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Accumu 卒業生登場 ある世代の肖像 1978年入学生3人が語る

卒業生登場 清和中央ホールディングス(株) 大月健嗣さん

清和中央ホールディングス株式会社 経営企画部 電算課課長
1980年 KCG情報科学科卒

清和中央ホールディングス(株)大月健嗣さん公私コンピュータ一筋

大月健嗣さんは大阪の鉄鋼商社・清和中央ホールディングス㈱で電算課課長という要職を務める。システムの責任者として,構築と日常の運営にあたっている。高校のころから数学が好きで,コンピュータにも興味があったという大月さん。野球部に所属して汗を流す一方で,簡単なプログラム作りなどに熱中していた。高校卒業後は迷わずKCGの門をくぐり,学院入学後も自ら「コンピュータ中心の生活」という猛勉強ぶり。FORTRANの授業では,先生が問題を出している間に手を動かし,出題が終わった時には解答ができていたという。

「コンピュータはやはり向いていたし,好きでした。だからこそ,その後のコンピュータ一筋の人生があります」。

「ただ,当時はパソコンも普及していなかったから,大型機にパンチカード。パンチカードを打つのも予約の取り合いで,簡単ではなかった。 浄土寺の校舎にパンチカードがあって,それを出町の校舎に持っていってTOSBAC - 3400 でコンパイルするんです。それも授業の合間を縫ってです。何をするにも時間がかかる。だから今でも,勉強が十分できなかったという思いがあります」と,今どきの学生が聞けば耳が痛くなるようなことを,さらりと口にする大月さん。「今の学生はパソコンで何でもできるんですから,本当に恵まれていますよ」とうらやましがる。

卒業後,唯一のコンピュータ専任者として清和中央ホールディングス株式会社の前身の清和鋼業株式会社に採用されて30年。まさに日進月歩のコンピュータの進化とともに歩んできた。「最初は売上伝票を管理し,そこから請求書を出すといった使い方でした。売掛金の管理ができたらいい,というだけの用途だったのですが,やがてコンピュータで在庫管理もするようになりました。そこまでは専任のパンチャーがいて,伝票を打ち込んでいましたが,次にオンライン・ネットワークができて,各職場で各人が数字を入れるようになりました。すべてを一括管理する総合システムになったわけです。それが15年前ぐらい。そのあたりまで,わが社のプログラムは私が全部一人で作っていました」

大月さんにとってプログラミングは「半分趣味」だという。仕事以外でもパソコンの自作,知人のパソコン修理など,コンピュータに触れる機会が多い。それが苦にならないからこそ,コンピュータ一筋の仕事も続けられた。

大月さんは今,大きな仕事に取り組んでいる。清和中央ホールディングスは2008年に清和興業と,関東の中央鋼材株式会社という会社が経営統合してできた会社である。大月さんはその後,システムの統合を進めてきたが,いよいよ大詰めを迎えつつあるという。「これが私の集大成だと思っています。この経験を部下に伝えていくことで,次の世代の育成という意味もあります」と意気込む。

大月さんが,コンピュータ教育機関としての母校に求めるものは何だろう。「実際にエンジニアとして働くと,学校で習ったことは基礎でしかない。満足なプログラムが書けるようになるには長年かかります。だから学校には,そのベースになるようなしっかりした『人間』を作ってほしいですね」。

「いろいろなことに興味を広く持って,視野を広げていくことが結局エンジニアとしての能力を広げていくことになる。いろいろなことをすることによって,アイディアが浮かぶということもよくあります。それがないと,きっちりした問題には答えられても,フリーな問題に対応できない」。大月さんは,その意味で,最近の若者には危惧の念を持っているという。

「社会とのつながりがわからない子が増えていると感じます。中学や高校の受験が忙しいためなのかな。仕事の上ではコミュニケーションも重要なのですが」。

その意味でも,大月さんはKCGに期待を寄せているようだ。「今では海外コンピュータ教育支援活動や学術交流など,海外とのつながりも大きいと聞いています。卒業生もボランティアなどいろいろなことをやっているようです。社会に貢献するような学校になっているのはうれしい限りです」。大月さんの厳しい顔が一瞬ほころび,優しい笑顔がのぞいた。

清和中央ホールディングス株式会社
資本金:7億3,580万円
所在地:大阪市西区九条南3丁目1番20号
設立:1954年3月
URL:http://www.seiwa-chuo-holdings.co.jp/