この原稿は,OASYSポケットという旧型の携帯ワープロで作成した。もちろん,筆者が本などの執筆の際には常に,この旧型の携帯ワープロを使用している。Windows98,CEがある今日,わざわざ,このワープロを買う人はいないだろう。だからといって,このワープロを不自由だと感じていない,いや,このワープロの方が機能的だと感じている筆者が,今発売されている情報機器を執筆に際して使うことはない。新しい情報機器の選択は,それ以前に手にした情報機器の「使いこなし」の如何により変わるものである。新発売の製品がいいとは限らない。にもかかわらず,最新鋭,最高速のトレンドを追いかけるだけの情報機器が世の中に蔓延しているのは,はなはだ嘆かわしいものである。あたかも,情報機器を購入することが目的になっているかのようだ。道具に過ぎないはずの情報機器なのに。
今は,午前4時。布団に寝そべって,この原稿を旧型の携帯ワープロで入力している。これから通勤電車のなかでも入力することになるだろう。もちろん,立っている状態で。数日後には出張もあり,それまでに入力が完了していなければ,移動中の飛行機や電車・バスのなか,ホテルの机やベッドの上で入力することになるだろう。このように筆者の執筆活動は,時と場所を選ばない。むしろ,「これを書こう」と発想がうかんだ時に,その場で入力すると表現した方がいいのかもしれない。そのような効率的な文書作成のためには,机のうえに鎮座ましますデスクトップパソコンは不要,ノートパソコンでも不自由である。必要なのは,そのような時と場所で軽快に入力できる道具としての携帯情報機器である。もちろん,道具の携帯性や処理能力も重要であるが,それよりも筆者とその道具の親和性,つまり「使いこなし」が軽快に入力するために最も重要なのである。だから,1993年から使い続けている道具が手放せない。
入力や自らの目で確かめる校正作業が終わると,パソコンに原稿データを転送する。そのパソコンは,1989年から使いつづけているDOSマシンである。ワープロソフトも一太郎Ver 4.3だ。このデスクトップ型パソコンは,個人事業用の経理・資金繰りにも活用しているものである。つまり,自宅のパソコンの前に座って行うのが最も効率のよい仕事に限って,デスクトップ型パソコンを利用しているわけだ。しかも,その種の仕事にわざわざWindowsマシンを使う必要はない。いや,使うべきではない。なぜならば,その種の仕事にビジュアルな表現は必要ないからだ。ビジュアルな表現とその操作をしやすいようにしているWindowsマシンは,その種の仕事をこなすのには,逆に足手まといになる。このアキュームの形にビジュアルに仕上げるのは出版社の仕事であり,筆者の仕事ではない。筆者は,紙あるいはFD(フロッピディスク)で文書を提出し,必要な写真をプリントして添付すればいい。この過程で最も重要なのは,この原稿を第一の読者(妻)に読んでもらうことである。提出する前に,自分以外の人の目でチェックしてもらうために,ある程度の書式で印刷することである。そして,文の組み立てや誤字脱字を直して,提出するのである。もちろん,文全体に問題があれば,全文書き直しということもある。原稿の修正とある程度の体裁に印刷すること,それがこの段階の仕事に必要な道具の条件である。
筆者の原稿作成の二つの過程のなかで情報機器は道具に過ぎない。その道具はそれぞれの過程のなかで仕事の効率を阻害するものではない。しかし,最も効率のいい方法なのかは自分でもわからない。自分が販売店で手に触れた情報機器に比べてベターであるに過ぎない。だから,もっと仕事の効率があがる情報機器があれば,その購入も拒まない。ただし,その道具を勧める人にとって効率がいいからといって,直ちに購入することはない。道具と人間との親和性は,双方のバランスによって成り立っているからだ。なお,筆者は業務ネットワークシステム構築指導のためにWindowsNT・95,電子メールのためにDOS版モバイルギア(原稿入力の後継機としても使用中),手帳がわりにポケットザウルスと,それぞれの目的に応じて道具を使い分けている。情報処理技術者もパソコン,とりわけWindowsだけの偏った技術を身につけるのではなく,様々な人の利用目的に照らし,新旧様々な情報機器のなかから最良の道具を選ぶ幅広い技術を持ち合わせて欲しい。
