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Accumu Vol.12

大学崩壊と専門学校の優位性

少子化・就職難・”黒船来る”の三課題への対応から

経済学博士 教育評論家 中村 忠一

あと4年で大きく変わる受験事情~偏差値無用 社会貢献度ランキング時代~

日本の大学は,あと4,5年もすると,戦後一度も経験しなかった「大学全入時代」を迎える。大学の入学総定員が大学志願者数を上廻り,多少の選り好みをしても大学に誰でも入学出来る時代となる。大学志願者の逆指名時代に入るわけだ。

「大学全入時代」では,ごく一部の”より選抜的な大学“には,“学力の高い”少数の大学志願者が集まり,“少数激戦”の受験競争が残っても,他の大部分の大学から受験競争は姿を消す。

“中堅上位校”では,微風的な競争があっても,「定員の確保」がやっとという情況になる。“中堅下位校”及び“下位校”では,つねに「大幅な定員割れ」と“廃校の危機”が定着する。

このような大学受験事情の大変化から,従来の受験産業企業が自ら行う全国模試によって受験産業企業が自ら作成し,それに受験産業企業の営業基盤を依拠してきた国立型,私立型の文系・理系の偏差値とこれによる大学序列は何の意味も持たなくなる。全国模試の受験者数は少数の高学力層の生徒を除くと激減する。

大半の大学では,学科試験は形式的な初春の学校行事として残っても,選考の中心は面接試験となる。そこでは大半の大学志願者にとっては,全国模試によって自分の受験学力の相対的な位置を知る必要性はなくなる。全国模試を受けてみる必要度は“より選抜的な大学”を受験する“高い学力層”の一部の大学志願者だけの問題となる。

日本の受験産業のパイオニアである旺文社は既に全国模試から撤退したが,他の後発の受験産業企業(大手予備校など)も今後つぎつぎと全国模試の営業から撤退することになるだろう。全国模試の必要性が失われ,受験者が激減することによって全国模試は“利益を生む”営業ではなくなり,“赤字続き”の仕事になるからだ。

全国模試から生まれ,また全国模試が依拠してきた偏差値とこれによる大学序列表が消える。このような情況変化の中で大学志願者が入学する大学を“逆指名”するに必要なのは,偏差値ランキングではなくて「社会貢献度ランキング」,つまり表現をどぎつくすると,「実力度ランキング」になるだろう。

実力度ランキングを作成するとこうなる

1表 実力度ランキングベスト30大学

『サンデー毎日』の依頼で医学系,芸術系,教員養成系を除き総合大学の「実力度ランキングベスト30」を作成した。(『サンデー毎日』2002年11月24日号)1表がそれである。

この表で早稲田大,慶応大が大阪大,東北大より若干評点が低くなったのは「量と質(率)の平均」としてみたためである。また,一橋大と東工大とが大阪大,東北大より低い総合評点となったのは,両大学とも所謂“片肺構造”の総合大学であるからだ。現在進行中の一橋大,東工大,東京外語大,東京医科歯科大の四大学連合が統合合併による新大学を形成すると,この新大学の総合評点は91点となり,ベスト3に入る。

大学の総合化は単なる評点の加算を数で割る方式の数値でその評点が変わるのではない。このケースでは100点満点で10点も評価が高くなる。このことは「量と質(率)の平均」として評価することから生まれてくる。総合大学でも「片肺から両肺への移行」がかなり有利な社会評価を生む。大学バブル期,総合大学化が私立大学の大学戦略の一つとなったのもこの理由からである。

評点順位によって「一流の大学」「準一流の大学」「中堅上位の大学」などとクラス分けするのは妥当なクラス分けではないとの批判もあるだろうが,この批判はさておき,順位1~30位を「一流大学」とする。そしてこれに続く12大学(一流クラスの4割に相当)を「準一流大学」とし,またこれに続く大学を「中堅上位大学」とする。「準一流」クラスの大学は2表の通りである。

