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Accumu Vol.18

日本初のコンピュータ博物館設立に向けて

京都コンピュータ学院 学院長

京都情報大学院大学 理事長

長谷川 靖子

第I章 時代的背景

長谷川 靖子

わが国の一般博物館の変遷は次の4世代に分類される。

第一世代 ―収蔵型―

博物館が始まってから1970年代までは,博物館は収集・収蔵型であり,収集した資源の維持・保管・修復を役割とした。

第二世代 ―収蔵・展示型―

1980年代,1990年代は収蔵に加えて展示型となり,人々に向かって開かれるようになった。来館者に対して,収蔵された文化財を“展示”することや,教育プログラムの展開,機関誌等の刊行等,外へ向けてのミュージアム・ミッションが育っていった。

第三世代 ―参加・体験型―

世紀末より21世紀初頭にかけて,これまで二次的と思われてきた来館者の学習,経験への効果,社会文化的意義などが重視されてきた。これにつれて来館者に対する単なる収蔵展示から,来館者が積極的に参加できる参加・体験型へ進化していった。この時期,法改正により学校との教育コラボレーションが推進された。

第四世代 ―サービス型,デジタル・ウェブ型―

第三世代に始まった参加・体験型が,ますます発展し充実していった。すなわち専門性を展示するという形に終始しないで利用者のニーズを考えながら,それに対応したツールを用いて,多様な形態で情報提供するという「サービス」の側面が重視されていった。

一方,デジタル時代に対応して収蔵物のデジタル化が進み,インターネットの普及と共にサイト上での博物館利用が積極的に推進された。この流行の波に乗って,リアルな保存よりもアーカイブとして残す方へ主力が集中し,サイト上での博物館鑑賞へ一般の関心が高まっていった。

第一世代,第二世代においては,博物館は自らの理念に従って忠実に機能し,それなりの責任を果たした。しかし,第三世代から第四世代にかけて,急激な博物館の増加(1990年に比べ約2倍)と共にミュージアム・ミッションの思想が輸入・浸透し,社会的効果が厳しく問題視されるようになっていった。

日本の博物館は,各地方自治体で知事や市長選挙公約の道具として,あるいは何らかの記念事業としてその建設が目的とされてきたことが多く,概して「ハコモノ」先行で,建設後における他との連携による社会活動は重視されてこなかった。そのため,「ハコ」が出来た後は,社会的ミッションとしての運営のよき進展が見られず,結局〝「ハコ」しか残らない〟という状況に陥っている博物館は少なくはない。

わが国の「文化」に対する考え方の貧困さが根底にあるとしても,全国に約5600ある博物館と類似博物館施設のうち,数多くが形骸化し運営は大赤字となり,次々と閉館云々が論議されるようになっている現状は,非常に残念である。

博物館の三大要素として,「資料の調査研究」,「収集・保存・展示」,「学習支援」が挙げられるが,最近,特にフォーカスされているのが,第三世代の特徴「学習支援」である。日本文部科学省教育基本法(2006年12月22日公布施行)には,生涯学習の理念が掲げられている。博物館は,この理念における社会教育施設として位置づけられており,社会の要請に応えて社会教育を推進する目的を有している。

2002年に新しい学習指導要領が発表され,学校教育における週休2日制が導入された。土曜日の小・中学生の受け皿としても考慮されて,博物館,その他の社会教育施設は,「総合学習の時間」における学習の場として,その活用が推奨された。学校側では,指導要領改定を機に社会への開放の気運が高まり,また博物館側も学習支援活動を自らの責任として認め,学校との連携を真剣に考慮するようになった。しかし,残念ながら現実には学校の壁や閉鎖性が―関係者の硬化した意識の故か―簡単にはクリアされず,学校と博物館その他社会教育施設とのバリアフリーの連携は,スムーズな進展を見せるには至らなかった。

欧米では,早くから博物館など社会教育施設が自らの教育活動をミッションとして,積極的に小・中学生を受け入れるアウトリーチ・プログラムが作られている。日本では,縦割り社会を特徴とする日本の社会構造がベースにあって,如何なる組織間においてもバリアフリーな横の連携は難航する。

