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Accumu Vol.3

ニューロ理論の理解のために〈脳の働き〉

信州大学名誉教授・愛知医科大学名誉教授

西丸 四方

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ニューロンというのは神経系統を組織する単位となる神経細胞の1つのことである。細胞は錐形か円形で数ミクロン以下の大きさで,この細胞から木の枝のように枝分かれした細い管がたくさん出ており,ただ1本が出力管で,他の枝は入力管である。入力管は他の多くの細胞の入力出力管の枝と連絡し合い,細胞の体自体にも他の細胞の出力管の枝先が付着している。神経細胞相互や神経と出力効果を出す筋肉との連絡は針金のハンダ付けのようなものではない。出力管の枝の末端は丸く膨れていて,細胞体から送られてくる栄養物から,細胞自体の中に無数に散在する糸粒体という酵素の多い微小細胞のような寄生細胞的なものの働きで,カテコールアミン(ノルエピネフリン,ドーパミン),セロトニン,アセチルコリンその他もろもろの簡単な化学物質の泡を作っている。細胞の入力管に外からの刺激が加わると,それが伝わってきて,泡を管の先端の外の隙間に出して隣の細胞に触れさすと,刺激が伝わる。管の中を伝わるのは電気ではあるが,管のまわりに絶縁性の脂質の鞘があり,1ミリ毎にくびれがあり,管の中にはKイオンが多く,管の外にはNaイオンが多くあり,刺激が来ると管のくびれからKイオンが出て外からNaイオンが入ると管の内外の電圧の差に変化が生じ,次のくびれとの内外に電流が生じ,そのため次のくびれからKが出てNaが入り,またその次のくびれとの間に電流が生じて,その次のくびれへというように,出力管の長さが30センチとすると300回こんなことを反復してやっと細胞体から出力管末端に刺激が達する。この速度は1秒間数メートルから数10メートルである。こうしてこの形の電気が末端に達すると,そこでニューロンとニューロンの間の隙間にドーパミンなどの化学物質の泡が出て隣のニューロンの表面に内外の電位差を起させ,それが隣のニューロンの刺激となって伝わる。管には多くの枝があるので,1つの半導体素子から他の1つの素子へというように単純にはいかない。いくつものニューロンが繋り合って一つの精神活動が現れるわけであるが,例えば1つの精神活動が10個のニューロンの繋りで生ずるとすると,脳全体のニューロンの数は150億であるから,この中から任意の10個をとり出す組合せの数は1096となり,全宇宙の素粒子の数1079より多いので,これでは人力で扱えない。

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精神機能のもとになっているニューロンがこのような働きをしてどうして精神機能が生ずるのか分からないので,ミクロの見方を離れてマクロに移り,大脳表面のニューロンの並び方を見ると,神経細胞の大きさと形から丸と角錐と紡錐に分かれ,紡少,丸小多,角大少,丸小多(少),角大多,紡少の6層に分れて並び,丸小は感覚,角大は運動に関係する。さらにこまかく丸小の多い場所,角大の多い場所というような区域を分かつと50ほどの区域に分かれる。これを脳地図といい,それぞれ番号がついている。脳の病気で,ある場所だけ壊れた人を探してその人の神経,精神機能にどんな変化を起こしているかを調べて,脳地図の各区域にどんな機能が宿っているか見るのであるが,うまくある区域が壊れた人(事故,負傷,出血)を探して調べるのであって,健全な人の脳の一部を壊してみるという実験は人道上許されず,動物実験では相手の心は分からないから役に立たない。

大体のところ脳の前の方は活動性(情報発表,出力),後の方は受理(情報受容,入力),側下の方は貯蔵(情報保存)に関係する。この3つの働きを外界の要求に応じてしっかりさせる見張りはどの動物にもあるもので,統率本部であり,これは脳の奥下の方の間脳,中脳にあり,これがしっかり働いて,外界の様子と自分の対応の仕方がはっきり分かる状態を意識がはっきりしていると言い,働きが弱ったり,なくなったりしているのを,意識が濁っている,なくなっていると言う。こういう統率中枢部はすべての神経細胞と繋がりを持つ。

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脳地図の50ほどの区域の44は喋ることに関係し,ここが壊れた人は,ダンゴは食うものと分っていながら,ダンゴを見せてもダンゴと名づけられず,ダンゴと言えと言ってもダンゴと言えない。ダとかゴとか一つ一つの発音はできる。それでこの人は言葉の運動の記憶像を失っているのだと思われ,44にこの記憶像が貯えられているのだろうと思われるのであるが,傍から桃太郎の歌を歌って聞かせるとそれに連れて歌い出し,お腰につけたキビダンゴ,一つ私に下さいなと,できないはずのダンゴという言葉が言えるのである。あるいは他の人がダンゴを食べていると,私にもダンゴを下さいと言う。今何と言ったのかと問い返すと,もうダンゴと言えない。こういう現象は知的な場面では言えず,情意的場面では言えるということになるのであるが,こうなると44に言葉の運動の記憶が宿っていると言えそうもなくなる。

40の区城が壊れると行為ができなくなる。例えば舌を出してみよと命ずると,舌を出せなくて困って手を口に突込んで舌を引張り出すしまつである。それで舌を出すという行為ができないのかと思っていると,飯粒が唇に付着するとペロリと舌を出して舐めるのである。これも知的行為はできず,情意的行為はできるということになる。

けれども考える場所,思考はどこで行われるか,知能はどこに宿るかということは定められない。恐らく大脳全体がうまく働いて,と言うしか言いようがない。数学や音楽の才能は39,40,45,22あたりであろうと想像されるが,これもこのあたりが壊れると計算ができないとか,音痴になるなどマイナスの面からの想像に過ぎない。しかし以上のような個々の,脳の各部の働きを総合しても,どうして心,精神という現象が現れるのかは依然として謎のままである。神経細胞の働きの集まりが心となるのを昔から変態,メタモルフォーシスといった。芋虫が蝶になるようなものであろうか。脳がたくさん壊れれば知能が下がる,脳に急激に大打撃を与えると意識を失うということしか分からない。人類滅亡の前に一層細かいことが分かればよいのであるが。