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Accumu Vol.6

出会い 中国の旅から

米田 貞一郎

旅に出ると思わぬ人との出会いがある。この出会いがまた旅の楽しみであり,大切なのだ。お互い,面識の有る無しに拘らず,老若男女を問わず,職業・出身・言語・しきたりなども乗り越えて,とにかく目をみつめ,顔色をうかがい,片言を交わしているうちに,心が通い解り合えたような気分になる。長い時間にわたることもあれば,短い時間のこともある。別れた後の余韻が濃かったり淡かったり,後々音信を交換するまでになったりならなかったりと,同じ出会いといっても多様である。だが,出会いにはドラマがありロマンがある。

ここに,私の数次の中国旅行から,このような思わぬ出会いのいくつかを披露することにしよう。

日本語熱と渡日欲

上海友誼商店

上海は友誼商店でのことである。日本へのみやげをと勢い込んでいるツアーの仲間から外れてひとり,書画部の陳列ケースの前に進んだ私は,ゆっくりと作品の一つ一つをながめていた。ふと気がつくと,私の傍に一人の中国青年が寄り添うように立っている。そういえば少し前から傍に人がいるのは感じていた。若干の警戒心が働く。するとその青年が「興昧がありますか」と,よく解る日本語で話しかけてきた。驚いて,私は青年の顔をじっと見ながら「ええ少々。でも日本語が上手ですね」と返す。それをきっかけに,書画はともかく,日本語がどうしてそんなに上手なのか,いつから,どこで,どんな方法で学んだのかなど問いかけた。青年はうれしそうに,ここ二ヶ年ほど,テレビ・ラジオなどで独修したのだと,手に持った中日辞典やテキストを示す。そして,早く日本へ行きたいという。その願望が,彼をしてこの外国人専用の場所に忍び込ませ,日本語に馴れるように駆り立てている。正に自主的体験学習で,僅かの時間ではあったが,私は彼の日本語実習の相手を勤め,けいこ台となっていたというわけである。

同じく上海は国内線空港に来てくれた若い中国人通訳のことである。実に巧みでしかも美しい日本語を話す。聞けば,上海の大学の院生で,すでに日本への国費留学の許可を得て,現在渡航待機中。大阪または京都の大学で日本近代文学を研究するつもりだというから,どんな作家かと尋ねると夏目漱石。彼の作品の何を読んだかというと,自若として,漱石全集全巻を通読したと。いやはや驚いた私は後が続けられなくなってしまった。この旺盛な研究心,執拗な渡日欲が,この正確な日本語を語らせ,堂々たる態度をとらせているのだと脱帽した。私たち,わけても若い日本の学生にとって,頂門の一針というべきではないだろうか。

中国での日本語熱と渡日欲が盛んなことはすでに周知のことである。学校では日本語を第二外国語の一つとして学習させているし,市井の人も自学自習をして職業に役立て,折あらば日本に渡るチャンスをとねらっている。私たちの利用する観光バスのガイドの大方が,そうした自主学習で国家試験をパスし,国家公務員として私たちの前に立っている。男女を通じて,日本人のウィット,ユーモア,格言,ことわざ,そして現代流行歌謡をマスターしているように見える。ツアーの終わり際には,きまったように千昌夫が歌う「別れることはつらいけど…」をしんみりと歌い上げ,でもまだ一度も日本へ行ったことはないのですと歎いてみせる。

どうして彼らはこううまく外国語が話せるのかとは,いつも考えさせられる疑問の一つである。あるいは,誠実で責任感が強く,サービス精神に徹しているからではあるまいか。そういえばこんなことがあった。北京の若い新人女性ガイドだったが,老練な運転手と組んでの案内中。私がトランクの小さな鍵を紛失したのでその代わりを求めたい,鍵屋があったら車を停めてほしいと頼んだものだ。彼らは然るべく王府井の店屋に導いてくれたが,生憎所望の鍵はない。彼らは一方で,時間内に予定の観光案内を果たさねばならないと頭をひねっているらしい。結局,観光コースを終えてホテルに私たちを届けた時,彼らは今からあちらこちらを捜して必ず買ってきてやると言い置いて市中に走り去った。少時したら,あったあったと小さな鍵を届けてくれ,いかにも満足げな笑みをたたえて再会(サイチェン:さよなら)を繰り返す。もちろん,チップなど要求するような素振りは微塵もない。私はかねてそんなこともあろうかと用意していた洋モクー函と刺繍入絹ハンカチを呈上して労をねぎらい,彼らの無欲に徹したサービス精神をわが胸に銘じたことだった。

中国の教育上の一課題

揚州冶春の女子中学生

中国の学校では,今や自学自習,自主的学習態度の育成が一つの大きな目標になっているのではない かと思わせることがあった。

所は揚州市中の一角,冶春公園の大樹の下。5月1日,この日はメーデーで学校はお休み。昼下がり。中学生らしい女の子が四人,園内作りつけの円卓を囲み,プリントを前にして話し合っている。声をかけると英語で答える。師範大学付属中学生というから,日本ならば一応エリートコース。プリントの物理の問題に,互いに討議をしては解答らしいものを書き込んでゆく。明朗・真摯・協力といった形容詞がぴったりの光景。日本の中学生にこんな雰囲気があるのだろうかと振り返ってみる。南京市に入った時,私たちのチームは教育文化界友好訪中団と称していたので,南京市長を表敬訪問。ついで市長の招宴をうけることになった。たまたま市長は公用で欠席。張連発副市長にお目にかかったところ,日本の教育関係者に教えてほしいこと,それは中国の一人っ子政策のためにわがままになってしまった子どもたちの指導法だと。

