トップ » バックナンバー » Vol.13 » 京都コンピュータ学院 創立40周年記念講演 「未来を拓く超高速コンピュータ」―コンピュータに何ができるのか

Accumu Vol.13

京都コンピュータ学院 創立40周年記念講演 「未来を拓く超高速コンピュータ」―コンピュータに何ができるのか

独立行政法人理化学研究所 計算宇宙物理研究室主任研究員 戎崎 俊一

ご紹介ありがとうございました。こういう40周年という栄えある企画に呼んでいただきまして大変光栄に思っております。私は理化学研究所というところで情報基盤研究部を率いています(2003年6月現在)。そこでコンピュータをつくったり,使ったりする研究をしているわけですが,日頃考えているお話を今日はさせていただきたいと思います。

今日のサブタイトルは「コンピュータに何ができるのか」ですが,コンピュータはいろいろなことができることが分かってきましたけれども,今後コンピュータはどこまで人間を超えていけるのかというような話をしたいと思います。

自己紹介ですが,私はもともと天文学者でした。今でも天文学者だと思っています。大学院のときにやっていたのは,超新星という星が爆発する現象についての研究でした。その後,GRAPE(グレープ)という専用計算機をつくる開発プロジェクトに参加しました。このGRAPEはたくさんの星が集まってできている星団とか銀河といわれるものの進化をシミュレーションするための計算機です。それを東京大学の宇宙地球科学教室でやっていたのですが,その後理化学研究所に移りました。理化学研究所に移ってからやったことは,分子の世界に移って,分子動力学シミュレーションの専用計算機をつくるということです。

「星の世界と分子の世界はまったく違うではないか」と考える方がいらっしゃると思います。ところがよく見ると,実は大変よく似ています。銀河などの天体は星でできています。分子は原子という粒子でできています。どちらもいわば「粒子」でできているわけです。粒子同士はお互いに力を及ぼし合って,相互作用するわけですが,その力は星の世界では重力といわれるものです。一方,原子の世界では静電力,クーロン力という力です。この力はどちらも,高校の教科書を見ていただくとわかるように,非常によく似た式で書けます。一方は,その大きさが光で走っても10万年かかるような非常に大きな世界,他方は1メートルの10億分の1のような非常に小さな世界です。しかし,この間に大きな共通性がある。その共通性を使って私はこういう宇宙の世界から微小の世界を渡り歩いてきたわけです。今日はそういう話もさせていただきたいと思います。

MDM

まず,われわれがつくってきた分子動力学シミュレーション用の専用計算機を少し紹介したいと思います。

分子動力学専用計算機:MDM
図1 分子動力学専用計算機:MDM

モレキュラー・ダイナミクスマシンということでMDMという名前を付けています。このMDMは静電力,クーロン力と分子の間に働く特別な力,分子間力の計算を加速します。ピークスピードが75テラ・フロップスというのはいまだに記録が破られていません。世界最高速のマシンです。どれくらいの大きさかというと,こちらです(図1)。

縦が2メートル,横が10メートルぐらいのラックの中に入っています。この中に,IBMと共同開発した専用LSIが搭載されたボードがたくさん入っています。まず,専用チップを設計してアルゴリズムを開発し,そのチップを引き出すソフトウェアを開発してそれで計算をしているわけです。

それがこのようなものです(図2)。

プリオン(PrP)のシミュレーション構造
図2 プリオン(PrP)のシミュレーション構造

プリオンをご存じでしょうか。2年ほど前に狂牛病が問題になりました。これはプリオンというものが病原体になっている特別な病気です。このプリオンは脳の中にあるタンパク質で,今ここにリボンで表しています。タンパク質はたくさんのアミノ酸がくっついて一つの形をつくっています。この場合はこういう螺旋が集まってこういう形をつくっているわけです。141個のアミノ酸でできていて,総粒子数が15万ぐらいのタンパク質です。こういうものが体の中でどのようになるか。とくにプリオンの病原体のほうは形が分かっていないのですが,正常のプリオンが変態して恐ろしい病原体に変わるのです。ですから,病原体のほうのタンパク質の形がどうなっているかを知りたいわけです。それをシミュレーションで調べてみようということでやってみました。

