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ビル・トッテン氏 講演「これが日本の歩む道」

いわゆる経済の奇跡と言われた1960年代,1970年代,そして1980年代,日本のリーダーたちは長期的な視野で経営を行い,それは短期的な視点から経営を行っていたアメリカの経営者から嘲りの対象となるほどであった。今私は,日本がアメリカ式の短期志向主義に染まってしまったことを危惧している。日本の政治家は次の選挙,そして当選するための政治献金を集めることだけを考えている。給料が少ないと思っている官僚は,自分たちが規制するふりをしている業界に天下りすることが一番の関心事のようだ。マスメディアは最大の顧客である大企業の利益になるような偏った報道しかしない。そして国民の多くは,国家の問題よりも娯楽や自分の楽しみの方により多くの関心を持っているようである。日本の経済,政治,社会が長期的に健全であることに,もはや誰も関心がないようだ。その例をいくつか挙げてみよう。

〈生産性〉

私は人が「生産性」という言葉を使う時,それがどういう意味なのか,いつも興味がある。製品やサービスを生産するために,われわれは(最低でも)土地,労働力,資本,エネルギーを必要とする。

資本家は自分の資本から最大の利益を得るために,土地,労働力,エネルギーの生産性を最大にしたいと考えるだろう。そして短期志向の資本家は,土地,労働力,エネルギーの短期的な生産性を最大にすることで,短期間に自分の資本から最大の利益を得ることを願う。

政治献金,天下り先の提供,官僚や政治家への接待,一般大衆をマインド・コントロールするためにメディアに支払われる広告宣伝費など,資本家によって買収された金権主義国家は,この資本家の生産性を最大にするために,土地,労働力,エネルギーの生産性を上げたいと思っているようだ。

国家として最高の経済効率を求めるならば,過剰に豊富な資源ではなく,不足している資源の生産性を最大限に利用することを求めるべきである。日本において,不足している資源は土地とエネルギーであり,過剰にあるのは資本と労働力である。

◎資本

日本の資本が余っていることは,お金が製品やサービスの生産ではなく,株,債券,不動産,外国為替などの投機に向けられている事実から明らかである。

たとえば,日本では,商品の生産やサービスに使われる金額の84%にあたる金額が,企業の株式の売買に使われている。そして企業株式の売買に使われる金額の99%は純粋なギャンブルで,企業が新しく資本を集めるための株式売買は全株式取引のわずか1%にすぎない。なぜなら企業が株を売ることで資金を手にできるのは,新規発行株だけである。しかし新規発行株は,株式売買全体のわずか1%にすぎない。

一日あたり世界の外国為替通貨売買に使われるお金は,日本の1年間の商品生産やサービスの合計とほぼ等しい。世界の外国為替通貨売買に使われる金額は,世界の貿易取引額の48倍であり,世界の商品やサービスの生産に使われる金額の24倍である。円の通貨売買に使われる金額は日本の海外貿易額の176倍であり,日本が商品やサービスの生産に使う金額の47倍である。

外国為替取引をする唯一の理由は,海外との貿易や海外旅行のためであり,それ以外はギャンブルである。つまり,円の通貨売買に使われるお金の99%以上は,純粋なギャンブルなのである。

もっと例を挙げることはできるが,日本がいかに資本が余っているかを示すのはこの2つの例で十分だと思う。このように過剰にある資本の生産性をあげる必要はないのである。

◎労働力

日本においては労働力も過剰である。日本には労働人口の5%にあたる300万人が失業している。そしてこれは政府の公式発表の数字であり,それに含まれるのは,(1)「仕事についていない」,(2)「仕事があればすぐつくことができる」,(3)「仕事を探す活動をしていた」(4)「調査期間中に賃金,または給料を得る目的でまったく仕事をしていない(1時間でも仕事をしてはいけない)」人々だけである。

アメリカでもこのような正式な失業者の数字を発表しているが,同時に,(1)週に1時間以上働いたが実際に働きたい時間,または働く必要がある時間には足りない,(2)そのような「仕事を見つけることをあきらめた」失業者の数字も見積もっており,そういった失業者を公式の失業者に加えると,失業率はおよそ80%増える。従って,同様に見積もれば日本の失業率も5%,300万人の失業者ではなく,10%に近い,およそ500万人が失業しているといえるだろう。