このような中で,一時は熱気を帯びた学校と博物館との連携に対する関心も薄れ,博物館活用の発想も枯渇していき,相も変わらずの「一日見学」,「一日体験」の場としての博物館利用がマンネリ化していった。「総合学習の時間」を考えて,土曜日を休日とした週休2日制は,単なる「2日間休日」と化し,総合学習が目的としたプラス・アルファの学力は養成されることなく,教科学習の力の低下のみが顕在化した。その結果,かつては世界の児童・学生の学力で,トップレベルにあった日本の学力は,先進国中,下位に甘んじる現状となった。

次にコンピュータに特化した博物館に目を向けよう。

アメリカでは,スミソニアン博物館に保管されているコンピュータ第1号機ENIACをはじめとして,各地のコンピュータ博物館に技術発展の証しとしての「物」が保存されている。特に,シリコンバレーのコンピュータ博物館の歴史シリーズ,各カテゴリー別の展示は圧巻である。

日本の各大学・企業では,コンピュータを道具としてしか認識していないため,新しいモデルが登場するや古いモデルは役に立たなくなった道具として廃棄処分され,そしてそのことに,これまで誰も疑義を抱かなかったのであろう。

日本のハードウェアの水準は米国と並んで世界のトップに位置してきた経緯がありながら,実物はほとんど残っていない。今,同じものを作ろうとしても過去の製作技術は失われ,部品も不足し再製造は不可能である。情報処理学会歴史特別委員会は,2007年,バーチャル博物館をウェブ上に立ち上げた。しかし,実博物館は日本に存在せず,特にヨーロッパでは,「物はどこにあるのか,世界最高水準といってもペーパー上のことか」と片付けられつつある現状である。このままでは,いずれは世界の技術歴史から日本の技術は忘れられ,消え去っていくのではなかろうか,そんな憂いが5,6年前から日本の情報専門家の人々の中に生じてきたのであるが,残念ながら日本を代表する実コンピュータ博物館の実現には至っていない。

第II章 実物コンピュータ博物館設立への動機

-情報処理学会「分散コンピュータ博物館」,「情報処理技術遺産」認定制度とKCG資料館-

2009年3月2日,社団法人情報処理学会から,京都コンピュータ学院が創立以来45年以上の永きに亘って教育用に使用してきたコンピュータ一式を保管している「KCG資料館」が,「分散コンピュータ博物館」に認定され,また,所蔵するTOSBAC 3400(※註),OKITAC-4300C システムの2点が「情報処理技術遺産」に認定された。

この認定制度は,今回スタートしたばかりの制度であり,「分散コンピュータ博物館」は2件,「情報処理技術遺産」は23件が認定された。

情報処理学会のウェブページ上には,「コンピュータ博物館」が掲載されているが,これらは記録のみで,貴重な資料の実物の大半は存在していない。情報処理学会は,コンピュータ技術の急速な発展や利用環境の変化の中で,古い技術や製品の意義が見失われ,大半が廃棄されてきたことを重視し,コンピュータに特化した実博物館の必要性を痛感したわけであるが,実現の可能性は見えていない。そこで,コンピュータ技術の発展を担ってきた先人たちの経験を次世代に継承していくことを急務と考え,とりあえず「情報処理技術遺産」の認定制度と,各地に小規模ながら点在するコレクションのネットワーク化による「分散コンピュータ博物館」認定制度をスタートさせたのである。

今回の情報処理学会の技術遺産認定で,本学院の資料館から2つだけが認定されたのであるが, 本学院の資料館にはその他にも世界トップに位置する外資系,ユニバックの大型,超大型,IBMの中型・大型汎用コンピュータや,ミニコン,オフコン,パソコン,周辺機器が数多く保管されている。日本のどの大学,どの企業にもこれほどのコレクションは見当たらない。情報処理学会は,認定書の中に,KCG資料館を〝国内屈指の貴重なコレクション〟として記載し,分散コンピュータ博物館の第1号として認定したのである。

本学院ではレンタル機器のモデルチェンジの際は,メーカーに交渉して,それまで使用してきたモデルを買い取り,パソコン等のリースアップの際はリース会社に交渉して買い取って倉庫に保管してきた。勿論,それは本学院のコンピュータ教育の歴史の記録として残すことを考えたからであるが,同時に機械保存の動機として,創立当初よりの「コンピュータ」を「文化」として捉えてきた学院の意識が働いていたのである。