企業の情報化についても同じことがいえる。企業が存続し発展しつづけるために,道具としてのパソコン等を活用するに過ぎない。もちろん,パソコン等を導入すれば解決するような簡単な問題ではない。企業としての戦略(長期目標)とそれを単年度ごとに実行する戦術(短期目標)を練ることが必要である。その戦略と戦術を物的に補完する仕組みのひとつにパソコン等のコンピュータ活用がある。企業情報化は,企業の存続・発展を目的とした「人・モノ・金・情報」を連鎖させる仕組みづくりを指す。計画性のないパソコン導入は単なるパソコン化であって,企業情報化とは異なる次元のものである。
さて,筆者が情報化指導をしている企業のなかで,タオル卸売業を営む年商20億円弱の中小企業がある。存続・発展をかけて,企業のスリム化と迅速な情報伝達が不可欠とされた。このため,経営者は1995年に「支店レス支点」戦略を立案,1998年より完全実施の時を迎えた。「支店レス支点」戦略とは,全国にある支店を廃止し,営業員ひとりひとりを支店の機能を持った支点にするものである。つまり,営業員は会社に出勤することは不要となり,効率よく取引先を回ることができる。そのために,支店在庫を本社物流センターに集め,支店在庫をゼロにすることからスタート。昇級や賞与も実績ベースの計算方式に切り替えた。しかも,役員や従業員,そして取引先に理解を求める活動に時間を割いた。筆者はその間,実現可能な情報システムを検討した。実現可能とは,金銭的な問題と人的な問題をクリアすることである。たとえ提示されたシステム案がどんなにいいものであっても,企業規模に比して多額の投資が必要であれば導入には至らない。もちろん,導入してしまって経費が増大して経営を圧迫している例も少なくない。また,システムが完成したとしても,使いにくいものであったり,営業員にとって利益にならないものであれば,営業員がそれらの情報機器を操作し使うことはないだろう。システムは完成したが,使われずにほこりをかぶるのが関の山なのである。
そこで,まず金銭的な面をクリアした。支店レス支点支援システム構築費用を150万円以内にする提案を行い,経営者の理解を頂いた。一般的に,会社にサーバー(中核のコンピュータ)を設置し,営業員に携帯情報機器を持たせる。WindowsNTをサーバーとし,営業員にWindowsマシンやWindowsCE端末を使うことが多い。しかし,この方法はお金がかかり過ぎる。営業員が10人いれば,端末だけでも100万円,到底金銭的な問題をクリアすることはできない。
また,人的な問題については,ザウルス等の情報端末を営業員に操作してもらったところ,意外な問題に直面した。中高年者が多く,小さくて字が見にくい。しかも,タッチペンやマウス等によるビジュアルな操作が苦手であることに気がついた。後者の問題は教育訓練により解決は可能であるが,それに要する労力・時間・費用も多額であるし,今後中高年者を採用する際に常につきまとう問題になってしまう。
そこで,経営者とともに考案したのが一世代前のソフトと一世代以上前の情報機器を使うことである。結局,予算を遥かに下回る50万円未満でシステムが完成したのである。
サーバーには,デスクトップ型のWindows95マシン。20万円程度の普及機で,DOSソフトの組み合わせだけでシステムを作成している。Windowsでは普通のスピードのマシンでも,DOSソフトだけを動かすのであれば高速マシンとして利用できる。また,電話回線は1回線のみで,フリーダイヤルで営業員からの情報のリクエストに応えている。営業員10人程度であれば,複数回線敷設する必要はない。もちろん,インターネットも使っていない。これは,セキュリティの確保も考慮している。インターネットで自由に情報を閲覧等する仕組みにセキュリティーをかけることは,所詮,厳重に鍵を掛けた会社の金庫を道路に固定しているようなものである。たとえ電話代が安いからといって,社外秘である販売・在庫情報をインターネットで発信する道具の選択は正しいとは思えない。しかも,インターネット上でセキュリティーを確保するのに多額の費用がかかる。
営業員に渡した端末は,中古のノートパソコンである。それも初代から3代目の最古型で,中古ショップで7千円程度のモノである。これに2400bps程度の今では使い道のなさそうなモデム,中古ショップで1500円程度のモノである。このような今では使い道のなさそうな低速なモデムでも,ビジュアル情報の送受信をしなければ,十分機能する。ニフティなどのパソコン通信もこの程度で十分なのである。しかも,キーボードにシールを貼り,操作手順がわかるように工夫している。
