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Accumu Vol.3

オーストラリア大陸縦断 ソーラーカーレースに参加して

早稲田大学理工学部機械工学科永田研究室

永田 勝也教授,土屋 敏明,山崎 修,池上 敦哉,芦沢 英治,野々村 浩司,松村 俊彦

文-土屋 敏明

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1,建前

最近,地球環境に対する議論が高まり,先進国の資源エネルギーの多種大量消費による各種排出物や生態系(人間社会)への致命的な影響は大きな問題となっているようである。

そうした議論の中で,例えば,アメリカのカリフォルニア州ではかなり強力な大気汚染対策法が具体化された。その最終段階では,内燃機関式の車は走行不可能になるのではないかとも噂されるものである。それに対して実用的な新エネルギー無公害自動車の開発が待たれるところである。

様々な試みの中で,電気自動車は,そのエネルギーを水力,太陽電池,風力発電などの設置後に環境への影響の小さいエネルギー源から補充することができる。さらに,エネルギー源として太陽電池(走行時について補助的な役割だとしても)を用いた電気自動車”ソーラーカー”は無尽蔵の太陽光を利用し,無公害であり,集積度の高い都市や離島,砂漠地帯,大気圏外(?)などにおける新たな交通機関として期待されている。また,エネルギー源として太陽を有効に利用する上で地域や家庭のコージェネレーションシステムに組み込むことも考えられている。しかし,太陽電池は化石燃料に比べてエネルギー密度が低いという弱点がある。

そこで太陽電池電源式の電気自動車の可能性について探り,実際に車を製作し,実体験としてその成果を問うべく,1987年よりオーストラリアで行われている大陸縦断レースのレギュレーションに基づき,高効率を追求した高性能ソーラーカーを開発し,何としてもレースに参加しようと決意した。

2,本音

第1回目の大会があった1987年の秋,日本から参加するチーム,ソーラーカーが新聞を賑わした。その中で東京の某大学が数千万円の資金を集めて,ソーラーカーを製作,競技に参加するという話は,記事に付属している試作ソーラーカーの写真と「人の歩く速さ程度で移動できる」らしいとの解説と共に我々の関心を呼んだ。「そんなに金を集めて,戦車でもつくるのかね?」そのチームは,結局,ソーラーカーのドライバーだった学生の母親の反対にあって参加を断念したとのことであった。「そんな危ないところ(車によってはコクピットは80度近い高温となり,脱水症状が心配される)に息子を送ることはできない。」そのまぬけで奇妙な言い訳とそして何よりもその背後にいるはずの学生達の悔しさが伝わってこない新聞記事に苛立ちを感じながら私や私の先輩は情けなくて憤怒の涙を流した(嘘)。

それまで私や先輩は早稲田大学エコランクラブという熱工学専攻の永田研究室に籍をおく省燃費競技車両の製作,運用を目的とするサークルで職人技術を磨いていた。だから,ソーラーカーの製作について少しは自信があるつもりだった。また,その後テレビの取材班が特定のチームを追った記録番組をみるにつけ高ぶるものがあった。

「俺がやってやる」「ソーラーカー作って,オーストラリア走る」

そこに機会と決意があり,ソーラーカーを作る環境があり,オーストラリアが待っているから,当然の成行きだった。

そして我々の3年に及ぶ戦いが始まった。

3,ソーラーカー製作

「ソーラーカー作ってオーストラリア走る」ために,車体製作からスポンサー活動,主催者との交渉,輸送の手配,現地での作戦行動などのチーム運営に至るまでの全てを自分達を取り巻く環境の中で何かでき,何ができないかを認識し,その範囲の中でやりくりをするために脳味噌を振り絞った。

今回我々の製作したソーラーカーの基本コンセプトは,「とにかく1990ワールド・ソーラー・チャレンジのスタートラインに立ち,3000kmを走り抜くこと」である。構想の当初は高性能化,軽量化など多くのコンセプトが盛り込まれていたが,設計・製作と時を経るに従って,時間や経費との戦いの中で消えていった。ただ,作業場(廊下の踊り場などを使用)の狭さと輸送費用を抑えるため,コンパクトで分解組立可能とする点だけは,頑固に守られた。また,遠征費捻出のスポンサー活動のために外見や性能もそこそこのものでなければならなかった。

