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Accumu Vol.12

IT革命のパラダイムシフトと情報処理教育

京都コンピュータ学院教育統括部部長

京都コンピュータ学院情報学研究所副所長

石田 勝則

第1章 はじめに

最近新聞紙上で「ユビキタス」という言葉をしばしば目にするようになりました。

2002年11月6日の日本経済新聞(以下,日経新聞)は次のように報道しています。

「総務省は来夏の政府が進めている情報技術(IT)戦略の改定をにらみ,家庭や企業のIT利用を促す行動計画をつくり,テレビをインターネットなどの情報端末として活用するなど重点5項目を掲げ,2005年以降の普及,技術開発などの数値目標を設ける。また11月7日に開くIT戦略本部会議において『IT戦略の今後の在り方に関する専門調査会』を設置し,2001年1月に策定した『e-Japan戦略』を見直し,インフラ整備から利用促進に軸足を移す。そのために次の五つの重点項目を決める。

①ディジタル対応テレビの情報端末化②場所を選ばずに小型端末でインターネットやディジタル放送などを利用できる『ユビキタス・ネットワーク』の構築③大容量通信向けコンテンツ(情報内容)の充実・普及④在庫管理や電子商取引など,企業のIT活用の促進⑤アジアでの大容量通信の普及促進。2005年から2010年をにらんだ右記5項目の実現計画を策定し,必要な技術開発や標準化,著作権保護などの関連ルールの整備を急ぐ。

2001年1月に策定された現行のIT戦略は5年以内に全世帯が大容量通信回線を利用できるようにするなどインフラ整備に重点を置いた戦略となっており,ADSL(非対称ディジタル加入者線)によるブロードバンド化が進展しているものの,本格的な大容量通信回線である光ファイバ(FTTH:Fiber To The Home)の普及には,IT利用促進が不可欠と判断した。」

では,重要項目の一つに取り上げられている「ユビキタス」とは何を意味するのでしょうか。文献によれば,「ユビキタス(UBIQUITOUS)」はキリスト教神学において「神はいつもどこにもおわします」という場合に使用されていました。つまり「いつでも,どこにも」とか「遍(偏ではない。)在する」という意味です。それではいつから「ユビキタス」という言葉が情報処理の世界に登場したのでしょうか。1993年7月にCommunication of ACMという米国のコンピュータ学会誌にゼロックス・パルアルトリサーチセンター(PARC)のマーク・ワイザー(Mark Weiser)博士が発表した論文に「いつでも,どこでもアクセス可能なコンピュータ環境」という意味で「Ubiquitous Computing」という言葉が初めて使用されました。このため「ユビキタス」の元祖はマーク・ワイザー博士ということになっています。

ところが実は,それより数年前にすでに東京大学の坂村健教授が「どこでもコンピュータ」という表現で,同じ概念の基に「TRONプロジェクト」をスタートしており,むしろ坂村教授が本当の元祖だともいわれています。

では政府のIT利用促進策に登場した「ユビキタス・ネットワーク」と「ユビキタス・コンピューティング(Ubiquitous Computing)」は同じものでしょうか。坂村教授は最近の著書「ユビキタス・コンピュータ革命―次世代社会の世界標準―」(角川文庫)の中で次のように述べています。

「『ユビキタス・ネットワーク』と『ユビキタス・コンピューティング』とはかなり異なる。『ユビキタス・ネットワーク』は1999年から2000年にかけて野村総合研究所が使い始めたもので,『2005年ごろに実現すべき次世代のITパラダイム』を意味し,『携帯機器や情報家電などの機器がネットワークに接続され,いつでも,どこでも,だれでも利用できる社会』という意味で使用している。一方『ユビキタス・コンピューティング』は,無数のコンピュータが身の回りのすべてのもの,例えば机や椅子,壁や天井,本や紙,洋服などあらゆるものに埋め込まれて,互いにネットワークを通して情報を交換しながら,日常生活を支援してくれる世界または生活環境をさすものだ。」

