私は京都大学数理工学科萩原研究室で教務員(文部技官)をしていました。平成24年5月に亡くなりました,私の夫北川一(豊田工業大学名誉教授)は,萩原研究室の第一期卒ですので,私達二人はずっと,萩原先生のお世話になってきました。
私は,NEAC-2010(メモリ4K)という,小さな計算機を使用して機械語でプログラミングをしていました。当時大学院生であった,萩原研究室の一期生は,東芝との共同研究で,言語処理系の開発をしていました。夫は,FORTRANコンパイラの作成を担当しておりまして,東芝の寮に泊まり込んで作成していました。あの頃から,萩原先生は,ずっと計算機の研究の最先端を歩んでこられました。
萩原先生が,修学院にお住まいの頃,私達も近くに住んでましたので,よく御自宅にお邪魔して,お料理のお上手な,先生の奥様のお料理をいただきました。
恩師よりも先に逝ってしまった教え子の夫は,あの世で,今頃は先輩振っていろいろとお教えしているのではと思ったりしています。