2表 実力度ランキングベスト31~42

この12大学に続く大学には,国立大では長崎大(医学部は一流),富山大,鹿児島大,茨城大,山形大,群馬大,岐阜大,愛媛大,岩手大,和歌山大,徳島大,埼玉大,佐賀大,鳥取大,福島大,そしてその他の国立大と続く。私立大では近畿大,専修大,神奈川大,名城大,西南大,福岡大,南山大,東洋大,東北学院大,明治学院大,駒澤大,国学院大,愛知大,玉川大と続き,これに東の武蔵大,独協大,関東学院大と西の京都産業大,龍谷大,公立の静岡県立大,北九州市立大がこのクラスに加わる。このクラスの大学が“緩やかな微風”クラスの大学となるとみてよいだろう。また,“ベスト30”の中から,“より選抜的な大学”が生まれ,残りの大学とさきの12大学が中間的な存在となる可能性が大きい。

「専門大学」と「教養大学」の受験競争での位置

勿論,上記の大学ランキングは“両肺にせよ片肺にせよ”総合大学を対象としたもので単科あるいは文理・教養の大学を対象としたものではない。単科または文・理の大学で総合大学「中堅上位」クラス以上の大学は少なくない。単科大学を理工系と経済系に分けてみると,理工系では,国立の名古屋工大をトップに東京農工大,九州工大,京都工芸繊維大,長岡科学技術大,室蘭工大,福井大(工学部),電気通信大,私立の武蔵工大,芝浦工大,大阪工大,東京電機大,工学院大,千葉工大,公立の姫路工大などが「中堅上位」クラスかそれ以上に相当する。

経済系では国立の小樽商大,滋賀大(経),公立の神戸商大と高崎経大,私立の東京経大が「中堅上位」クラスとなる。中でも神戸商大は国公立の「準一流クラス」の評点となる。

語学系では,東京外語大は21世紀COEプログラムに2件選定された研究評価を考えると,「実力度ベスト30」クラス,大阪外語大が国公立の「中堅上位」のトップクラスに位置するとみてよいだろう。私立では京都外国語大と公立の神戸市立外語大が「中堅上位」クラスである。

ところで「実力度ベスト30大学」の作成に際して教育ジャーナリストの平尾俊郎氏から「国際基督教大が実力度ベスト30大学に入らないのは何故か」という質問を受けた。この質問の理由はつぎのようなことだった。

「国語専門塾の鶏鳴学園の中井浩一代表は日本の大学ランキングベスト3に東大,京大,そしてリベラルアーツ(基礎学術)を掲げる国際基督教大(ICU)を挙げる。社会人として最も大切な教養教育を重視した評価である。入学時に学部選択を求めない大学はICUだけだというのが中井代表の評価である。そして,今回の取材でも複数の関係者から“評価できる大学”としてICUの名前が挙がった。このICUを“実力度ベスト30大学”から外しても良いのだろうか」ということであった。この質問に私はつぎのように答えた。

「ICUの社会的評価はかなり高い。だが,所謂『教養大学』なので今回の“ベスト30”の評価対象から外した。教育評価ではかなり高い評点を得る優秀な大学である。」

ICUだけではない。小規模な文・理系の優秀な大学は,国立ではお茶の水女子大,奈良女子大,公立では大阪女子大,私立では東の津田塾大,東京女子大,日本女子大,西では京都女子大,同志社女子大,神戸女学院大など,戦前派女専(女子大)を母体とした女子大に多い。とりわけお茶の水女子大は21世紀COEでは「誕生から死までの人間発達科学」というユニークな研究で選考をパスした「研究大学」としての性格を兼ね備えた優秀な大学だが,「実力度ベスト30大学」の評価対象校から外した。

21世紀の日本の高等教育機関 五つの将来像とその役割

1図 日本の高等教育機関の将来図

ところで「研究大学」「専門大学」「教養大学」という言葉を使用したが,これは21世紀の高等教育機関の将来像を考えてのことだ。

教育改革によって生徒一人ひとりが持つ能力を全面的に開花させても,個人的な能力にはバラツキがあるのは否定できない。高等教育機関では,画一的な教育から個性的な教育に転換し,“学生集団の学力”とその希望に沿った教育が実行されなくてはならない。このことからすると,21世紀の高等教育機関の将来像は1図のようになる。五つのタイプの高等教育機関が共生し,互いに競争し合って教育の活性化を進めていく。高等教育機関で勉強する学生も,学力と希望する職業,家庭の経済事情などいろんな要素をふまえて,その進路を決定する。

