トップ » バックナンバー » Vol.4 » 遺伝情報の変化と発がんの機構 DNA修復

Accumu Vol.4

遺伝情報の変化と発がんの機構 DNA修復

京都大学医学部放射線基礎医学教室

京都大学放射線生物研究センターセンター長

武部 啓

DNAとは,デオキシリボ核酸の略称である。地球上のすべての生物の生きていることの基本情報がDNAに含まれている。このことは,地球において,生命の起源は一回だけだったこと,そしてすべての生物は,その一回の生命の起源に由来していることを意味すると考えられている。DNAに含まれている生命の情報を遺伝情報という。DNAはしばしばコンピュータのテープにたとえられるが,すべての生物がDNAの遺伝情報によって生きており,しかもその情報はわずか4文字の組合せ(後述)だけで構成されているという極めて高度かつ単純なテープと言えよう。

DNAの安定性と変化

DNAには二つの重要な特性がある。まずDNAは正確に複製される。これによって人間の子は人間,俗にいう「瓜のつるになすびはならぬ」という種(生物の種類のこと)の安定性が保たれている。その一方で,DNAは変化するという特性を有する。もしDNAの複製が永久に正確だったら,生命は,初めて発生した時のままのはずで,現在の多種多様な生物は存在し得ない。同じ種の中でも,例えば人間は誰一人同じ顔をしていないし,世界中には何百という人種がある。このような正確な複製によるDNAの安定性と,長い目でみたDNAの変化(不安定性)の両特性に関与している鍵となる働き,それがDNA修復である。

DNAの傷

DNAは,生物を構成している最小の単位である細胞にそれぞれ二組しかない。細胞一個一個にとっては,かけがえのない貴重な情報テープである。ところが,DNAはとても傷つきやすい分子である。例えば多くの生物は太陽の光を受ける場所で生きているが,DNAは太陽光に含まれている紫外線で容易に傷害を受ける。日光消毒という言葉があるが,太陽にさらして,紫外線で殺菌することをいう。DNAに傷を生じさせるものは,環境中にいっぱいある。放射線はその中でもっとも早くから知られていたが,1970年頃からは,いろいろな化合物がDNAに傷をつけることがわかってきた。その中には,人工物も天然物もあり,DNAに傷をつけた結果遺伝子の突然変異(遺伝子の変化=遺伝情報の変化)が生じることから,環境変異原と総称される。環境変異原は,私達の日常生活の中に,空気,水,食物などを通じて避けることができない形で存在している。DNAは常に傷ついているのである。

DNA修復

図1 大腸菌の除去修復

ところが,すべての生物は,DNAに生じた傷を直す力を持っている。それをDNA修復という。DNA修復が極めて重要な役割を果たしていることは,最初に大腸菌で発見された。偶然に見つかった紫外線に極度に高感受性であった大腸菌株を調べたところ,DNAに紫外線で生じた傷を直す力がないためであることが見出されたのである。これに対し,正常の大腸菌は,紫外線によってDNAに生じた傷を99%近くまで直していることが明らかになった。DNAの傷が原因で遺伝子が変化する突然変異についても,DNA修復能力を失った株は,正常株よりも紫外線による突然変異が数十倍も多く生じることが示された。すなわち,遺伝情報の安定性は,DNA修復によって守られていたのである。図1にDNA修復の過程を示す。

人体とDNA修復

大腸菌で前述のような発見がなされたのは1964年のことであった。それから4年後の1968年にヒト(生物学的な人間の呼称)にも大腸菌と全く同じことが見つかったのである。太陽光にさらされた皮膚が黒くなり,かさかさに乾いてはがれ落ちるようになる色素性乾皮症という病気がある。この患者の皮膚を小さく切り取り,そこからガラス器具の中で,細胞を生育させることができる。色素性乾皮症患者から培養した細胞は,大腸菌の紫外線高感受性株と全く同じ性質,DNA修復能を失っていることが証明された。患者以外の人間の細胞は効率よく紫外線によるDNA損傷を直す能力を有する。色素性乾皮症患者の皮膚では,太陽の紫外線によってDNAが傷つき,それが直らないために皮膚が黒くなり,乾いて皮膚細胞が死んでしまうのである。このような修復能の欠損は,遺伝によって決まっている。色素性乾皮症は遺伝病であり,患者の全身の全細胞がDNA修復能を失っているが,紫外線にさらされる皮膚にだけ症状が現れるのである。