ほとんど全ての部品は,我々がマシン油にまみれ,工作機械を回すことによって作り出されたものである。モノコックボディも雄型から製作し,太陽電池やモーターなどの制御回路も全て自作した。構想の段階から3年,実際に部品や試験台ができ始めてから16ヶ月,テスト用の電気自動車が試走してから5ヶ月,日本を発つ1日前までスペアの部品作りなどに追われた。レギュラーの実働メンバーは4人程度,大がかりな作業については早稲田大学エコランクラブから応援を受けた。ちなみに合言葉は「不屈の闘志」であった。

表1

車体構成は写真にあるように前2輪後1輪の棒状のボディに可動式の太陽電池パネルを背負う形となった。主な構造は炭素繊維によるモノコック構造とフロント部も繊維材料による板バネを用いたダブルウィシュボーン,リア部は分割式のアルミパイプによるトランス構造となり,その他細かい部分は自転車部品もしくはそれに準ずる工作部品により,軽量化,高効率を狙ったシンプルな構成となっている。

4,ワールドソーラーチャレンジ

図1

これがオーストラリア大陸縦断するソーラーカーレースの正式名称である。全行程は3000kmを超え,不毛の荒野”アウトバック”をトップチームは瞬間最高時速100kmを超えるスピードで駆け抜ける,世界で最も苛酷なソーラーカーのイベントである(図1)。このレースは3年に1度開催され,今回が第2回目である。1回目の1987年度の大会で,GM社の「サンレーサー」号が段突の優勝を飾ったことは記憶に新しい。2回目の今回は参加台数約40台,世界8ヶ国からの出場があった。内訳は,地元オーストラリアから11チーム(2高校チーム,2大学チーム,1女子大チーム,他),アメリカから8チーム(7大学チーム),日本から11チーム(学生単独チームは早稲田大学のみ),イギリス,ドイツ,デンマーク,カナダ,スイス,ニュージーランドから各1チームである。

引率教師以外はみんな女の子の地元の女子大学チーム,家族たった3人(自分と妻と4歳の娘!?)でやってきたドイツのロボット技術者,勤め先と関係なく私財をはたいて頑張る日本のサラリーマン4人組,会社のプロジェクトで数億円掛けて勝ちを狙う本田技研,アメリカのGM社のフルサポートをうけ,NASAの研究員も珍しくないアメリカ大学生選抜チームなど,参加動機も目的もそれぞれ異なるチームが,それぞれなりの悪戦苦闘を展開した。

5,レース道中記

11/6にオーストラリア大陸南端の僻地,スタート地点のダーウィンについに到着した。すでに公道を堂々とテスト走行しているチームもあると聞き,また,他のチームを見るにつけ体を駆け抜ける何かを感じた。日中40度を越える猛暑の中で,汗を絞りながらのソーラーカーの組立は,様々な思いを噛みしめながら深夜に及んだ。バケツの水をぶちまけたようなスコールもまた一興であった。ワークショップでの組立作業を終え,電気系チェックののちシェイクダウンとなる。動く。ナンバーをつけ,ホテルまで初めての公道走行を体験する。なんて良い国オーストラリア!!スタートに向けて確実に日程をこなす。いい気分だ。

11/6

ダーウィン到着。大会事務局から必要書類を受取り解読。すでに公道を走っている参加ソーラーカーがあるとのこと。

11/7

ナンバー入手。これで公道走行が可能となる。ワークショップにて組立。

11/8

昼過ぎに組立完了。初の公道走行。

11/9

ドライバー体重計測。各自工夫を凝らして測定に望む。ソーラーカー事前検査,車体寸法,重量,ブレーキチェック,バッテリーの封印などが行われる。

11/10

安定性,制動能カテスト。ダーウィン郊外のサーキットまで自走する。ロードトレインとすれ違いながら最高速測定。30km/hからの制動試験最高速は40km/h(日射の関係でパネル出力が取れなかった)。最高速を出したチームは100km/hを越えている。すごいことだ。夕方ホテルで最後のブリーフィング。何を言っているのかよく聞き取れなかったが,大した事はなさそうだ。明日はいよいよスタートだ。

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第1日目(11/11)

第1日目スタート当日は,朝方まで雨が降って,曇っていた。スタートを定刻より1時間遅らせるという発表があった。全チーム合同のバイキング形式の朝飯(パンだけど)を食べながら,掲示板の天気予報図を見て作戦を練る。「しかし,この辺(200-300km程度先)のストーム(嵐)てえのは何かねえ……」「嫌な天気だね」