[図2のスライド,左部分のシミュレーション開始]

このように動いていますが,これは熱運動で動いています。これはもしかすると危ないほうに変態しやすいかもしれないという遺伝子操作をしたタンパク質なのですが,じっと見ているとあまり変わりません。この先どうなるかをわれわれは調べています。見ていると,ここにある青い部分が増えています。実は,変態した危ないタイプのほうのアミノ酸は,赤い螺旋形部分よりもβシートといわれる構造が増えてくるとされていますが,そういうものが伸びているのです。この後,順調に伸びていくのかどうか,そういうことを調べたりしています。こういうわれわれの体の中で働いているタンパク質という分子の働きを調べる計算ができるわけです。

計算機のスピード

超高速計算機の発展
図3 超高速計算機の発展

さて,ここで計算機のスピードの話をしましょう(図3)。横軸が年度,縦軸がスピードです。1Tと書いているのは,1テラ・フロップスのことです。テラというのは1秒間に1兆回の演算をするスピードです。1テラ,10テラ,100テラで,テラの次はペタです。これは1秒間に1,000兆回の計算をすることになります。われわれは97年にGRAPE-4という重力多体問題専用計算機をつくりました。これは世界初のテラ・フロップスマシンです。その後順調にGRAPE-6ができて,われわれの先ほどのMDMというのをつくりました。

だいたい10テラと100テラの間ぐらいのコンピュータがつくられて稼働しているのが,現在の最も速い計算機の状況です。

この次はどうなるのかというと,他のところは別として,われわれは100を超えて1ペタ・フロップス,1秒間に1,000兆回の計算をするような計算機をつくろうではないかという議論をしています。

原理は簡単で一つのこと,重力の計算,もしくはクーロン力の計算を一つのパイプラインで速くやるものをつくる。それをものすごくたくさん並べて速くする。この場合はだいたい10万個ぐらいのチップが並ぶことになると思いますが,そういうものをつくるというわけです。

プロテインエクスプローラー
図4 プロテインエクスプローラー

これはプロテインエクスプローラーですが(図4),だいたい1ペタ・フロップスのマシンをつくるとして,プロテインGRAPEをつくるとだいたいコンマ1ミクロンの線の太さで描画して,4,000万トランジスタが1個のLSIに入りますので,180ギガ・フロップスぐらいになります。今のCPUだと1個が数ギガ・フロップスぐらいです。それに対して数十倍の性能が1個で達成できる。こういうもので膜タンパクや分子モーター,われわれの体の中で物質の移動を司っているタンパク質たちを調べたい,もしくは遺伝子の発現に関係しているRNAやDNAやタンパク質の複合体のシミュレーションをやりたいと思っています。


GRAPE-8
図5 GRAPE-8

GRAPE-8の場合ですが,これは天体のシミュレーションです(図5)。われわれの太陽系は,太陽の周りにあるたくさんの粒子,数キロぐらいの石ころが集まって,地球や木星のような惑星ができてきたと思われています。その間のシミュレーションや銀河が衝突しているところのシミュレーション,ブラックホールができるところのシミュレーションなどが,1ペタ・フロップスのマシンでできると考えています。


コンピュータは世界を変える

ここまでが私が研究してきた話です。これからもう少し一般的なコンピュータの話をしたいと思います。コンピュータは実は世界を変えています。実例がここにあります。1987年に超新星1987Aの爆発が起きました。これはわれわれ天文学者にとっては記念すべき超新星でして,近代天文学が始まって以来最も近い超新星で,非常に明るくなりました。肉眼でも見えるぐらいの超新星です。このときに何が起こったかというと,そういうものすごい超新星爆発が起こったという情報が世界を駆け巡りました。すべての天文学者が電子メールにかじりついて,みんなで情報交換し合ったのです。