中国の一人っ子政策は,経済の高度成長などと相俟って,中国伝統の儒教色の強い東洋式家庭教育を大きく変えつつある。多くの家庭では,子ども一人しか産まないため,その経済力にまかせ,子どもをぜいたくに育て,小さい時から英才教育をめざして塾に通わせ家庭教師をつける。知識偏重で,道徳や他人への思いやりなどが軽視され,子どもは賢く見えるがわがまま,自己中心的である。なんとか真の幸福をめざし,正しい社会道徳意識を身につけさせたいがどうかと問われる。

日本も,一人っ子政策こそないが,青少年教育の課題は山積していて,張副市長の憂いと全く同様,同病相憐れむの思い。教えを乞われて却って冷汗の滴るのを留めることができなかった。

隣人とのつき合い―心心相印

上海から帰国の機中で隣り合わせたわが国の中堅商社マンと,今夏の異常気候談義から会話の道が開けた。私は生半可な認識ながら,中国経済界への日本の企業の進出が,及び腰というか臆病というか,諸外国に遅れをとっているのではないかと問うてみた。彼はそれを肯定しながら,中国人との商売のしかたのむつかしさをこぼし,要は人と人とのつき合い,相互信頼,心心相印ですなと教えてくれた。

朝日新聞の最近の世論調査で「日本人のアジア観」を調べた結果がある。アジアの国々や人々に親しみを「持っていない」が全体の33%,アジアの人々から「嫌われている」と思う人が同じく56%で,若い人ほどその率が高い。天声人語子曰く「アジアの国の友人が身近に一人でもいれば,こういう結果にはならないのではあるまいか」と。私も同感。中国人について,私が旅中の出会いを通して多少なりとも心心相印の知人をもつことを心掛けているのは,ひいては広く日中友好・親善に寄与することになると考えているからである。

他生の縁

故宮に遊ぶメリサ嬢

1991年の初め,縁あって本学院の英語講師をしていたアメリカ・ハーバード大学出たてのメリサ嬢と,同行五人で北京・上海を訪ねた時のことである。彼女はアメリカの友人が滞留しているといって武漢に先行。飛行機で後発した私たちと北京のホテルで落ち合ったところ,彼女は単身,九時間の列車の旅だったという。北京で五人揃って,天安門・故官博物院,そして明十三陵・万里長城とおきまりの観光コースを廻った後,上海に向かうことになったら,彼女はまた,どうしても列車で行くといってきかない。上海のホテルで落ち合うことにして夜行列車で先発したが,列車の中で周りの人たちから珍しがられ,色々なつき合いができて面白かったと,飛行機で先着の私たちの前に元気な姿を現わした。その大胆さ,天衣無縫ぶりには唯々目を剥く思い。だが,日本の若い人たちに是非学んでほしいフロンティア精神である。アメリカに帰ったら社会福祉のしごとをすると張り切っていたが,今ごろどうしているだろうか,健在を祈るや切。

老君殿の扁額・鞍山千山の無量観

今夏訪れた東北部,遼寧省鞍山の千山公園では,中国人の思い遣りに救われた。広大な公園内の一道教寺院無量観に詣で,「老君殿」の扁額に向かってシャッターを切った。途端に殿内から一人の僧侶が険しい顔付で迫ってきて,カメラを指して喧しく文句をいう。どうも殿内の仏像を撮ったのはけしからんというらしい。撮影禁止の殿内を撮ったりはしていないと私は身ぶり手ぶりで釈明するが通じない。フィルムの番号をのぞいてきて,それを取り出せと責めている様子。そんなことはできない,一枚取り出せば全部だめになると応ずると,カメラを私の手から取り上げてついて来いと先に立って歩き出す。どうなることかと従うと,近くに店を出している観光客相手の野外写真屋の前に誘導された。僧侶は写真師にカメラを渡し,フィルム番号をいって抜き取れと命ずると,身をひるがえして殿内に帰って行く。写真師は,徐にカメラを傍の小さなブラックボックスに入れ,僧侶の遠去かる後姿を見ながら,あたかも作業をしたかのように間をおいてカメラを取り出し,私に向かってにやりと笑いながらカメラを差し出した。その柔和な目にほっとした私は,思わず謝々(シェシェ:有難う)と大声をあげ,思わず右手を差し出した。写真師はまたにっこりと笑って私の手をやわらかく握り返した。

この中国の人の機転と思い遣りは,今も私の心を把えている。

(1994年9月)

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米田 貞一郎
Teiichirou Yoneda
  • 京都帝国大学文学部卒
  • 元京都市立堀川高等学校校長
  • 元京都市教育委員会事務局指導部長
  • 京都学園大学名誉教授
  • 京都コンピュータ学院顧問

上記の肩書・経歴等はアキューム20号発刊当時のものです。