希望する職種となると,医歯薬系,芸術系など特定の分野を除くと,産業社会ではゼネラリストとしての道を歩むか,堅実なスペシャリストとしての道を歩むか,あるいはハードな産業社会のソフトな面を受け持つ専門的教養人としての道を歩むか,大学や企業での研究者としての道に進むか,人それぞれ進路が異なる。

「社会に対する知の奉仕」を受け持つ高等教育機関は,それぞれの進路に見合った高等教育を行わなくてはならない。「研究大学」は研究者,研究能力をそなえた実務者や技術者,医者など上級スペシャリストを育成する。「専門大学」は上・中級スペシャリストを育成し,「教養大学」は専門的知識を持った教養人を育成する。「短期大学」は四大と同じように「専門」と「教養」のいずれかに徹し,この二つの機動性を持つことが必要となる。「資格取得」と結びついた「専門」教育では多くの専門科目を用意して短期間に効率よく学習できるカリキュラムを用意することが必要である。

「専門大学」を追い越す優秀な「専門学校」の誕生

高校新卒者の求人・求職・就職内定率の推移

この「研究大学」「専門大学」「教養大学」「短期大学」につづいて高等教育機関の将来像の一つが「専門学校」である。平成大不況と少子化現象の中で,大学と短大が「大幅な定員割れ」の危機という情況の下で,専門学校が学生数で短大を上廻り,「専門大学」とともに日本の専門教育で重要な位置を獲得した。

「今の大学生は昔の高校生と労働力としての質・能力において差は極めて小さい。だが,4~5歳年齢が高いのでそれだけ世慣れしており,離職率が小さいから,若干賃金が高くついても使い易い」という高卒から大卒への採用人事の転換,言葉をかえると高校卒業者の就職内定率の急激な落ち込みという犠牲があるにも拘わらず,大卒者の就職状況は深刻で,2002年12月現在,内定者は3人に2人という状況である。専門学校生より20ポイントも低い。(高校卒・大学卒・専門学校卒の就職状況の推移は,2図,3図,3表の通りである)

この大卒者の就職難の背景には,現在の大学教育,とくに社会科学系学部教育における「専門性の薄さ」がある。「専門性を持たず」しかも基礎的な学力についても低下がみられ,高卒者と労働市場を分け合う大卒者の就職事情は大学にとってその深刻な情況をあらわす一局面ということができる。

この深刻な危機局面を今の大学が克服できるだろうか。大半の大学が“逆指名”状況になり,高校生の受験学力の低下は避けられない事態である。受験学力の低下はそれほどの問題ではない。むしろ“ゆとり”の中で考える力を培うことができれば,その後の教育にさほどのマイナスは生まれない。しかし,“ゆとり”と同時に“勉学”に対する動機が薄れていくことが心配なのである。この心配がさきにみた就職事情の深刻な情況を引き起こす根因となっている。

では,この危機局面を今の大学が克服できるのだろうか。「研究大学」「専門大学」「教養大学」の三つの大学像は,この局面に対応する「大学のあり方」を描いたものだが,現実には,それは「絵に描いた餅」に過ぎないのではというのが至当だと思われるのが,大半の大学の現状なのである。危機局面の解消には,学生に“専門性追求”の心を植えつけ育てることが必要だがこれが今の大学教育には欠けている。

しかし,大学と大卒者にとっての危機状況は,専門学校と専門学校生にとってはチャンスである。難易度が大幅に低くなった入学試験で楽に入学し,大学の4年間を何の目的も持たず,また持たせる教育も受けず,無為に過ごしてしまう多くの大学卒業生と「専門性の修得」のための教育を受けて過ごす専門学校生とでは就職事情において差が生じるのは当然である。優秀な専門学校が「専門大学」を追い越すだろう。

