興味を持ったことを試験的に行い,たくさんのツール(=技術)を揃えることが大切だと思います。たとえ,それが中途半端に終わってしまってもマイナスになることはありません。そのツール作りのために,学生時代は積極的に学校を利用するべきだと思います。想像力は枠にとらわれない無限の広がりを秘めています。その想像力を活用して,今しか作れないツールをたくさん手にいれてください。社会に出た時,そのツールが礎となります。」
上記の肩書・経歴等はアキューム16号発刊当時のものです。
上記の肩書・経歴等はアキューム14号発刊当時のものです。