本学院は,コンピュータの文化的特質を,コンピュータ黎明期においていち早く洞察していたのであるが,学院が抱いた「文化としてのコンピュータ」の認識こそは,時代を先取りするものであった。今,ユビキタス時代に入って,コンピュータ技術の歴史がそのまま文化の歴史になったことが確認された。しかし,数十年前は,コンピュータの持つ文化的価値を考える関係者はほとんどいなかったのである。

私たちは,各時代を代表するコンピュータに文化としての価値を認め,それらを文化遺産として,学院の歴史的足跡以上の意義を持たせて,保存してきたのであり,その集積が,KCG資料館なのである。

情報処理学会は日本の情報界を代表する学会である。この学会から,「日本屈指の貴重なコレクション」として認定されたことにより,KCG資料館を核として,コンピュータに特化した実博物館へ発展させる責任を痛感するに至り,「技術立国日本」にふさわしい世界屈指のコンピュータ博物館の構築に向けて,一大ムーブメントを起こして行こうと考えた次第である。当然,わが国の博物館によく見られるような,「形骸化したハコモノ」に終わらせないためには,実物コンピュータ博物館の理念,社会的役割,将来的ビジョンを明確に考えておくことが肝要である。

第III章 実コンピュータ博物館の意義と理念

1.文化財としてのコンピュータの調査研究・収集・保存

私たちが,博物館や美術館を訪れ,芸術文化,文化財,科学・産業技術などに触れ,文化的恩恵に浴することが出来るのは,先人たちが,長い歴史の中で過去の遺産を守ってきたからこそであり,私たちもまた次の世代へ向かって,これらを保存継承していく責任を果たしていかなくてはならないのは当然である。

一方,過去の大切なものの保存継承と同時に,激しく移り行く時代・社会の中で,次の世代に継承すべき価値あるものを決して見落とすことなく,確かな目で捉え保護して行くことが肝要である。私たちの周辺で次第に省みられなくなっている物や技術の中に,将来高い文化的価値において評価されるものがあるかも知れないからである。

50年にわたる激しい進化の中で,道具として使い棄てられてきたコンピュータ,この見棄てられたコンピュータの生命を,文化として甦らせることは,デジタル文化に浴している現代人の責任ではないだろうか。

さらに,もうひとつ,近年の若者の理科離れ,理数科系の学力低下は,技術立国日本が危ぶまれる緊急課題である。技術遺産としてのコンピュータの教育効果を考えて,コンピュータの実物の収集・保存を理念の第一に掲げよう。

2.実物コンピュータに接し,リアリスティックな追体験を通して科学への関心を高め,科学する心を養成する

第I章で言及したが,第四世代に入って,博物館のデジタル化・ウェブ化が進み,DVDとして,またサイト上での鑑賞が可能となった。しかし,これらは博物館から地理的に距離のある遠隔地の人々に対する効果や永久保存の役に立つとしても,実博物館の完全代用にはなり得ない。

私事になるが,1980年前後のある年,本学院の研修旅行でフィラデルフィア大学ムアスクールを訪ね,コンピュータ第一号機ENIAC(現在はワシントン・スミソニアン博物館に移設)に初めて接した時の感動は忘れられないものであった。製作された時代に思いを馳せ,製作者たちの白熱の議論を想像し,創造にかけた情熱を共感した。これこそ実物博物館の目指す効果であろう。

これら追体験の中から科学マインドが誕生し,また醸成されて行くのである。さらにこれは,科学・技術の創造につながって行くのである。実物(本物)に接することから受ける影響は,デジタル鑑賞の比ではない。デジタル社会が,いかに進歩しようとも実博物館の存在意義は失われない。

3.コンピュータの黎明期より現在までの実物コンピュータの歴史展示を通して,技術の継承,技術革新の本質を学び次の技術創造への動機とする

今回計画しているのは,実物コンピュータの歴史博物館である。現存するKCG資料館の実物コンピュータシリーズは,日本で最初にコンピュータ教育をスタートし,コンピュータの進化と共に歩んだ本学院の歴史を実証するものであり,同時に,そこで示される各時代を代表するコンピュータの展示は,極めて急速に進化しつつコンピュータ文化成熟へ向かった技術の歴史の軌跡を,強いインパクトにおいて確認させるに違いない。

