突然の激しい揺れと大津波が東北地方および関東地方の太平洋沿岸部を襲い,日本の観測史上最悪といえる壊滅的な被害をもたらした。2011年(平成23年)3月11日14時46分18秒。宮城県牡鹿半島の東南東沖130kmの海底を震源として発生した東北地方太平洋沖地震は,日本における観測史上最大の規模,マグニチュード9・0を記録した。この地震により,10m以上にも及ぶ大津波が発生,街や人々を次々と飲み込んでいった。地震の揺れや液状化現象,地盤沈下,ダムの決壊などによって,東北と関東の広大な範囲で被害が発生し,各種ライフラインも寸断された。2011年12月時点で,死者は宮城,岩手,福島県などを中心に約15800人,負傷者は約6000人にのぼり,なお行方不明の方が3500人余もおられる。建築物の全壊・半壊は合わせて32万戸,ピーク時の避難者は40万人,停電世帯は800万戸,断水世帯は180万戸に上った。政府は震災による被害額を16ー25兆円と試算している。
この地震と津波による被害を受けた東京電力福島第一原子力発電所は,すべての電源を喪失して原子炉を冷却できなくなり,放射性物質の大量放出を伴う重大で深刻な原子力事故に発展した。これにより,原発周辺一帯の福島県住民は長期の避難を強いられている。この事故により,東北と関東ばかりでなく全国的に反原発の動きが高まり,原発を持つ自治体が定期検査後の原発再稼働に難色を示すなど,深刻な電力不足を招いた。電力の使用が多くなる夏や冬には需給状況が各電力会社から示され,国民は「節電」に努めた。
この地震発生を受け,京都コンピュータ学院の西村祐二郎・鴨川校教頭はボランティア活動のため被災地のひとつ・宮城県石巻市を訪れた。その際の報告(KCGブログ掲載)を紹介する。