このあたりでわれわれ天文学者,物理学者などというプロフェッショナルな学者が電子メールを使い出した。コンピュータネットワークというものを仕事に使い出したのです。2年後の1989年にベルリンの壁が崩壊しました。非常に象徴的な出来事で,われわれは大変驚きました。東西冷戦体制が崩壊したのです。とくに東側が崩壊してしまいました。その原因を考えると,要するにこういう電子メールが普及し始めて,いくら隠しても情報がどんどん流れていってしまう時代になったことが重要だと思います。自由な情報流通が起こったわけです。

その結果,どんな世界になったのでしょうか。大変な競争時代が始まりました。パソコンさえあればいいのです。昔は教育も情報の流通も全部組織が受け持っていました。学校や会社に入らなければ十分な情報は入ってきませんでした。だからこそ,東側の硬直した体制は存在できたわけです。もちろんテレビはありました。ただし,テレビを支配しておけばだいたい抑えられたわけです。ところが,パソコンが非常に普及してコンピュータネットワークができましたから,そういう情報支配が不可能になって,情報がどんどん流れるようになったのです。逆もあります。個人がパソコンさえ持っていればどんなところにでも自分がやった結果を送り出すことができるようになりました。マスメディアを支配しただけでは情報をコントロールできなくなってしまったのです。

それで,大競争時代が始まりました。個人の創造性を直接世界に伝えることには,もちろん困難はあります。あるかもしれないけれどもその困難の壁がズンと減った,1桁以上減ったというのがこの10~15年で起こったことです。つまり,社会的に貧しい国にいるとか僻地にいるとかいうハンディ,それから体が弱い,病気がちであるというようなハンディ,例えば車椅子に乗っているとか歩けない,病院にいるというような物理的なハンディが相対化しました。入院しているため仕事ができなかったような人が,パソコン1台で仕事ができるようになった。つまり,頭の中に素晴らしいものさえ生まれれば,パソコンとネットワークを使えば何とかなるような時代が来たわけです。

計算空間の出現

そのときによく考えなければいけないことは計算空間の出現です。これを説明します。計算空間というのは,英語でいうとサイバースペースのことだと思ってください。計算機の中にできた巨大な空間のことです。計算機のメモリは1台のパソコンに1ギガバイトの情報が入るようになってきました。すごい情報量です。例えば,われわれが見ているこのホール全体の情報,ここに椅子がある,人が何人いる,どういう人がいるという情報を全部集めたからといって1ギガバイトには絶対になりません。どこまでを情報とみなすかにもよりますが,われわれが使っている有効な情報という意味では1ギガバイトになりません。パソコンの中に持っている情報のほうが多いかもしれません。その意味では,われわれが見ている本当の空間とサイバースペースの容量は同程度になっているのです。

現在は,計算空間に現実空間の事象をモデル化して再現することができるようになりました。先ほど見たタンパク質がグニャグニャ動いているのは計算空間でのシミュレーションです。現実空間との対応はできるだけ取ってありますが,完全に1対1対応はしないはずです。けれども,計算空間の中でシミュレーションをしたり,可視化したり,デザインをしたり,いろいろなことができるようになっています。ここはものすごく便利な空間です。全てをわれわれがコントロールできます。プログラマが全てをコントロールできる創造主になれるのです。そういう空間です。

いったん計算空間に入れてしまうと,世界中に一瞬にして配信が可能です。また,形を入れておけば,NC機械などに入れればいろいろな原理は必要であるとしても,その形を実体化することも可能です。「こういうものがほしい」と言うとできてくる時代になってきました。どんな形でもつくれます。容易に変更が可能です。コピーも可能です。計算空間というのはその意味で非常に便利です。そういう空間がわれわれのおもちゃとして,道具として出てきたということを認識しなければなりません。