この文章から,前者は2005年前後の近未来社会のパラダイム,後者は未来社会のパラダイムと思われそうですが,「ユビキタス・コンピューティング」の応用例が,最近盛んに報告されており,両者は同時平行的に進行し,我が国独自の「ユビキタス社会」を形成するものと考えられます。2003年はまさに「ユビキタス元年」と呼んでよい年と言えます。

本稿ではまず,「e-Japan戦略」の現状を概観し,次に「ユビキタス・ネットワーク」と「ユビキタス・コンピューティング」の特徴について触れたうえで,「来るべきユビキタス社会の技術動向と今後の情報処理教育の在り方」について考察したいと思います。

第2章 e-Japan戦略

インターネット利用者数

2002年6月に総務省が発行した平成14年版情報通信白書によりますと,2001年3月に策定された「e-Japan戦略」の「我が国が5年以内に世界最先端のIT国家になるために世界最高水準の高速通信ネットワークを形成」するという重点目標の進展状況は次のようになっています。インターネットの国内の普及率は図1,図2の通り,2002年3月現在,人口普及率で44%,利用者数で5593万人(対前年比18・8%増)であり,世界では米国に次ぐ利用者数となっています。

また通信のブロードバンド化については,2001年3月からの1年間で図3に示す通り,約86万人から387万人に増加しています。

欧米に比べて割高であったインターネット接続に係わるブロードバンド通信の料金が,この1年間で約半額となり,現在では世界で最も低い水準にまで低廉化したことが普及を加速させたと考えられます。

しかしながら,世界のブロードバンド普及状況(図4)を見てみますと,1位の米国,2位の韓国に比べますと,両国からは大きく水をあけられており,まだまだ「世界最高水準の高速通信ネットワークの形成」が達成されたとは言えない状況です。

こうした現状をふまえ,政府は今回策定した5項目のIT利用促進策を強力に推進することにより,2002年度末には900万加入,目標年度にあたる2005年度末にはほぼ全所帯数に相当する1997万加入にまでブロードバンドの普及を図り,当初目標を達成したいとしています。

我が国のインターネット利用の特徴は,1999年2月にiモードサービスが開始されたことによる携帯電話からのアクセスが2500万人(但しPCと重複利用者1675万人を含む)を突破し,韓国とともに他の諸外国を大きく引き離している点が挙げられます。また2001年10月には世界に先駆けIMTInternational Mobile Telecommunication 2000)サービスが開始され,図5に示すように,携帯電話サービスのブロードバンド化も本格化しつつあります。

一方放送のディジタル化も,2000年12月にBS放送衛星によるBSディジタル放送サービス,さらに2002年3月にはCSディジタル放送サービスが開始され,急速に進展しています。基幹放送である地上波ディジタル放送は,2003年末までに関東,中部,近畿の三大広域圏で,その他の地域は2006年末までに開局する計画で作業が進められています。

ディジタルTVセットはTV受像機としての機能以外に,通信ネットワークへの接続機能や大容量コンテンツ蓄積機能等を備えたサーバー型受信機となり,高度通信ネットワークサービス(ユビキタス・ネットワーク・サービス)を受けるゲートウェイとしての役割を果たすと考えられています。総務省が「IT利用の促進策」として重点項目に挙げている「ディジタル対応テレビの情報端末化」はこうした背景によるものです。

一般に1.5Mbps以上の伝送速度をもつ通信回線をブロードバンドと呼びますが,映像や音楽番組などの大容量コンテンツをストレスなく利用するには,図6に示すようにブロードバンドのさらなる高速化が必要です。

ブロードバンド帯域とコンテンツサービス

100Mbpsを実現するためにはFTTH(Fiber To The Home)とよばれる光ケーブルを各家庭まで敷設しなければなりません。普及にはTVセットや受信料の低廉化が必要ですが,ブロードバンド通信を活用してどのような魅力あるサービスを提供するかが最大の課題です。