電装が水に弱く,日本での経験から太陽電池の発電能力がかなり低下することが予想され,また,300km程度先の地点でストームがあるとの天気予報から,大事をとって他の車よりスタートが多少遅れても天気を見ながらマイペースで出発しようとの決断を下す。

そして3000kmへの挑戦が始まる。

曇りにもかかわらず,30km/hほどの巡航速度がでる。予想以上のスピードにニンマリする。ダーウィンを抜け,昼過ぎから太陽が見え始めるとさらに速度が伸びる。本当にオーストラリア大陸を踏みしめて走っていく。しかし,好事魔多し,駆動系のトラブル発生により面倒な部品の追加工が必要となり,3時間ほどの忙しい「休憩」をとる。再び走り始めるが,前方に暗雲立ち込め,時には稲妻が走る。風が強くなった。「雨降りそうだな……」,規定の5時を待たずにその日は,140km走ったところで,日本からきた別のチームと合同キャンプを張る。風がいよいよ強くなり,ストーム到来かと思われたが,結局雨は降らずことなきを得た(後で知ったが,このとき50km先では土砂降りの雨だった)。まだまだ先は長い……

第2日目(11/12)

最初のメディア・ストップのキャサリーンを通過する。1馬力余りの出力で予想以上に力強く走る。また,机上の計算に近い走りをしてくれるのでうれしい。最後尾からのスタートなので,何台ものチームを抜いていく。すげえぜ。日中の気温は40度近くなるが,午後4時を過ぎる頃には発電電力が落ちているのがはっきりとわかる。268km

第3日目(11/13)

2つ目のメディア・ストップ,ドゥンマラ通過。サポートのキャンパーバンが軽い事故で後ろのウィンカーなどが小破。快走。311km

第4日目(11/14)

かねてよりの懸案であったギヤ比の変更を行う。そのせいでスタートが20分程遅れた。しかし,ギヤ比の変更によるものかこの日は絶好調で太陽電池だけで50km/hでの走行を記録した。しかし日射強度の一番強い昼頃からパワーダウンが感じられ,この日以降,電気系統の原因のはっきりしない不調に最後まで悩まされることとなった。298km

第5日目(11/15)

サポートのキャンパーバンのパンクが発見される。この日のレースのほぼ中間地点の第3のメディア・ストップ,アリススプリングスを通過する。277km

第6日目(11/16)

電気回路の換装をして調子が良くなった気がする。スイスの「スピリットオブビール」がトップでゴールインしたのはこの日。我々には1500km近く残されていた。314km

第7日目(11/17)

速度が35km/h。頭打ちに近い状態で苦しむ。242km

第8日目(11/18)
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やはり調子が悪く35km/h頭打ち。午前中に車を止めプロトタイプの回路に変更。このためバッテリーを切り離して太陽電池だけで走ることになる。この日は大変風が強く,太陽電池パネルを支持していたロッドがすっぽ抜けパネルがフロントタイヤに接触,ロックして路肩に突っ込み,左フロントホイールが大破交換することになった。その後,またしても風によってカウルが吹き飛ばされた。さらに,午後から雲が出始め日光が頻繁に遮られ,プロトタイプの電気回路を積んだソーラーカーはバッテリーが使えず苦戦を強いられた。174km

第9日目(11/19)

電気回路の太陽電池から電力を引き出すために使われていたコンピュータを切り離したことにより調子が良くなった気がする。337km

第10日目(11/20)

先導のサポートカーが徹夜作業をしている電気系担当者を日の出の頃にホテルに迎えにいく途中,カンガルーをひき殺す。車のフロントが大破して,見るも無残。幸いにもラジエーターの損傷はまぬがれそのままレースを続行することにする。この日は調子が良く下り坂で最高74km/hを記録する。風が強く恐ろしかった。しかし,昼過ぎから雲が多くなり,距離が稼げずに終わった。これにより時間内の完走が大変厳しいことがわかってきた。308km

第11日目(11/21)

この日の午後5時までのゴールが公式時間内完走となる。厳しい。あと残り338km。南極に近づいたせいか太陽光に強さが感じられない。交通量も増え,走りにくい。スピードの伸びがない。苦しい。その日の午後5時,残り92km。あと三時間あればとの思いを残して,我々の1990ワールド・ソーラー・チャレンジが公式に終了した。この日の走行距離246km,通算2915kmであった。

