米田先生,百歳のお誕生日おめでとうございます。
先生は,中国の歴史・文化に通暁してられるので,本日は,中国の故事に言及しながら,お祝のご挨拶をさせていただきます。
李白の「春夜桃李園に宴するの序」に
“それ天地は万物の逆旅にして 光陰は百代の過客なり”(古文真宝後集)
という有名な一文があります。
この世界は,万物にとっての旅籠(旅館)であり,月日は永遠に止まることのない旅人であるという内容は,芭蕉の奥の細道の冒頭
“月日は百代の過客にして 行きかう年もまた旅人なり”に引用されていることでも,よく知られています。
私は,15歳の時にこの文章に出会いましたが,その時に比べてはるかに年を取った今では,この内容は,ひしひしと胸に迫ります。先生は,まして100年間もこの旅籠にあって,止まることもなく帰って来ることもない旅人としての月日に遭遇されたのですから,万感の思いがお有りでしょう。
100年に亘っての時代の推移,世相の変転,人生の表層と深層,人間の本性の美と醜一切を観察・体験されて来られました。100年の歴史研究でなく,ご自身の五感で受け止められた100年の歴史体験は,万巻の書にまさる重みがあることでしょう。先生は,先生の知性・感性を通して,有為転変の歴史の表層の奥に流れる“不変の真理”を,どのように会得されて来られたのでしょう。
二十数年に亘っての職場における先生と私との交流を通して,私の推察するところですが,先生は,一世紀に亘るご自身の教育者としての「真実の人生」を「中庸の徳性の涵養とその実践」に見出されて来られたのではないでしょうか。
「中庸」は,儒学の伝統的な主要概念であり,儒教倫理上,行為の基準を示す最高概念として,尊重されて来ました。
“中庸の徳たるや,それ至れるかな”(論語)
中庸の徳は最高のものだと孔子にも賛嘆されております。「中庸」の“中”とは,考え方,行動などがひとつの立場に偏らず中正であること,過不及のないことを意味し“庸”は常なりを意味します。過不及のない思考・行動は,長く続いて行き詰まることがないということです。
ギリシャの哲学者アリストテレスは,人間の行為,情念における過不及を調整する徳として「メソテース」を彼の倫理学における重要な徳目に上げていますが,この「メソテース」の日本語訳は「中庸」です。洋の東西を問わず「中庸」は中正を知る徳性として賛えられて来たわけです。
ここで,アリストテレスのニコマコス倫理学にもう少し言及してみましょう。
“徳は中庸において成立する。徳とは,行為や情念において“中”(メソテース)を発見し選ぶ状態である。
“中”は“正しきことわり”に基づく。
徳は標的をして正しきものたらしめ,知慮(フロネーシス)は,標的への諸々のてだてをして正しきものたらしめる役割を果たす。徳は知慮なくしては存在しない。”(ニコマコス倫理学)
徳の実践に関して,“知慮”という概念を導入しています。徳は,中(メソテース)の発見により目的を正しく措定し,知慮(フロネーシス)は,実践知性的認識において,その目的の正しい実現の方法を示します。つまり,知慮は実践知といえましょう。そして,徳(中庸)と知慮の結合により,人間の人間たる働きが実現されると説きます。さらに,アリストテレスは,“中”を捉えることは大変難しく,よき人たることは大変努力の要る仕事だと述べています。一方,儒学入門の四書の内,『中庸』では,中庸を最高の徳と認めた上で,
“中庸を基礎づけるのは「誠」である。「誠」は天の道であり,天命の徳として人の本性になっている。中庸の徳は,この高貴な本性としての「誠」に基づいて完成される。中庸の徳は,この「誠」と結合することによって,誤りのない真実のものとなる”と述べています。
さらに『中庸』第二章で孔子は,
“中庸はそれ至れるかな,民よくするすくなきこと久し”(中庸は最高の徳だ。しかし民衆の間で,うまく行える者がいなくなって久しい。)
“その道は行われざるかな”(その道は世の中では実行されていない。)