20世紀
図6 20世紀

20世紀の状況はどうだったでしょうか。三つの空間があったと私は思っています(図6)。脳がもっている空間,われわれが記憶していて脳の中でコントロールしている空間です。これを空間と呼ぶかどうかは別として,そういう世界があります。われわれが創造したり考えたりする空間です。もう一つは現実の空間です。さらにもう一つ,計算空間というのももちろんあったのですが,この空間は脳空間と現実空間との間に少し距離があり,しかもあまり大きくない,便利ではなかったという時代です。

例えば現実空間から,「学ぶ」という脳空間への情報量の移動があります。これは研究する,知るという知識活動です。反対に脳空間から現実空間への働きかけ,情報の移動もあります。これはものをつくる,ビルを建てたり,ダムをつくったり,道路をつくったり,携帯電話をつくったりという活動です。それが情報の移動です。こういう流れがあり,ここで皆さんも生活していたわけです。こうなっていましたが,けれどもこれまでは,計算空間はわりと切り離されていたのです。

21世紀
図7 21世紀

それが21世紀に入って,この三つの空間が密に連結するようになってきました(図7)。これが大事なことです。もちろん研究するとかつくるという活動はあります。ところが,もっといいバイパスができたのです。

脳空間からまず計算空間へ,例えばCADか何かでデザインして計算空間にマップする。そこに溜めておいてあとはゆっくりと自動製作,NC機械などで現実空間へ製品をつくっていく。計算空間の中だと自由自在に形を変えられますので,その意味ではあまりエネルギーを消費することなく,現実空間のものをいろいろ簡単にトライすることができるようになります。計算空間はデジタルの空間ですので,いくらコピーしても形は変わりません。現実にはいろいろな問題がありますが,原理的な問題としてはそういう質のいい空間です。現実空間にポンと置いた物は,きちんと保存していなければ錆びてきたりしますが,そういうことがないわけです。計算空間でも管理はしなければいけませんが,ずっと楽な空間です。

例えば,われわれの体一つをCTスキャンで全部取り込むということができるようになってきました。これは計測です。これは大変情報量が多い。人間ももちろん血圧を測るということで計測をしていましたけれども,その質と量がけた違いのデータが計算空間にいったん蓄えられるようになってきました。逆に,計測したものをもう一度自動製作で戻すことも可能なわけです。そういう意味で,ここに大変大きな便利な空間ができ,その方向に向かってデザインする,その効果をのぞいてみるというような動きが大事になってきています。

京都コンピュータ学院はコンピュータの学校ですので,まさにこの計算空間の部分のインターフェイス,この中を司る技術を勉強するところです。なぜこの学校が40年も続いたのかというと,この部分がどんどん成長して変化して,どんどん進歩しているので,世の中にとって非常に大事なことになってきたからだと思います。計算空間をきちんと意識するということが,われわれが創造性を保っていく上で大事だと思っています。

計算空間の可視化

そういう中で,計算空間を見えるようにする,デザインするという,脳と計算空間の間の橋渡しということが,とりあえず非常に重要です。私たちの研究所では可視化,脳空間から計算空間へモデリングするという動きを非常に大事に考えていろいろなことをしてきました。そのように考えますと,可視化という作業は計算空間と脳空間をつなぐ窓です。ドラえもんでいう「どこでもドア」のようなものです。バーチャルな空間,これは非常に便利な空間です。現実空間の束縛を離れて,例えば巨大な世界へ,太陽系や銀河系や大規模構造の世界へ飛んでいけます。バーチャルに見て感じることもできます。それから微小の世界へ,体内や分子の世界へ飛び込んでいくことができます。