「ユビキタス・ネットワーク」や「ユビキタス・コンピューティング」は,この課題に対する有力なソリューションなのです。

次に「ユビキタス・ネットワーク」と「ユビキタス・コンピューティング」の特徴について概観します。

第3章 「ユビキタス・ネットワーク」社会

ユビキタス・ネットワークのイメージ図1

2002年度の情報通信白書で取り上げられた,「ユビキタス・ネットワーク」のイメージを図7に示します。

実は「ユビキタス・ネットワーク」は,前述の通り,2000年12月に野村総合研究所(以下,野村総研)から出版された同名の書籍の中で初めて使われた概念で,2005年頃に日本で実現すべき「ポストパーソナルコンピュータ時代のITパラダイム構想」として提案されたものです。この中で著者は「ユビキタス・ネットワーク」が日本経済再生の鍵であるとも言っています。 それでは,その続々編として2002年7月に発刊された「ユビキタス・ネットワークと新社会システム」(野村総研刊)に従って,その構想の特徴をみてみましょう。

まず,ユビキタス・ネットワークはブロードバンド,モバイル,回線常時接続,IPv6,バリアフリー・インターフェイスの五つの技術要素が組み合わさって起こるとしています。

ブロードバンド,モバイル,回線常時接続は,現在政府が進めている「e-Japan戦略」の「世界最高水準の通信インフラ整備」の目標そのものです。では次の「IPv6」とはなんでしょうか。「IPv6」は,現在使用されている「IPv4(Internet Protocol Version 4)」に代わる次世代インターネット通信規約のことです。現在使用されているIPv4は通信端末に付与できるアドレスが最大2の32乗個(約43億個)までとなっており,アドレスの枯渇問題がインターネット利用拡大の障害となっています。そのため次世代インターネット通信規約「IPv6」では,ほぼ無限大に近い2の128乗個(約320澗個)の端末にアドレスが付与できるようになっています。「いつでも,どこでも,だれでも,なんでも」インターネットに接続できるようにするためには,次世代インターネットへの移行は不可欠なのです。すでに我が国では世界に先駆けて「IPv6」の実用化試験が始まっており,また国内最大のネットワーク事業者である東西NTTも,「IPv6」を想定したブロードバンド・ネットワーク事業戦略に重点を移しつつあり,次世代インターネットは図8に示すように急速に普及するものと期待されています。

IPv6のネットワーク

野村総研の提唱する「ユビキタス・ネットワーク」は,目前にせまった次世代インターネット環境の下で,いかに新社会システムを構築していくかについてのソリューションを提示することに主眼を置いています。

まず,ユビキタス・ネットワーク社会の特徴として次の3点を挙げています。①形態知の交換・共有つまり従来ネットワークを通じて伝達することが困難といわれていた”暗黙知“に近い知識(形態知)を伝えることが可能となる。②コミュニティパワーが増大し個人が実世界のコミュニティを超え,ネットワークを通じた新しいコミュニティを形成する。③ネットワークを通じて人・物のセンシング・トラッキング能力が拡大する。

さらにこれらの特徴を踏まえたユビキタスネットワーク時代の新しいシステムモデルを提案しています。

モデルは3階層に構造化され,まず第1層はユビキタス・ネットワークインフラ(通信基盤),第2層はアプリケーションを構築するために必要な三つのプラットフォーム(共通基盤),第3層にこのプラットフォーム上で展開される「ユビキタス・アプリケーション」で構成しています。

第2層の三つのプラットフォーム(共通基盤)とは①ユビキタス端末(UT),②ユビキタス・チップ(UC)③ユビキタス・サービス・エクスチェンジ(UX)です。①「ユビキタス端末(UT)」はPC以外の多様な通信端末を意味し,②「ユビキタスチップ(UC)」は非接触ICカードなど物を識別するコンピュータチップを指し,ユビキタス・ネットワーク社会の特徴の一つであるネットワークを通じた人・物のセンシング・トラッキング能力の拡大を支える基盤です。また③「ユビキタス・サービス・エクスチェンジ(UX)」はIT利用に不慣れな利用者に対する情報案内や支援機能を兼ね備えたエージェントまたはコンシェルジェを意味し,個人が実世界のコミュニティを超え,ネットワークを通じた新しいコミュニティを形成するための基盤を提供するものとしています。