一人の営業員当たりの情報端末費用に1万円かからないので,「支店レス支点支援システム」の通称はインターネットやイントラネットをもじって「マントランネット」と呼んでいる。
ところで,通信販売やインターネット販売で世の中すべてがまわるような錯覚に陥る。しかし,このようなインターネット時代になったからといって,大規模小売店や商店が全くなくなるはずもない。結果,中小の卸売業も存続・発展の可能性もある。時流に乗った経営をすれば,物流の担い手として大いに機能することだろう。卸売業の営業員と小売業の方々とのコミュニケーションは今後ますます重要になる。そこでは,時間を増やすだけではなく,営業員の質が高まるような迅速な情報受発信が必要である。大手と違って,中小企業の営業員が携帯情報端末をちらつかせたところで,商売が広がるとは思えないからだ。営業員の人間味を前面に押し出し,情報端末は自宅で操作する程度の後方支援型にすることが温かい企業情報化だと考える。我々は考える葦であって,ロボットではない。今の企業情報化の行く先は,冷たいコンピュータ化とロボット化への一本道のようだ。情報処理技術者は,道はまだ他にあることを知り,自分の常識以外に他人の常識があることを踏まえた企業情報化支援をして欲しい。
オリヴァー・ウェンデル・ホームズの「一頭立ての馬車」と題する詩がある。これについて,サイバネティックスの創始者ノバート・ウィーナーは著書『人間機械論』(第2版/鎮目・池原訳 みすず書房)のなかで次のように述べている。
「この古めかしい馬車は,設計が非常に綿密で,百年も使われた後に,車輪・帆・車軸・座席のいずれにも,それを組み立てている部品のどれかが他のどれかの部品より耐久性が高いという不経済さがなかったことが立証された。たしかに,この馬車は工学技術の頂点を象徴しているもので,滑稽な空想ではない。もしも,タイヤがスポークよりも,あるいは泥よけがシャフトよりも少しでももちがよかったなら,それだけの経済価値がムダになってしまったことになる。だから,馬車全体としての耐久性を害さずにその部品の値段を安くするか,またはそれだけの費用を馬車全体に均等に注ぎこんで全体としての耐久性を増すことができたはずである。実際,この一頭立て馬車のような性能を持たぬ構造は,設計にムダがあることになる。」
これは,経済価値のムダを生まない工学技術の頂点として,どんな技術者でも心がけるべきことである。しかし,情報処理産業ではどうであろうか。まだ十分使えるパソコンなどをスクラップにしているところが報道されたこともある。新機種の発売のために,発売から半年も経っていない旧モデルをスクラップにすることもあると聞く。これは,急速な技術革新やコンピュータメーカーや基本ソフト(OS)メーカーの戦略として片づけていいのだろうか。筆者には,情報処理産業を支える技術者がその工学技術の頂点に立とうとする志をもっていないとしか思えない。もちろん,「一頭立て馬車」は欧米の話であるし,欧米で一頭立て馬車が今走っているかといえば,その数はごくわずかであろう。しかし,すべて無くなったわけではない。新しいモノだけを追いかけるのではなく,たとえ古くても安価になったモノで十分機能する,いや,その方が適切な場面には,それを適用する。そんな柔軟な新旧の技術の適用が情報処理技術者にも求められている。
そのためには,ひとつの技術に没頭する前に,多くの技術に関してある程度精通しておく必要がある。そのバランス感覚がない技術者の仕事は趣味の域を脱しないものである。趣味は自らが楽しむもの,しかし,仕事として他人に喜んでもらうためには別の要素が必要である。ビジネスの世界では,その技術を導入することが目的ではない。会社が繁栄する,その会社のお客さんに喜んでもらう,ひいては社会に貢献することが目的である。その目的を達成するための「人・物・金・情報」による組織的な仕組みの一部に情報処理技術を道具として利用する。だから,最新鋭の高速・高機能な道具を買うとか,その技術習得が楽しいからというような趣味の域で,情報処理技術の選択はしない。より安く,より長く,より安定した情報処理技術を使い,社会の変化に対応するために必要に応じて拡張が容易にできる技術を選択することを望んでいる。そのためには,それぞれの会社が目的とする方向に,より適した情報処理技術を選択することが情報処理技術者の使命といえよう。