さらに日本では政府の公式発表においても16歳から19歳の失業率は10%,20歳から24歳が9%,25歳から29歳は7%もの高失業率である。もしこれらの若者で,仕事を見つけるのをあきらめた数を加えたら,その数字は16歳から19歳が18%,20歳から24歳が16%,25歳から29歳が13%という数字に跳ね上がるだろう。

◎土地

日本の国土が狭いことは言うまでもない。人口密度は先進国でも最も高い国の1つであり,1平方キロメートルあたり342人である。人口密度はアジアの平均は128人,世界平均は50人,ヨーロッパは32人,南米,北米は22人である。

◎エネルギー

エネルギーが足りないことは,そのほとんどを輸入に頼っていることからもわかるだろう。したがって,日本が経済の効率を求めるのであれば,豊富にある資本や労働力ではなく,その狭い土地と少ないエネルギーの生産性を最大にすることを求めるべきなのである。

そしてもし国民の健康や幸福を最大にすることを求めるのであれば,日本の労働者の所得を最大にするために,資本,土地,エネルギーの生産性を最大限にすることを求めるべきだろう。なぜならほとんどの国民は健康や幸福に暮らすために,所得を使って必要な衣食住を手にしているからである。

このため私は,人が生産性という言葉を使う時に,それはどんな意味なのだろうか,といつも思うのである。

私はテレビを見ないし,新聞もほとんど読まない。なぜならテレビは宣伝広告からほとんどの収益を得ており,スポンサーである大企業が視聴者に信じさせたいことしか報じないことを知っているからである。新聞も同様に収益の多くは広告からである。私が主に情報を得ているのはインターネットからである。もし正確で,信頼のおける,偏見のない情報が欲しいのであれば,広告によって収入を得ているメディアからそれが得られるとは思うべきではないだろう。

私はテレビをみないので,日本でアメリカの「Occupy Wall Street」(ウォール街占拠のデモ)について報道されているか知らない。これはアメリカ政府にベトナム戦争をやめさせたデモ以来,アメリカで最大の抗議運動となっている。また同じような抗議運動がイギリス,ギリシャ,イタリア,スペインでも行われているし,中東では「アラブの春」と呼ばれる抗議運動,デモ,革命が起きた。日本のテレビはそれらについてどのくらい報道したのだろうか。

アメリカ,ヨーロッパ,そして中東で人々がデモをし,抗議をしているのは,同じ事柄についてである。それは,国家の1%の金持ちが残りの99%の国民を略奪していることに対して声を上げているのだ。

なぜ日本の国民も同じようにデモや抗議をしないのだろうか。日本は平等な社会だからデモをする必要がないのだろうか。それとも,日本人は皆,娯楽に夢中か,または99%の国民が1%に略奪されていてもまったくそれに無関心だからだろうか。

以下に,いくつかの事実を挙げてみよう。

1. “経済の奇跡”から “失われた20年”へ

私は日本に住んで42年になる。その前半は,日本の経済の奇跡といわれた時代であり,後半は失われた20年だ。なぜ日本経済は過去20年間に停滞し,失業者が増え,所得格差の広がりや自殺率など,社会が悪くなっていることを示す数字が悪化したのだろうか。

2.所得格差

高度成長期に日本人はよく「一億総中流」と言った。それは上がっても下がっても,皆同じ船に乗っているようなものだった。今,日本は先進国の中でもっとも所得格差の大きな国となった。OECDの相対貧困率(全世帯の中で所得中央値の世帯に対して半分以下の所得しかない世帯の割合)のデータによると,日本よりも相対貧困率が高いのはアメリカ,メキシコ,トルコだけである。1980年代,所得中央値の半分以下の世帯は12%だったが,今日では15%が半分以下の所得しかない。

3.税制

金と権力を持つ人々は今,これまで以上に強く消費税の増税を求めている。消費税を増税する彼らの今回の言い訳は,政府の巨額の負債と,東北地方を襲った地震,津波,そして原発事故の復興費のためだという。