さらに,アプリケーション層で展開されるユビキタス新社会システムを,人間系と自然・環境系に大別し,まず人間系においては①健康・安心システム,②自動車ネットワークシステム,③教育学習システムなど。また自然系・環境系においては①食品履歴安全確認システム,②社会資本モニタリングシステム,③道路環境センシングシステムなど,ユビキタス・ネットワーク時代の新社会システムを提案しています。

このように野村総研の「ユビキタス・ネットワーク」構想は,数年後の高度情報化社会を独自の構造化モデルを用いて解明し,ユビキタス時代の新社会システムを,市場規模を推定しつつ具体的に提示しており,来るべき「ユビキタス社会」をより深く理解するうえで,大変役立つ内容となっています。次に「ユビキタス・コンピューティング」について考えます。

第4章 ユビキタス・コンピューティング

ユビキタス・ネットワークのイメージ図2

「ユビキタス・ネットワーク」のさらに発展したイメージ図を図9に示します。

ここではモバイル機器のみならず,身につけるウェアラブル機器,さらにセンサーを備えたセンサー情報機器等「いつでも,どこでも,なんでも」コンピュータが組みこまれて,人々が種々のサービスを享受できる環境が示されています。

マーク・ワイザー博士は,「ユビキタス・コンピューティング」の条件として①ネットワークに接続されていること,②コンピュータを意識させないこと,③状況に応じたサービスを提供する機能を有することの3点をあげています。また,坂村教授は,小さなコンピュータが組み込まれたものを「インテリジェント・オブジェクト」と命名し,「半導体技術の進歩により,さらに小型のコンピュータが,本や机といった思いもよらなかった身の回りのものに埋め込まれ,それらがネットワークを通じてコミュニケーションしながら,我々に快適な世界を提供してくれるというのがユビキタス・コンピューティングの将来の姿だ」と述べています。これは明らかにマーク・ワイザー博士の提唱した「ユビキタス・コンピューティング」の世界そのものです。

またワイザー博士はコンピュータ利用の進歩を①メインフレーム時代(多くの人が一台のコンピュータを共有),②パーソナル・コンピュータ時代(一人一台のコンピュータを占有),③インターネット時代(広域分散処理),④ユビキタス・コンピューティング時代(多数のコンピュータを我々一人ひとりが共有)と説明しており,PCも携帯電話もパーソナル・コンピュータの一種として扱っています。

この分類に従えば,前出の「ユビキタス・ネットワーク社会」は③のインターネット時代に区分されると坂村教授は述べています。

このように,ワイザー博士が区分した④の世界,つまり人々がコンピュータを意識しないでネットワーク・コンピュータで囲まれる世界が大きく開かれていることに気付くことが,将来の「ユビキタス社会」を真に理解する上で重要です。

2002年11月30日付け日経新聞は,総務省が中心となり,民間6社と共同で,高齢者の安否確認や災害時の緊急連絡等の行政サービスにネット家電を活用し,2003年度の実用化を目指すと報じていますし,また2002年12月1日には「なんでも無線チップ時代」という見出しで,①社員食堂で食器にチップを取り付け,清算時に値段とカロリーを表示(NEC),②新刊本の背表紙にチップを入れ,商品管理や万引き防止(出版業界),③衣料品の値札にチップを付けて在庫管理,デザイン別の売れ筋傾向の把握や検品作業を効率化(アパレルメーカー),④病院向けの白衣などにチップを付けて洗濯回数の管理や誤配防止,在庫把握に活用(リネンサプライ)等々,多くの実用例を紹介しています。このように「ユビキタス・コンピューティング」は現実に物理的空間を占有し,手で触れることができる「もの(実体)」を対象にIT技術を適用し,生活を快適化することを目指すものなのです。

IT社会はコンピュータとネットワークによるバーチャルな世界を意味すると考えがちですが,「ユビキタス・コンピューティング」は,「まずもの(現実世界)ありき」の考え方が特徴なのです。その意味で「ユビキタス・コンピューティング」は「サイバースペース」や「バーチャル・ワールド」と,ある意味では対極をなす技術だとも言われています。

