最近あるテレビ番組で面白い試みを見た。それはクラシック音楽の演奏を聴くのに,アナウンサーが3人,それぞれ分担を決めて解説というか,ナレーションというのか,作曲家が曲作りの中で,感情表現や風景描写といったものを,演奏と同時進行でラジオの実況放送のような形で放送するものだった。
街中の喧噪な場面や大きな河の流れ等を実況放送風に言葉で聞きながら,演奏がその場面を音楽的に表現されて行く時,いちいちうなずくことが出来たからである。
私はこの番組を見聞きして,成程と思い,その曲目への理解を深めたような気がした。
作曲家や演奏者がそれぞれの場面と風物や情感といったものをいかに音楽的に表現するか,そこに音楽の芸術性があり,評価されるところだと思う。
音楽会のプログラムにも曲目解説や作曲家の年代や生地,それに曲の背景となるもの等が記されている。
私は,歴史的にその年代に遡り,その背景を想起してクラシックを聴くまでになるには,まだまだ程遠く,まだまだ未熟だと感じたものである。 我が国にも古典芸能と呼ばれるものが,歌舞伎や文楽等いくつかあるが,中でも能と狂言がその代表格であろう。 かつて,私はこの能と狂言にかかわっていた時期があった。
能楽(能と狂言の総称)は600年余の伝統をもつ古典芸術である。その芸術性は多面的なものを持っている。
前述したクラシック音楽も能楽も共通して,聴く側の人と観る側の人に情感を要求し,その人達の知識や経験,また見聞したことのある事象の寡多により,その理解度を異にし,そのことによって聴く楽しさ,観る楽しさに差違を生じるものなのである。
能の場合,簡素化された能舞台をご存知の方も多いと思うが,三間四方の本舞台,背景となるバックは鏡板(松羽目と呼ばれ老松が描かれている)だけ,そこに連なる橋掛り(欄干を付け楽屋から舞台に通じる渡り廊下)と,単純そのものの空間である。
例えば,能「羽衣」,この曲は天女と漁師の民話としてよく知られているが,その最後のクライマックスとなる一場面。
天人は漁師から羽衣を返してもらい,その歓喜の舞を舞いながら天上へと帰って行くところ。
その背景となる三保の松原は謡曲によって表現されはするが,ここで観る側の人それぞれが,かつて見聞した限りにおいて,最も美しかった海岸風景を想起してバックに描けばよい。
白砂青松の連なる景観をバックに,羽衣を着けた天人と漁師との所作(動き)から天人の喜びの情感を受け止め,同時に地謡のコーラスとお囃子(笛・鼓・太鼓)の音楽的伴奏を聞くことによって,より情感を昇華させる。
そうして,天人の羽衣を着けた美しい舞姿を天上まで見送ることが出来れば最高。ここに能がもつ幽玄の世界があるといえる。 このように能も観る側の人の理解度によっていくらでも美しく,楽しく観ることが出来,そこに能楽が象徴芸術だといわれる所以がある。
能を観る楽しさはまだある。音楽・舞踊・演劇,それから彫刻や絵画といった美術工芸,また文学や和装意匠,ファッション等と色々な分野からそれぞれ眺めることが出来る。
能を構成する謡曲と舞やお囃子それから能面や能装束等をそれぞれ一つ一つ取り上げ探究するのも興味深いものがある。 私がその中でも特に興味をもち,その魅力にとり憑かれているのが「能面」である。
前日,学院の就職部長 清水さんから「中村保雄先生をご存知ですか」と声をかけられた。清水さんが中村先生とお会いなった際に私のことが話題になったそうだ。
私にはそのお名前が非常に懐かしく思えた。
中村保雄先生(現・京都文化短期大学)といえば能面研究では第一人者である。私もかつて何かとお世話になった。またご指導もいただき,懇意にしていただいた方である。
能面の虜になったのも,この中村先生から受けた感化と影響が大きかった。能面の虜になって,能面の制作も手がけたことがある。
能面を作ることを「面(オモテ)を打つ」という。
京都には北沢如意師という高名な面打師がおられた。私はその門弟である石倉耕春師に面打ちを師事した。また一時期には北沢師の息子さんにも指導を仰いだことがある。
現在は面を打つ時間的な余裕もないが,何時か機会があれば面打ちを再開したいと思っている。
能面の中でも若い女性を主人公とする能に主として使われるのが小面(コオモテ),若女(ワカオンナ),孫次郎(マゴジロウ),節木増(フシキゾウ)等がある。
この中でも一番年若く16,7才の処女の面が小面である。
平安から鎌倉期にかけての時代,さる高貴なお方のお姫さまがモデルだといわれている。当時,女性は未婚・既婚を問わず成人すると,眉毛を抜き,額に高眉を描く。また,お歯黒で歯を黒く染めるのが風習であったそうだ。髪は真中で左右に分けていた。その面相を女面に見ることが出来る。
最近この女面が色々な宣伝に使われているのを目にすることがあるが,面を打つ中では一番難しく,苦労するのもこの女面だ。
豊臣秀吉は大変に能を愛好した。当時,面打ちの名人といわれた竜右衛門(室町初期の人)の作になる小面を三面所有していた。
その三面に秀吉は若さと花やかさの順に「花・月・雪」の名を付けて愛用した。
秀吉が晩年,その師匠の金春大夫に「雪の小面」を,後事を託した徳川家康に「月の小面」を与え,「花の小面」を当時名人といわれた金剛大夫に贈ったそうだ。
この雪月花三面の小面は現存しているが,残念なことに「月の小面」は現在行方不明になっている。
「花の小面」は東京の三井家に秘蔵されており,「雪の小面」はその所有者を変えて,現在は京都に在る金剛流宗家に見ることが出来る。
金剛家(四条室町上ル)では毎年夏になると古くから伝わる能装束等の虫干しが行われ,一般公開されている。その際「雪の小面」も間近に見ることが出来る。
若い女面にもかかわらず「孫次郎」という呼び名も面白い。これは作者の名を取って名付けたというのが一番正しい説のようである。この孫次郎が金剛家の女面といわれている。
狂言にも面を使う演目が何番かある。狂言の若い女性を代表するのが「乙(オト)」と呼ばれる面である。
能の若い女面が往時,美形の女性代表ならば,この狂言面の乙はその反対を代表するものであろう。
しかし,乙は愛嬌は一番,可愛さこの上なしである。お多福さんの元型といわれている。
昔,京美人といわれた「下ぶくれ」「うりざね顔」といった豊頬型の面相も最近はあまり見なくなった。
これはメイクアップの為か,また食べ物の関係か美形の流行による変化によるものであろう。
我が家の家系も女性は「乙」の系統である。あまり今風の美形はいない。
ファッションの流行が周期的に変っているように,女性の美形も周期は長いが変化している。能面が好きな私には早く周期が巡って来てほしいものである。