余談だが,地震は自然災害だが,津波と原発事故は人間がもたらした災害である。私たちの祖先は数百年間にわたり,津波の被害を受けた場所には建物を建てたり住んだりすべきではないということを知っていた。しかし明治時代初頭から,急速に人口が増加した日本は,その大切な知恵を無視してその場所に家を建て,人が住み始めた。津波被害を受けたところは,まさにそのような場所だった。さらに,その急速に人口が増加した日本で,国民が贅沢にエネルギーを使って生活できるだけの十分なエネルギーを急いで確保しようと,私たちは原子力エネルギーの危険性を無視して日本全国に原子力発電所を建設したのである。

話を税金に戻そう。基本的に税金には2つのタイプがある。

①累進税と比例税は支払い能力(所得)によって累進的に,または一定の税率で課税される税金。 この場合金持ちになるほど貧しい人よりも高い累進率または比例で支払うことになる。代表的なのが〈a〉所得税(国税),〈b〉法人税(国税),〈c〉相続税(国税),〈d〉固定資産税(地方税),〈e〉住民税(地方税)である。

②逆進税は支払い能力(所得)とは関係のない税金。貧しくても金持ちでも同じだけ払わなければならない税金。日本における逆進税は消費税(国税・地方税)である。

*日本には,上記以外にも多数の国税,地方税がある。

例えば国税では,酒税,たばこ税,たばこ特別税,揮発油税,地方揮発油税,石油ガス税,自動車重量税,航空機燃料税,石油石炭税,電源開発促進税,関税,とん税,特別とん税である。

また地方税では,法人事業税,不動産取得税,地方たばこ税, ゴルフ場利用税,自動車取得税,軽油引取税,自動車税,軽自動車税,特別土地保有税,入湯税,事業所税,都市計画税,国民健康保険税,核燃料税,砂利採取税,使用済核燃料税, 狭小住戸集合住宅税, 歴史文化環境税, 環境税 , 産業廃棄物税, 環境未来税,遊漁税, 宿泊税,等々がある。

これらの税金の中には,たばこ税や酒税など逆進税のものもあるが健康への害を最小にするためにはそれでもよいだろうし,または揮発油や石油ガスなど,輸入しなければならないもの,ゴルフなど贅沢なレジャーが逆進税であっても同様のことが言える。

今回の分析ではこれらの多数の税金は含まないことにする。なぜならそれによって主要な分析から注意がそれてしまうし,また,分析対象期間におけるそれらの税収の割合はあまり変化がないためである。

◎個人所得税

1989年以降,個人所得税の税収は39%減少した。個人所得税が全税収に占める割合は,1989年には24%だったが,2010年には全税収の17%に減少している。

日本政府が富裕層に対してどのように減税をしてきたかを見てみよう。

最高の課税所得金額の税率の変遷
1974年〜 8千万円超  75%
1984年〜 8千万円超  70%
1987年 5千万円超  60%
1989年 2千万円超  50%
1995年 3千万円超  50%
1999年〜1,800万円超  37%
2007年 1,800万円超  40%

言い換えると,日本政府は1989年に消費税を導入してから所得税の最高税率を20%も下げた。近年の低迷する経済状況にもかかわらず,所得税率は高度成長期の半分ほどしかない。ここから学ぶことはないのだろうか。

さらに,この税率は製品やサービスを提供することによって得る賃金や給与にかかる率だけである。金持ちになればなるほど,そのお金を株式や債券,不動産,為替などのギャンブルに使うことができる。株の売買で得た所得にかかる税率は,わずか10%である。

◎法人税

2010年度の法人税税収は,1989年に比べると53%も減少した。法人税が全税収に占める割合は,1989年の21%から,2010年にはわずか12%に減少した。

日本政府は次のように,法人税を減税してきたのである: 1952年 42%
1955年 40%
1958年 38%
1965年 37%
1966年 35%
1970年 37%
1974年 40%
1981年 42%
1984年 43%
1988年 42%
1989年 40%
(消費税導入)
1990年 37.5%
1998年 35%
1999年 30%

日本政府は法人税を徴収し始めた時から25%も税率を下げた。日本の高度経済成長期と経済が停滞している近年の税率を比べて,何か学ぶことはないのだろうか。

◎固定資産税

地方固定資産税は,富裕層は貧しい人々より一般的により高い価値のある資産を多く持っているという点では比例税である。固定資産税は1989年から57%増えており,1989年には全税収の6%だったが,2010年には12%に増えた。固定資産税の平均税率は1・4%と変わらないため,これは富裕層の個人または企業の富の増加を反映しているといえる。