第5章 ユビキタス社会の技術と情報教育

「ユビキタス社会」は「ユビキタス・ネットワーク」技術と「ユビキタス・コンピューティング」技術が渾然一体となって実現される社会である点について見てきました。以下では,「ユビキタス社会を支える技術と情報教育」について考えてみたいと思います。

「ユビキタス・ネットワーク」技術と「ユビキタス・コンピューティング」技術は多くの共通点を持っています。

第一の共通技術は「ユビキタス社会」を支える通信ネットワーク技術です。例えば家庭内の電子機器製品やその他の日常生活で使用されるインテリジェント・オブジェクトをネットワーク化する技術として,PAN(Personal Area Network)技術があります。無線技術を利用した「Bluetooth」や「小型無線LAN」,家庭内の電話線や電灯線を利用した「Homenet」や「エコーネット」,家庭内機器制御に特化した「LonWorks」など,種々のホームネットワーク技術が開発されています。さらに多くの機器を識別するための次世代インターネット通信規約である「IPv6」の利用技術も重要です。メーカーの異なるネットワーク機器間で情報を交換するためには,採用される通信規約が標準化されている必要があります。そのため国内の家電メーカーが結集して共通規格の採用に乗り出しました。2002年11月10日の日経新聞は国内の主要電機メーカーや電力会社など104社で構成するネットワーク家電の業界団体「エコーネットコンソーシアム」が中心となり,国産ネット家電に採用する標準通信規格「エコーネットバージョン3.00」を公表したと報じています。

次に重要な共通技術はバリアフリー・インターフェイス技術です。これはユビキタス機器を子供や老人のような情報機器に不慣れな利用者にとっても容易に利用できるようにする技術です。音声認識・手書き文字・タッチパネル等の入力方法と音声出力や電子ペーパ等の新しい表示装置の開発により,利用者にコンピュータを感じさせない人にやさしいインターフェイス技術の開発が求められています。

次にインテリジェント・オブジェクトに関する技術です。坂村教授は「物に組み込まれたコンピュータは置かれた場所情報と周りの環境を認識している必要がある。これはユビキタス・コンピュータの基本要素である。」と述べています。インテリジェント・オブジェクトが環境に応じて最適なサービスを提供するためには,自分が今どこにいるか,周りの環境がどのようになっているかを常に知っている必要があるわけです。従ってGPS(Global Positioning System)や,現実社会とのインターフェイスデバイス(非接触ICカード,RFIDなどの固体識別素子)等の位置検出技術や多数のインテリジェント・オブジェクトが連携しながら単純な仕事を分担しつつ複雑な仕事をこなす「超分散処理技術(Highly Functionally Distributed System)」と「センサーネットワーク技術」が重要な研究テーマとなっています。このように「ユビキタス・コンピューティング・モデル」は現実の人間社会と類似点が多く,IT技術を「現実の環境重視(バック・ツー・ザ・リアルワールド)」という視点で研究しようとするものです。

次に重要なのが「アプリケーション連携技術」です。ネットワーク間で交換する情報の表現方法は標準化されている必要があります。将来の共通情報記述言語としてJava,XMLがますます重要となると考えられます。さらにPC時代を支配したMS Windowsに代わる新しいソフトウェア・プラットホームとしてユビキタス機器にふさわしい基本ソフトが必要となります。坂村教授は「インテリジェント・オブジェクト」に組み込まれる基本ソフトとして「TRON(The Real-time Operating system Nucleus)」を開発されましたが,これを「だれでも,どの企業でも」自由に使用できるオープンアーキテクチャとして公開し,「TRONプロジェクト」を主催しています。TRONは世界で使われている五十数億個ともいわれる組み込み型コンピュータの半数以上に使われており,組み込み型リアルタイムOSのデファクトスタンダードとなっています。TRONプロジェクトでは「ユビキタス・コンピューティング」の普及を図るために,スーパー標準プラットホーム「T-Engine」を発表しました。「T-Engine」とは①利用面におけるネットワークセキュリティ機能(eTRON)を備え,②ユビキタス・コンピューティング製品の開発を効率良く,短期間に行えるようにすることを狙いとした共通開発プラットホームのことです。インテリジェント・オブジェクトを①T-Engine(携帯電話等の比較的高度なユーザインターフェイスをもつ機器のための標準),②μT-Engine(家電製品等のユーザインターフェイスが比較的少ない機器のための標準),③p T-TRON(照明器具等のユーザインターフェイスが皆無に近い機器の標準)のシリーズに分類し,各シリーズに対応したT-Engineの構成要素を①CPUチップやボード等のハードウェア標準,②OSやミドルウェア等のソフトウェア標準,③開発環境標準を定めています。