勿論,この「危機こそチャンス」とするには,専門学校生が「学校の専門教育を最大限に生かす」ことが必要である。無為に過ごすところにはチャンスは来ない。

「専門性の追求」の特性を生かそう

専門学校の教育システムは,専門性の追求=資格取得志向の学生の学習動機を育てる上ではじつに効果的である。専門学校教育の特質は「専門性の追求」にあり,その学習目標の達成度は「資格の取得」に表わされる。「可で良いから単位をください」式のお情け単位取得にみられるような単なる“学歴をつける”ための大学生の学習とは大きく違っている。

勿論,専門学校の教育目的は「資格の取得」だけではない。「一生の夢を託す」仕事に関する知識と技術の修得にある。だが,「資格の取得」試験は学生に学習の外生的動機を与える,と同時に内生的動機を生み育てるという二重の効果を持っている。

内生的,外生的学習動機から生まれる学生の自主的な学習をサポートし,学生の“より高き専門性”の修得と人間的な成長を助けるのが,専門学校教育の大切な役割である。

大学生の学力低下が問題となっている今日,ここに「大学に挑戦する専門学校」の存在意義と社会的に高く評価される基盤が生まれてくるわけだ。

最近専門学校を訪ねる機会が増えたが,学生たちが休み時間を利用して個々に,あるいはグループで自主的に学習している光景を見受けることが多い。大学とくに文系の大学・学部では,殆ど見られなくなった光景である。千葉商大の加藤寛学長がその著書の中で以前学部長をしていた慶応大湘南キャンパスにおける学生たちのIT分野の自主的学習を礼賛していたが,同じ光景を専門学校のキャンパスで見られるというわけだ。専門学校生の人気が高くなっているのも納得できる。

いい専門学校,悪い専門学校 しっかりその実態を把握しよう

専門学校生の社会的評価が高くなってきたのは,専門学校生の「資格と技術」の修得のための自主的学習が基本にあるが,それにはこの学生の自主的学習を支える「専門学校の教学」がある。実際に専門学校の中では本校(京都コンピュータ学院)のように,大学以上のハイレベルな教育を提供している学校がある。イメージングアート・アンド・サイエンス学部と応用科学部においては全米の大学ランキング第1位の実績を誇るニューヨーク州のロチェスター工科大学(RIT)大学院と提携し,RIT大学院科目の授業をRITが認める同学院教員が日本語で行う。こうして取得した科目はすべてRIT大学院の単位として認定され,同時にTOEFL対策の英語もここで勉強できるので通常より短期間の留学で米国の修士号が取得できるシステムになっている。

このことはつぎの二つの点でとりわけ重要な意味を持っている。

一. 同学院の中心的な教員はRIT大学院の教員と同じ資格と能力を持っているということ

二. ネット大学による日本の大学世界での“黒船襲来”への対応が有名一流私大よりも京都コンピュータ学院が早く出来ているということ

がそれである。

このように専門学校には非常に優れた学校がある反面,使わない教材を強制的に買わせたり,出席も満足にしていない学生も授業料さえ払えば進級・卒業させるし,志願もしないのに“奨学生”としての合格通知が届き,振込請求書用紙は通常の合格者と同じものが送られて来る,といった“経営第一”の学校もある。専門学校の「良し悪し」を見分けることが大切な“学校選び”の問題となっているのも事実である。

最近の専門学校人気の背景には,好きな道を職業にすることに生き甲斐を求めたり,普通の会社員になってリストラの憂き目にあうより「手に職をつけたい」というような若者たちの動機が多いという。そのためにもこの“学校選び”が大切になる。

国際的有名大学の“ネット大学”への対応は大学より専門学校が機動的

日本学術振興会の佐藤禎一理事長は『学生不足という“飢餓”を心配するより先に黒船が来る』と大学世界に警告する。この黒船襲来の有力な動きが,国際的有名大学の“ネット大学”の上陸である。