「見るだけで触(さわ)れないではないか」と言う人がいるかもしれませんが,最近,ハプティックデバイスという触(さわ)れる機械ができてきました。

リアルタイムシミュレーション
図8 リアルタイムシミュレーション

これは今日持ってきていないので分かりにくいのですが,こちらをご覧ください(図8)。

これがハプティックデバイスの一つです。ファントムという機械で,ボタンを押すと一つの原子を掴むことができます。その原子がもって,感じている力を適切な力でフィードバックすることができる。本当に原子が持っている力に比例する力です。適切な感じで返すことができる。そういうことで掴んだり放したり,そこでいじったりが直接できるようになったのです。立体視でこれを見ていると本当に箸の先で原子をつまんでいるということが,直観としてはできるようになったのです。これはインターフェイスとして捉えるのも大事ですが,要するに計算空間への窓である,計算空間への操作のやり方であると理解すべきだと思っています。

そのように,バーチャルリアリティーの世界,「マトリックス」の世界が実はもうそこまで来ているということです。そのことを分かってほしいと思います。そういう現実をむしろ積極的に使おうではないかというのが私の主張です。

それで,直観的な概念把握をして,論文を書いたりする助けにしようというのが私たちの考え方です。

人の眼の観察例
図9 人の眼の観察例

これは人間の眼です(図9)。アイバンクに登録して移植手術をしようとしたけれども,何らかの問題があってそれができなかった人の眼をいただいてきたものです。大変貴重なものです。これを切り取って写真を撮るという形で3次元のデジタイジングをしています。すると,人間の眼がコンピュータの中に入るわけです。その上でこのようにして水晶体が見えますが,人間の眼の情報がコンピュータの計算空間にマップされます。入れ込むことができるのです。われわれはこういう装置を開発しています。

生体力学シミュレーションのための超弾性FEM解析プログラム
図10 生体力学シミュレーションのための超弾性FEM解析プログラム

それで何をやりたいかというと,これは網膜剥離の手術のシミュレーションです(図10)。網膜剥離が起こった場合は,このように鉢巻を巻いて押さえ込む。それで今後の形を整形して網膜剥離を止める。ある程度年を取りますと,こういうタイプの網膜剥離が起こりやすくなります。このような手術をすることによってここの形がよくなって,網膜剥離を止めることができるわけです。そういうシミュレーションをするときに,この鉢巻の形状や縫い込み方をどうしたらいいかというシミュレーションをあらかじめやっておく。これは今まではお医者さんの経験と勘でやっていたわけです。となると,絶対に初めてやるお医者さんがいるわけで,そのお医者さんの最初の手術対象者に私はなりたくありません。シミュレーションでとりあえず練習しておいてほしいと思うわけです。

このようにして私の眼の形をCTで撮れば,データが取れるわけです。そのデータを使ってあなたの眼はこういう手術をしますということを教えてもらって,そのとおりの練習をしてくれると失敗が減るのではないかと思います。

そういうわけでこのように計算空間へデータを書いていく。そこから有用な情報を取って脳空間に送り返すということを意識しながらやることが今後は大事になってくるのではないかと思います。


計算機の中の脳

最後にお話ししたいのは脳についてです。これまでお話ししましたように,今や計算空間というのは脳空間とほぼ同等の広がりをもった空間です。すると,こういう野望が芽生えるわけです。われわれの脳を計算機の中につくれないかということです。そして非常に不思議な心について研究したい。心とは何か,心が生み出す存在,心の中に宿る神について,考えられるかもしれません。これは今まで哲学とか神学の扱うもので,科学の対象にはならなかったのです。なぜならなかったかというと,実証主義的に研究する手段がなかったからです。心は見えない。皆さんの心の中は私からは見えない。ですから心理学は難しいわけです。けれどもそれをもっと客観性のある計算空間に移すことができれば,何でも見えるわけです。そういうことが可能になるかもしれないという話です。