世界の歴史上,例を見ない50年という短期間に起こったコンピュータのめざましい進化発展は,単純な機械の進歩に止まらず社会構造の変革,新しい社会文化の創造をもたらした。実物コンピュータの歴史展示において,技術継承の価値を実感させ,さらに社会のイノベーションをもたらした技術革新の本質を学ばせる,それを通して次の技術創造を示唆し動機づける。ここにコンピュータに特化した博物館のミッションがあると思う。

現在,アメリカのシリコンバレーにある実物コンピュータ博物館は抜群である。アメリカと同レベルの高いコンピュータ技術水準を誇ってきたわが国では,少なくとも東洋一の実物コンピュータ博物館を目指してよいのではなかろうか。

4.博物館式実践学習を開発し,学校教育とのコラボレーションを成功させる

実物コンピュータ博物館設立に際して,私たちはコンピュータの歴史展示の「ハコ」作りという次元で取り組むのではない。過去の貴重な資産の保存・収集・展示を実現した後,最終目標はそれを利用した教育としての社会活動である。

教育上,最も大きな効果を期待し得るのが,学校と博物館の効果的なコラボレーションの確立である。学校と博物館の連携は学校側にとって「学校教育の延長・充実」のためにあると考えられても,博物館は学校のために存在しているのではない以上,博物館は学校教育の従属的な立場には立ち得ない。学校への博物館の支援は,博物館のよって立つ目的を実現するために行ってこそ価値づけられる。第I章で述べた如く,両側のコラボレーションが成功しなかったのは,総合学習のフィロソフィーの欠如にあると思う。本来,学校は教科学習がベースであり,これをフォーマルな学習とするならば,博物館等社会教育施設が目指すインフォーマルな学習とは,例えばプラグマティズム教育哲学に立脚するような実践学習と考えてよい。

知識の集積としての学力は,勿論,重要であるが,知識を用いての問題発見,問題解決力,そして創造性という能力もそれに劣らず重要である。特に後者の能力は,プラグマティズム発祥のアメリカで重視されている。これらは,実物を見て,触れて,感知し体験しないと身につかない。そのための博物館,その他の社会施設の活用ははかり知れない効果をもたらすはずである。博物館には,独自の体験学習「自ら問題を発見し自ら解決する」ことを促す方法や,実物(本物)から感じ取り,その追体験から科学への関心を高める方法など,博物館独自の教育学習方法を主体的に,開発・実現することが要請される。さらに学習の効果を上げるために,専門家のインストラクター,専門学者のレクチャーが必要である。博物館を「一日見学」,「一日体験」に終わらせないため,これらをセットにした学習編成が望まれる。すなわち,博物館は学校の補完作用として機能するのではなく,博物館と学校は対等の関係に立って,両者が独自性を保ちつつ学校側の教科学習と博物館式学習を併行させることをもって総合学習とすべきである。学校と博物館のコラボレーションのフィロソフィー・方法論を確認し合うことからスタートすれば,連携のバリアーは消滅し発展的なコラボレーションが構築できるであろう。

博物館としても学校とのコラボレーションが成功することを通して,生命が吹き込まれ死んだ「ハコモノ」と言われる汚名が返上できるのではなかろうか。

5.コンピュータの実物歴史シリーズを通して,世界に誇る日本の技術を実感させ,日本人としての「誇り」を育成する

50年も前から,日本の技術者が多くの苦労を重ねながら,コンピュータを開発し続け,その間に日本独自の技術を数多く生み出した。エレクトロニクス,車,精密機器の技術によって,「技術立国日本」の名は世界に轟いた。

最近のコンピュータは,技術ではアメリカに,もの作りでは中国に圧倒され,「技術立国日本」が危ぶまれている。“技術のビジネス化”に関しては,日本は極めて不得意であり,競争原理主義の社会では優位に立つことが難しい。その中にあって経済再生を実現するためには,将来にわたってのよほどの卓越した技術力を持ち続けて行かなくてはならない。