“人はみな予は知ありと曰うも,中庸を選びて期月を守ること能わざるなり”(人々は,みな自分は知者だと言うが,中庸を選んでそれを守り続けることは,ただの1ヵ月さえもできないものである。)
“天下国家も均しくすべきなり,爵禄も辞すべきなり,白刃も踏むべきなり。中庸は能くすべからざるなり”(天下国家を治めるのも,爵位俸禄を辞退するのも,白刃をくぐるのも難しいができないことはない。しかし,中庸を選びとって守り続けるのはなかなかできないことだ。)と,実践の困難なることを述べています。中庸の倫理的卓越性は,東西共に認めつつ,ギリシャ(アリストテレス)では知慮という知性的卓越性,中国(『中庸』)では誠(人間の本性に宿る天命である誠の感得)という感性的卓越性を結合させています。先生は,中庸の徳を涵養しつつ,「知慮」と,天の道としての「誠」の感得,共に働かせて教育者としての真実一路を歩んで来られたと推察できます。如何にそれが難しいか,アリストテレスも孔子も共に上述の如く述べていますが,この道を百歳に至るまで歩み続けるためには,極めてバランスのよい知性・感性と厳しい自己コントロールが要請されたことでしょう。そして,まさにそこにこそ,先生が百歳まで品性高く老いる所以があったのでしょう。
私は,かつて京都学園大学に創立当初から夫の急逝による退職まで勤務しておりました。どこにでも見られる例にもれず,京都学園大学でも開学当初は,大学当局,教職員,学生三つ巴のカオスの状態でした。そのような中で,先生は,バランスのとれた「大学の一体化」を成し遂げられました。それは単純な妥協テクニックによってではありませんでした。私は,その時,先生の教育倫理上の「中庸」への信念,また,教育者として先生ご自身の内部に消化した「中庸」の徳により,大学の人心統一が実現し得たのだと感服いたしました。
私は,1986年で大学を退職し,京都コンピュータ学院の仕事に専念することになりました。当時,学院は,市内に散在する5校とも,急激に増加した学生を抱え,それら5校の統括が至難を極めていました。私は,米田先生が定年を迎えられていることを耳にし,先生を一校の校長にお迎えしたいと考えました。しかし,先生は花鳥風月を賞でつつ余生を楽しんでおられるのではないかと,躊躇しました。
その時,論語の一節が頭に浮かびました。
“子貢曰く,ここに美玉あり。ひつに納めて蔵せんか よき値を求めて売らんか。子曰く,これを売らんかな。これを売らんかな 我はよき買手を待つ者なり”(論語)
もちろん美玉=才能です。
この会話は,世に受け入れられない孔子に対し,仕官の気持ちがあるかどうか,弟子が尋ね,孔子の意志を確認したという対話とされていますが,美玉=才能は閉じ込めておくものではなく,外に解放して活用すべしという孔子の思想が読み取れます。三国時代,蜀王劉備が諸葛孔明を軍師に迎えんと,その庵を三度に亘り訪ねた時(三顧の礼として有名),劉備の脳裏にあった言葉と言われています。
私は,この孔子の言葉を思い出し,その考え方に勇気づけられて,先生にご就任をお願いしたのでした。就任後,学内的にまた対外的にいくつかあった問題は,かなり平穏に納められて行きました。「校長とは,かくの如き人!!」という教職員の信望を集め,少なくとも5校の「人心統一」には大変貢献していただいたと思っております。
“徳は孤ならず 必ず隣あり”(論語)
先生のバランスのとれた人徳は,直ちに教職員・学生に理解され,その影響は学院全体に及んでいきました。
先生は,コンピュータの知識・技術とは全く縁のないお方でした。しかし,教育機関はどんな専門領域であろうとも,人間教育を軽視すべきではありません。先生は,学校の倫理教育上,必須のお方であったと信じております。
長い間のご貢献,本当にありがとうございました。
今後も変りなく私達一同のため,ご指導ご鞭撻の程,よろしくお願い申しあげます。
最後になりましたが,私達一同,先生の一層のご健康を心より祈念申しあげます。
百歳のお誕生日,本当におめでとうございました。