日本経済新聞は『大学が変わる』の特集(2002年11月20日~26日付)の中で,この動向をつぎのように指摘している。

「欧州,オセアニア,アジア各国の17の大学と企業の連合体であるウニヴェルシタスが2003年からインターネットによる講義の提供サービスを行う。“ネット大学”の展開である。キャンパスがなくてもネットの双方向性コミュニケーションで講義や質問を可能にするeラーニング。欧米では学位取得も可能なシステムである。少子化対策で旧来型の学生集めに走る日本の大学を尻目に,海外の大学は軽々と国境を越え,講義をネットで売り込む。米国のスタンフォード大学など有名校も例外ではない。

世界貿易機関(WTO)は今年(2002年)加盟国から”教育サービス“についてその意見募集を始めた。海外の学位も認定しない日本は次なる“自由化”の標的だ。」(11月20日付)

国際的な有名大学が“ネット大学”を日本で実現すると,その有名大学の「学位」を取得できることになる。つまり,スタンフォード大学の学位をアメリカに長期留学しなくても日本にいたままで取得できる。この学位取得は“外国の学位を認める”あるいは“認めない”といった小手先の問題ではない。国際的な有名大学の学位取得は日本の有名大学の学位取得に匹敵するか,あるいはより高い社会的評価を受ける可能性が大きい。

勿論,海外の有名大学の“ネット授業”に対する対価(授業料)が幾らかが問題になるが,地方から東京や京都などに遊学する生活費を含めた実質学費に比べると安くつくことだろう。現在のように「英語さえできれば」という私立文系の学力の高い高校生が国際的に有名な大学の”ネット大学“に流出することは避けられない。

さきのウニヴェルシタスへ日本の大学は参加していない。この日本の大学の不参加の理由をメディア教育開発センターの吉田文教授はつぎのように指摘している。

「日本の大学の講義が魅力あるコンテンツ(情報の内容)と見られていない懸念とトラブル対策要員の配置などランニングコストがかかるeラーニングより留学生を連れてくる方が割安という私学経営者の考え方がある」

この二つの理由から国際的な大学と企業の連合体であるウニヴェルシタスの“ネット大学”参加への私立大学の対応が遅れているとすれば問題である。

ところで,日本の大学が東南アジア向けに“ネット大学”を開始する場合には,日本語の“ネット大学”で始めるべきである。東南アジアからの日本への留学の最大の動機は「日本企業への就職」である。つぎが日本での「科学と科学技術」の勉強である。日本留学が学術的にみて魅力がないと考えるのは間違いだろう。この3年ノーベル化学賞を連続して受賞し,2002年は化学と物理のダブル受賞である。東南アジアの留学生に対するインパクトは大きい。留学生にとって魅力が小さいとすれば,それは欧米より「学費が高くつく」ということだろう。高学費問題を解決するのが“ネット授業”の拡充ではないだろうか。

いろんな問題が多く残されているにせよ,かつてアメリカの大学が日本進出に失敗した事例とは違って,海外の有名大学が“ネット授業”で日本に居ながらその大学の学位を取得できるという教育システムで日本に上陸して来る日も近い。この「黒船来る」のマイナス影響は大学だけでなく,専門学校にも波及することは避けられない。

この「黒船来る」への対応では,機動性の弱い大学に比べると,“大学に挑戦する”優秀な専門学校は素早く動くことができる。既にその手本がある。京都コンピュータ学院のロチェスター工科大学との提携や,中国・発展途上諸国とのIT技術教育の援助がそれである。“ネット大学”方式の「黒船来る」への対応には受け身ではなく,京都コンピュータ学院方式の整備・拡充が必要だろう。私はこれを期待している。

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中村 忠一
Chuichi Nakamura
  • 京都大学経済学部卒業後,同大学助手,甲南大学助教授・常任理事,立命館大学教授・学生部長を歴任
  • 経営学的に大学を分析した「危ない大学」シリーズ,「私立大学甘えの経営」,「あなたの大学が潰れる」など大学関係の著書のほか,産業論,経済社会論の著書も多数

上記の肩書・経歴等はアキューム12号発刊当時のものです。