DNA修復とがん

色素性乾皮症患者には皮膚がんが多発することが知られている。このことは,DNA修復能が失われるとがんが増える可能性を示唆した。今日,がんが生じる機構の研究は著しく進み,がんとは,遺伝子の変化(突然変異)がその主な原因であることが確実になっている。DNAの傷は,DNA修復能が低下すれば増え,その結果として遺伝子の変化が増えてがんが増える。色素性乾皮症はそのような機構を示したのであった。

それでは,もう一歩突っ込んで,DNAに傷がつくと,どのようにして遺伝子が変化するのであろうか。DNAの傷が修復されないだけでは遺伝子の変化にはならない。遺伝子の変化(突然変異)とは,遺伝情報を変えるようなDNAの変化,すなわち,最初に述べた4文字の並び方の変化なのである。4文字とは,塩基と呼ばれる構造で,アデニン(A),グアニン(G),シトシン(C),チミン(T)の4種である。DNAの構造はこの4文字が,いろいろな順序で長い鎖状に連なっていて,二本の鎖が向かい合って二重らせんを作っている。Aの向かい側には必ずTが,Gの相手にはCが組み合っている。ところが,例えば紫外線によってTに傷がつくと,複製に際し,Tの向かい側にAが来るべきなのに,Tが正しい構造になっていないために,別の塩基が来てしまうらしい。これも一種のDNA修復であるが,修復ミス(エラー)を生じてしまうのである。このように傷ついたDNAの塩基が正しくない塩基と組み合うことになるのが,少なくとも紫外線によるDNA損傷から遺伝子の変化が生じる機構であると考えられている。DNA修復には,前述の傷を切り取って代わりに正しい塩基を入れる修復系(図1)に加えて,傷を残したまま,向かい側に塩基を入れる修復系の二種類が少なくともあり,後者の場合に,しばしば正しくない修復を生じて,遺伝情報(4文字の配列)を狂わせてしまうらしい。図2は実際に紫外線でマウスに作った皮膚がんにおけるDNAの変化を電気泳動法で分析した例である。

ヒト遺伝情報の全解読

それでは,どの遺伝情報が,どのように変わったらがんになるのか。この研究は,1980年代以後,がん研究の中心テーマである。がん遺伝子と名付けられた数十個の遺伝子がヒトで知られている。そのどれかに突然変異が生じると,少なくとも発がんのきっかけになるらしい。一方,がん抑制遺伝子と呼ばれる遺伝子の存在も明らかになってきた。こちらは,ふだんはがんにならないように抑えている働きをしている。DNAに傷がついて,この遺伝子が壊されると,抑制機能が低下して発がんすると考えられる。

このような遺伝子がヒトにいくつあり,遺伝情報がどのように変わったらがんになるのかを知ること,これをさらに拡大して考えると,ヒトの遺伝子を全部解読して,人間の遺伝情報全部を知ってしまおう,という研究計画が進んでいる。これがヒトゲノム計画である。ゲノムとは全遺伝情報の1セットのことである。ヒトのゲノムは30億個の塩基対からできている。この解読には最低10年,4000億円の研究費がかかると予測されていて,日本を含む世界の先進国が協力して着手したところである。DNA修復がかかわっている遺伝子の変化の意義についても,より詳しく,かつ普遍的な情報が入手できる日も近いであろう。

この著者の他の記事を読む
武部 啓
Hiraku Takebe
  • 京都大学医学部放射線基礎医学教室
  • 京都大学放射線生物研究センターセンター長

上記の肩書・経歴等はアキューム4号発刊当時のものです。