ハードウェアとしての脳を考えてみましょう。脳研究者によれば,私たちの脳の中には1,000億個の神経細胞があるそうです。神経細胞というのはどういう働きをするかというと,他の約1万個の神経細胞から出てきた出力を入力して,自分の興奮度を決定するという作業をします。だいたい0.1秒に1回,興奮度を更新します。ホルモン等の化学物質の影響を受けて,興奮の度合いは変動します。

では,計算機としての神経細胞は何かということを考えてみますと,「ニューロンモデル」と記述できるはずです。約1万個の入力を積算して,それにある重み係数を掛けたものが閾値を超えると興奮状態になる。その閾値は過去の履歴といくつかの化学物質の影響で決まっていくということになっています。興奮しやすいような心理状態,アドレナリンがたくさん出るような状態だと発汗しやすいし,逆の場合は止まりやすいという形になっています。

こう考えますと,1万個の入力を1秒間に1,000回重みを掛けて,足しているということになりますから,だいたい20メガフロップスぐらいの計算機に対応している。そういうCPUなら1個のニューロンにエミュレート(匹敵)できるということになります。内部変数は,どのニューロンからの出力を重視するかという重み変数が約1万個あり,閾値はおそらく1個です。

これを超並列システムで実現するということを考えています。1ギガヘルツクロックで駆動される普通のCPU1個は,約100個のニューロンと等価です。100個のCPUを結合すれば1万個のニューロンと密結合できます。全脳は,1,000億個のニューロンでできているので,だいたい2,000ペタ・フロップスぐらいのマシンに相当します。すごいなと思われるかもしれませんが,私が今度つくりたいと思っているのは1ペタ・フロップスのマシンなのです。ということは,すでに1,000分の1になっているということなのです。脳全体の計算能力と同程度の計算機をつくろうと思ったら,少し足りないということです。しかし1,000倍などはすぐにできます。10年後には楽々できます。10億個のCPUを並べればいいので,超並列で動いているのですから,結合することは比較的簡単です。

どういうものになるかというと,消費電力はCPU1個が10ワットだとします。これを10億個並べると100億ワットです。けっこうすごいです。設置面積は約3キロメートル四方は必要でしょう。予算は1CPUを10万円とすると100兆円ぐらいかかるでしょう。技術進歩と工夫で100分の1にすることが可能だとすると電力が100メガワット,これも発電所がいるぐらいですが面積は300メートル四方,予算は1兆円ぐらいです。これくらいだと,日本国家は支出できなくない数字かもしれません。

そういうわけでそのぐらいのものはできるかもしれません。まだ大変なので,10分の1ぐらい,デシブレインをつくるとします。デシブレインは100億個ニューロンでできています。人間の脳はそのほとんどを使っていないといわれていますので,10分の1でも十分活発なニューロンは表現できるであろうと考えるわけです。電力10メガワット,面積約95メートル四方ぐらいのものが1,000億円程度でできることになります。このぐらいだとすばる望遠鏡が数百億円でしたし,宇宙ステーションに日本が出資する金額がこれぐらいでした。とにかく例はあります。これに投資するかどうかは別問題として,不可能ではありません。正しくプログラムすれば脳らしい機能の一部は再現できるはずです。

心はデシブレインに宿るか

はたして心はこのデシブレインに宿るのかというのが重要な問題です。今までは質量転換というのがあって,まだニューロンの数が足りないという言い訳ができたのですが,それはもう言えません。ここが大事なところです。実証的に検証しようというのが私の提案です。

心は生まれるか。今の計算機をいくら集めても心は生まれないと思います。何かがいる。何かをしたいという意思,もしくは誰かと一緒にいたいという愛。先日亡くなられた有名な脳科学者の松本元先生は,「愛は脳を活性化する」とおっしゃっています。脳にとって愛は非常に大事なものです。愛とは何か,意思かもしれません。何かをしたい,誰かと 一緒にいたいという意思,矢印です。そういうものをプログラムします。現状から未来を予測し,「このままではまずいかもしれない。なんとかしよう」と自分にとって望ましい未来の実現へ行動する。そういう働きのことです。そういうものだと定義します。こういうものをもっていたら,ものとして創造性,何かを生む,ゼロから1を生むことができるのではないでしょうか。