TRONの発展過程

図10にTRONプロジェクトの発展過程を示します。

「ユビキタス社会」を支える主要な技術を概観しましたが,実はもっと多くの分野の技術が「ユビキタス社会」では活用できる可能性が開けています。「ユビキタス社会」はオープン・アーキテクチャ(開放型)」を基本としており,「いつでも,どこでも,だれでも」独自の技術と工夫により,新たな製品やシステムを開発し,新たなビジネスに参入することが可能です。つまり第1次産業から第4次産業まですべての産業が,工夫次第で「ユビキタス社会」の建設に参加できる機会が与えられているといえます。野村総研の調査によると,「ユビキタス社会は2005年には生産額ベースで58兆円の経済効果を生み出す」と推定しています。

京都コンピュータ学院は,ご承知のようにハードウェアからソフトウェア,さらにシステムに至るオールラウンドのコンピュータ技術者を養成する,我が国では例をみない総合コンピュータ教育機関です。「ユビキタス」を合言葉に,システム指向技術に支えられた「ユビキタス・ネットワーク・エンジニア」からハードウェア指向技術に支えられた「ユビキタス・コンピューティング・エンジニア」まで「ユビキタス時代のコンピュータ技術者」を幅広く育成し,来るべき「ユビキタス社会」の期待に応えることが期待されています。

第6章 おわりに

初期のIT革命をリードした,米国発のPC技術(Microsoft社WindowsOSとIntel社のプロセッサー技術)に支配された時代は成熟期を迎え,「ユビキタス・ネットワーク」と「ユビキタス・コンピュータ」が渾然一体となって進展する「ユビキタス社会」がいよいよ到来しようとしています。「ユビキタス社会」は電子機器業界のみならず,多くの産業が再び活性化し,「Japan As No.1」の再来を可能にする種を内包しているといえます。野村総研が「ユビキタス・ネットワーク」は日本経済復活のキーワードと称する所以です。

私はAccumu10号の『わたしの考えるIT革命RealworldとVirtual worldの中間にあると述べましたが,「ユビキタス・コンピューティング」は再びIT技術をリアルワールドに引き戻す機会を与えるものと考えます。「いつでも,どこでも,だれでも」が「ユビキタス社会」の建設に参画しつつ,すべての人々が安心してIT技術の恩恵を享受できる社会をめざして,21世紀の新しいフロンティアを切り開いていくことが今こそ求められていると思います。

参考資料

①平成14年版情報通信白書(総務省編)

②ユビキタス・コンピュータ革命(坂村健著 角川文庫)

③ユビキタス・ネットワーク(野村総合研究所編)

④ユビキタス・ネットワークと新社会システム(野村総合研究所編)

⑤M.Weiser Some computer science issues in Ubiquitous computing, communications of the ACM 37,7,pp.75-84, July 1993

⑥http://www.t-engine.org/ja/index.html

⑦「私の考えるIT革命―その虚実皮膜について―」ACCUMU 10号p.26~p.28

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石田 勝則
Katsunori Ishida
  • 京都大学大学院数理工学研究科計算機工学専攻修了。工学修士。
  • 同大学大学院情報学研究科知能情報学専攻博士課程単位取得退学。
  • 情報処理学会会員,人工知能学会会員,言語処理学会会員,全日本漢詩連盟会員,近畿漢詩連盟幹事。

上記の肩書・経歴等はアキューム26-27号発刊当時のものです。