同行していたオブザーバー(レースの審判員)をゴール地点のアデレードまで送った。しかし,われわれのレースはまだ終わっていない。

第12日目(11/22)
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午前8時11分,ほぼレギュレーション通りの時刻にスタートした。昼過ぎに3007kmのゴール地点,ジップスクロスを通過,そのままアデレード市内で行われるソーラーカーのパレードを目指した。パレード終了直後にアデレードのタウンホール前に飛び込み,皆から喝采を浴びた。嬉しかった。その後,フィニッシュラインのマクラーレンヴェイルに到着したのが夕方,これで全行程を走りきったことになる。我々のレースは終了した。久しぶりにシャワーを浴びて着替え,さっぱりしたところで夜の盛大な表彰式に臨んだ。「長いけど短いね……」。素直な感想である。

6,レース生活

このレースはスチュアート・ハイウェイの北端の街ダーウィンから,アデレードまでが舞台となっている。

我々は,総勢6人,規定に従い先導車としてステーションワゴン,後続車のキャンパーバンそれぞれ1台,それにソーラーカー”Bithorax'号(突然変異で生まれる羽根が6枚の蝿。形状が似ていることと地球に群がる車をイメージして命名)という体制で挑戦することになった。人員,車共に出場チーム中最小限のサポート体制の中で,スムースにソーラーカーを走らせるには,3台の車への運転者の割り振りや乗り換え,さらには車の燃料,水,氷,食料(優先順)の補給などのタイミングを判断することが最も重要であり,頭を悩ませた問題であった。

1日は,日の出とともにうるさく付き纏う蝿によって目が覚めるところから始まる。ソーラーパネルの充電開始,出走前の点検・調整,缶詰とパンの食事,そして午前8時にソーラーカースタート,午後5時にストップして,その場でキャンプ,日没までの充電,車体整備,蝿と戦いながらの自炊,星を見ながらの就寝というのが1日の基本行動である。ときには,腹の訓子が悪くて5日間何も食べていない電気系担当者を100km離れたホテルに連れて行き,徹夜で回路を修理させたこともあった。その翌朝,彼をホテルに迎えにいく途中で勇敢なカンガルーと衝突し,サポートカーのフロントが大破する損害を受けたのもオーストラリアならではのことであった。

7,レースを振り返り

図2

ソーラーカーの動力制御システムは,図2のようになっている。特徴は,市販の太陽電池パネルからいかに最大能力を引出し,またこれをいかに無駄なく使うかという,エネルギーマネジメントを配慮した点にある。

大規模なバックアップ体制を持たない我々には,天気や道路状況に合わせてバッテリーの効率のよい充放電タイミングを図ることなどは願うべくもなく,また当初,バッテリーによる走行のウェイトはさほど大きくないと想定していた。従って,軽量化への誘惑から,朝夕の充電に対応した500w程度のバッテリーを搭載させた。このバッテリーを,登坂時などの消費電流が多いときや雲,建物などの影に入ったときなどに太陽電池と併用しようと考えたが,実際には巡航速度までの加速時のカタパルトの役割を果たすことが多かった。

自慢にはならないが,結果的に我々のソーラーカーは,おそらく出場車中最も少ないバッテリー容量で全行程を走りきったことになろう。「お日様まかせ」の「ソーラーカー」という言葉のもつ意味に最も近かったのではないかと思う。オーストラリアの日射は予想以上に強く,現在の2倍のバッテリー容量でも使いこなせたのではないかと考えている。

荒れた舗装の続く道をこの車はよく走ってくれた。1馬力程度の太陽電池の力でドライバーを含め240kg近い重量を引きずって,最大巡航50km/h近く,下りで最大74km/hを記録した。レース全行程の平均速度は30km/hであった。ちなみに優勝したチームは3000kmを46時間(5日間),平均65km/hで走り抜け,太陽光の素晴らしさを多くの人々の心に刻みつけた。

資源エネルギーの多量消費社会としての繁栄を満喫している日本の中で,このような未来のあるべき姿を垣間見せるイベントに参加できた幸運を一生忘れることはないであろう。

終始ご指導・叱咤激励を賜わった永田先生をはじめとする研究室の諸兄,資金的援助を頂いた関係各社に謝意を表して本稿を終わりたい。すでに後輩が次の大会を目指してチャレンジを始めている。

「次はおまえの番だ。」。

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