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Accumu Vol.14

初代学院長の思い出

京都コンピュータ学院総務部 青山 公子

初代学院長の思い出

KCGには「本物」を学生に与えようという教育哲学があります。これは,初代学院長と現学院長のお考えに基づくものであると思います。

私は1977年に京都コンピュータ学院情報科学科に入学しました。当時は,まだコンピュータが一般的ではありませんでしたが,今後伸びる分野であると思いましたし,もともと論理的な事柄を好む傾向がありましたので迷わずKCGに進学しました。

しっかり実力をつけたいとの思いから,授業の予習・復習は必ずしました。その結果,入学して半年で情報処理技術者試験に合格できたことは,かなりの自信となりました。

他のコンピュータ系の専修学校と異なり,KCGの授業は,コンピュータサイエンスを基盤としながら,基礎理論から学べる点に大きな特色があります。教科書も専門的なものが選ばれていました。学生の現時点でのレベルにみだりに合わせるのではなく,学生の潜在的な能力を信頼し,それを伸ばすための本当の教育がKCGでは為されていました。


TOSBAC 3400
TOSBAC 3400

また設備面でも,東芝製の大型汎用コンピュータTOSBAC 3400を自由に使って実習ができる環境が整っていました。こうした大型機は,当時,全国の大学をあわせても数台しか導入されておらず,しかも他大学では研究用として使われ,一般の学生は自由に使用できなかったと聞いております。その意味で,こうした最高の設備を学生に自由に開放し,本物のコンピュータ教育を行っていたのは,当時,KCGのみであったと思います。このような環境で学んだ多くの卒業生が現在の日本のコンピュータ産業界を支えているわけです。私はKCGで教育を受けたことを誇りに思っています。

こうした「本物」の教育を遂行し,理想の学校づくりの先頭に立っておられたのが初代学院長 長谷川繁雄先生です。今でも覚えているのは,初代学院長が,洛北校のC教室に学生全員を集めてお話をされたことです。私の在学中,京都市内にKCGと類似名称の学校(ちなみに現在は廃校となっています)が設置され,KCGへの入学希望者が誤ってその類似校に進学してしまうという事件がありました。初代学院長は学生全員に対して,KCGがいかに独自の教育哲学に基づいたユニークな学校であるかを切々と語られ,後発の亜流との差を強調されました。そこには日本で最初に民間のコンピュータ教育機関を創設したパイオニアとしての誇りと,付け焼き刃な偽物に対する怒りがありました。自らの信念を学生に伝えようとする誠実さを,私は強く感じました。

今になって思うと,こうしたお話を通じて,初代学院長は,私たち一人ひとりに自らの学校に対する誇りを持たせようとされていたのだと思います。初代学院長は自ら教壇に立ち,とても大切なことを学生一人ひとりに直接伝えておられたのです。

教壇で学生に語りかける長谷川繁雄先生
教壇で学生に語りかける長谷川繁雄先生

私は1979年に京都コンピュータ学院を卒業しました。ある企業から内定をいただいていたのですが,先輩教職員のご推薦もあり,母校に残りました。

初代学院長は,分け隔てなく誰に対しても気さくに声をかけることが,自然体でできる方でした。常に教職員や学生のことを深く理解しようとされ,家族のように大切に考えていらっしゃいました。当時は,私のようにKCGを卒業してそのまま母校に残る20代の若手の教職員が多くおり,初代学院長は業務指示を与える際にも,作業のやり方一つひとつを具体的に丁寧に指示されていました。またある学生が問題を起こした際にも,初代学院長は,その学生が何故そうした問題をおかしたのか,その理由を根本から理解しようとされました。そのうえで,あくまでもKCGの学生を守るという信念から,その学生の側に立って尽力されました。

初代学院長は,折に触れ,全教職員を集めて,学校運営のビジョンを語り,全員が意識を共有できるように配慮されていました。そうしたお話の根底を貫いていたのは,いかなる権威にも頼ることなく,自らの足で立つという姿勢です。外部からの圧力に対しては,理想の学校創造のため徹底して闘う姿勢を示されました。自分たちの理想の学校を自分たちの手で創造していこうと,初代学院長は全ての教職員にことあるごとに伝え,励まし続けました。私は,こうした初代学院長の言葉を通して,私学に勤める者としての根本的な姿勢を学びました。

その後,私は結婚をし,子供が生まれました。仕事を続けるべきか,かなり悩みましたが,初代学院長と現学院長が,「 これからは女性がもっと活躍する時代にならねばならない。だから仕事を続けなさい」とおっしゃり,子育てと仕事の両立ができるように取り計らってくださいました。今でもこのときのことは忘れられません。

そして残念なことは,このようなご配慮をいただいていた時期に,初代学院長が病に倒れ,帰らぬ人となられたことです。

高校を卒業して以来の私の人生を顧みますと,KCGとの関係の中で自己を形成してきたといえます。即ち,それはKCGの創立者である初代学院長の人生観や思想を手本として生きてきたといえるでしょう。ご薫陶いただいたことに対する感謝の念はとても一言で言い尽くせるものではありません。

今年,京都コンピュータ学院京都駅前校新館に,初代学院長と現学院長の像が建立されました。私は,現在もKCGで職を得ておりますが,この像を見るたびに,初代学院長や現学院長の思想や生き方を,後の世代にしっかりと語り伝えていかねばならないとの思いを強くします。

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青山 公子
Kimiko Aoyama
  • 京都コンピュータ学院総務部

上記の肩書・経歴等はアキューム14号発刊当時のものです。