ところが近年の若い世代の理科離れ,学力低下は,「技術立国日本」の危機感を倍増させる。日本の将来を考える時,単に学校教育の見直しだけでなく,小学・中学・高校生を育てる社会環境全体のあり方への反省,さらなる社会教育施設の充実化への努力もまた必要ではなかろうか。

特に気にかかるのは,最近の若い世代の覇気のなさである。今,“Japan As Number One”の名をほしいままにした1980年代を振り返って,もう一度,日本の技術の優秀性を確認し,その誇りを取り戻すことから未来に向かう日本の進むべき道を発見することこそ,最重要の緊急課題ではなかろうか。

実物コンピュータ博物館の最大のミッションは,ここにあると思う。

-あとがき-

現在,実物コンピュータ博物館設立への気運の高まりの中で,業界・学会でコンピュータの開発に携わった人々,文化庁・経産省の各担当部署のキャリア,その他各業界を代表する企業人,著名な文化人等から賛意が寄せられている。

大阪大学からは,黎明期の大型コンピュータNEAC 2006 システムが博物館への寄贈として本学院へ送られてきた。このように全国に散在するコンピュータが寄贈されて一堂に会するのが理想であるが,そうでなくても常設展以外に特別展示展として参加されることが期待される。

各年代別のコーナーに続いて,1980年以降はパソコンとワークステーション,グラフィックス,ゲーム,ロボットと,カテゴリーに別れた展示が必要であり,またそれぞれの体験実習室にも工夫を凝らす。インストラクターとしては,京都コンピュータ学院のスタッフが,レクチャー(出張講義も可)には京都情報大学院大学の教授一同のバックアップが可能である。京都情報大学院大学は,プラグマティズム教育哲学に基づくIT専門職大学院であり,学校とコンピュータ博物館との連動学習方式開発には最適の学者グループを擁している。

現在,学校教育と社会教育施設を束ねているのは,教育委員会である。教育委員の意識が従来の教育システムの固定観念で硬化している場合は,新しい教育改革は大変難航する。どういう分野でも新しい改革のためには,まず古い意識のカビの洗い流しが必要であることは自明の理である。

新しくコンピュータに特化した博物館をつくり,それを利用しての教育活動を展開していくためには,新しい意識で取り組む各界の協力者が必要である。現在の経済不況のあおりを受けて,設立へ向けての資金の見通しが立っていない。しかし,よい博物館をつくり充分機能させるためには,長期的な視野に立って取り組んでいかねばならないと,私たちは考えている。

※註

「TOSBAC 3400」は,日本で最初のマイクロプログラム制御計算機・KTパイロットをベースに開発されたものである。萩原宏・京都情報大学院大学初代学長(元京都コンピュータ学院情報学研究所所長)が京都大学工学部教授時代にKTパイロットの基本設計やソフトウェア開発などを担当,東芝とともに開発に携わり完成させたもので,当時,極めて高く評価された科学技術用計算機である。KCGには1972年に導入され,京都コンピュータ学院の飛躍的な発展をもたらすシステムとなった。

情報処理技術遺産,分散コンピュータ博物館 認定基準

http://museum.ipsj.or.jp/heritage/criteria.html

コンピュータ博物館設立の提言

http://www.ipsj.or.jp/03somu/teigen/museum200702.pdf

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長谷川 靖子
Yasuko Hasegawa
  • 京都大学理学部宇宙物理学科卒業(女性第1号)
  • 京都大学大学院理学研究科博士課程所定単位修得
  • 宇宙物理学研究におけるコンピュータ利用の第一人者
  • 東京大学大型計算機センター設立時に,テストランに参加
  • 東京大学大型計算機センタープログラム指導員
  • 京都大学工学部計算機センタープログラム指導員
  • 京都ソフトウェア研究会会長
  • 京都学園大学助教授
  • 米国ペンシルバニア州立大学客員科学者
  • タイ・ガーナ・スリランカ・ペルー各国教育省より表彰
  • 2006年,財団法人日本ITU協会より国際協力特別賞受賞
  • 2011年 一般社団法人情報処理学会より感謝状受領。
  • 京都コンピュータ学院学院長

上記の肩書・経歴等はアキューム22-23号発刊当時のものです。