ところが,どうやって育てるかがけっこう大きな問題で,十分にケアしてあげないとおそらくグレると思います。近頃の小学生と同じです。人間の母親が赤ん坊に話しかけるように,毎日毎晩,話をしてあげないといけません。少なくとも3年,下手をすると10年間ベビーシッターとして働かなければならない。こうすれば,もしかするとグレない脳ができるかもしれません。そういうことを考えています。後はハードウェアだけの問題です。

あちこちでこういうことをお話ししているわけですが,すると脳科学者は,「人間の脳細胞,神経細胞はもっと高度だから,もっといろいろな機能を入れなければなりません」と言います。それで私が「何が足りないのか具体的に教えてください」と言うと,まあ答えは出てきませんでした。ニューロンモデルがだめだというのなら,あなたは研究しているのだから超ニューロンモデルをつくってくれ,どういうものがニューロン,心を生むための本質なのか,それはニューロンにあるのか,仕組みにあるのかということはわからないわけです。「心の種とは何だ」ということを教えてくださいというわけです。

それから一般の方の不安は,「反乱を起こさないでしょうか」というような,「2001年宇宙の旅」という映画もありましたし,今年は「ターミネーター3」も上映されますが,スカイネットのようなものができたらいやだと思います。たしかに心配ですが,ターミネーターのような世界を見てみたいような気もしますし,そういうものをつくってみるというのはエンジニアとしては憧れます。

キリスト教においては,創造できるのは神だけで,創造する人間にはその瞬間,神が宿るという認識をするのだと聞いています。これは大事なことで,人間の創造活動は神の力を借りたものだとすると,創造できる神というものはいったい何なのかということを問うことにもなるかもしれません。もっといろいろな教義があるかもしれませんので私には何とも言えませんが,そういうものとも絡んでいます。

キリスト教の神は,この創造することの不思議さを「神」というもので表現しているのだと思います。それはいったい何なのかということを,デシブレインができたら議論できます。創造することが可能になれば,実証主義的に創造の「ヒケツ」は何かということを客観的に議論でき,その過程を追いかけられるわけです。脳の中を開けるわけにはいきません。それをデシブレインのほうにマップして過程を追えるかもしれない。できないかもしれませんが,できなければ何が足らないのかを考えればいいわけです。そういうことができるかもしれません。これこそが科学のやり方です。

全体のまとめですが,コンピュータは非常に便利な道具で,世の中を変えています。例えば東西の冷戦体制が崩壊したのは,コンピュータネットワークが一つの大きな力を与えたからだと思っています。もちろんゴルバチョフが変えたのかもしれない。けれどもゴルバチョフがそうしなければならなかった背景には,こういう自由な情報の伝達があったと思います。ここに新しい空間,計算空間というものができたということをわれわれは噛み締める必要があります。これをどう使いこなすかが今後の創造性の鍵になります。

最後になりますが,脳の再構成が可能な時代になってきました。それは,「人間とは」「創造性とは」「神とは」ということを,真剣に科学的に考えられることを意味します。

どうもありがとうございました。

(2003年6月14日)


この著者の他の記事を読む
戎崎 俊一
Toshikazu Ebisuzaki
  • 大阪大学理学部物理学科卒業
  • 東京大学大学院理学系研究科天文学専門課程博士課程修了
  • 神戸大学大学院自然科学研究科助手,東京大学教養学部宇宙地球科学教室助手,同助教授を経て,理化学研究所情報基盤研究部長
  • 現在,独立行政法人理化学研究所 計算宇宙物理研究室主任研究員

上記の肩書・経歴等はアキューム13号発刊当時のものです。