◎住民税

日本の現在の住民税は前年度の課税所得の10%と,累進税というより比例税となっている。2007年以前は,前年度の課税所得が700万円を超える人は13%であった。

住民税はわずかに減少しているが,1989年には全税収の15%だったものが,2010年には18%と増加している。

◎相続税

日本政府は1989年以降,相続税を38%も減らしてきた。

相続税は金持ちにかかる税金であり,一般的に申告の対象者は亡くなった人の5%程度といわれている。日本政府がこの相続税の最高税率をどのように減らしてきたか次の通りである。 1988年以前
課税遺産総額5億円以上 75%
(基礎控除2千万円+法定相続人一人につき4千万円)
1988年〜1992年
課税遺産総額5億円以上 70%(基礎控除4千万円+法定相続人一人につき8百万円)
1992年〜1994年
課税遺産総額10億円以上 70%(基礎控除4千8百万円+法定相続人一人につき950万円)
1994年〜2003年
課税遺産総額20億円以上 70%(基礎控除5千万円+法定相続人一人につき1千万円)
2003年〜2011年
課税遺産総額3億円以上 50%(基礎控除5千万円+法定相続人一人につき1千万円)

このように相続税は減税されているにもかかわらず,1989年以降相変わらず税収の2%となっている。

◎消費税

1989年に初めて消費税(国税)を導入してから,その税収は3倍に増えている。また1997年に導入された地方消費税の税収額も3倍に増えている。

国税,地方税合わせた消費税の税収は,1989年から4倍近くに増えた。国税,地方税合わせた消費税の税収増額は1989年には税収の4%に過ぎなかったが,2010年には全体の16%と,4倍に増えた。

個人所得税,法人税,相続税,固定資産税,住民税は,それぞれの支払い能力により納税額が変わる。個人の所得税は所得により累進的に変わり,法人税はその企業の利益の規模に比例し,相続税は死亡時の富の大きさで累進的に変わる。固定資産税は土地,建物,工場設備などを取得する能力に比例する。住民税はある程度累進的である。すなわち,所得税を払っている個人は昨年の所得の約10%を住民税として支払わなければならない。住民税の税収は1989年と2010年でほとんど変化はないが,それが地方と国の税収の合計に占める割合は1989年の15%から,2010年には18%に増加した。

しかし消費税は逆進税である。つまり支払い能力,その所得や富には関係がない。支払い能力の低い人であっても,消費した金額に対して,支払い能力の高い人と同じ割合で税金を支払わなければならない。たとえば年収200万円の人はその所得のほとんどを衣食住に費やすだろうし,数千万円の年収がある人なら,衣食住に使う割合はその一部となるだろう。それにもかかわらず,主にお金持ちが買う高級品であっても,貧しい人びとが買う生活必需品であっても,それにかかる消費税率は変わらない。私を含め,そのような逆進税は不公平であり,健全な経済と社会にはふさわしくないと思っている人は多い。

支払い能力によって課税されていた日本の税金が,1989年以降どのように変わってきたかを見てみよう:

● 所得税,法人税,固定資産税,相続税などの支払い能力に応じて累進的に課税される税金の税収総額(2010年度)は,1989年に比べて26%減少し,一方で支払能力とは無関係な税金(国と地方の消費税)は383%と,約4倍に増えた。

● 1989年,日本政府が集めた税金の69%は支払い能力(所得,利益,富など)に基づく税金で,わずか4%が支払い能力に関係なく,一定割合課される税金(消費税)だった。

● 2010年になると,60%は支払能力に基づく税金で,支払い能力に関係なく払わなければならない税金は16%に増えた。

日本経済の約60%は個人消費であることから,そして貧しい人々はその所得や富のほとんどを消費し,一方で金持ちになるほどその所得や富のうち消費する割合が減ることを考えると,この「課税による略奪」だけで,回復の見えない失われた20年の間,なぜ日本国民が苦しんできたのか,その説明が十分つくと思う。

ここでは消費税導入後の21年間を見てきた。次に過去42年間を見てみよう。これは私にとって思い入れのある時代だ。なぜなら私が初めて日本に来たのは42年前の1968年で,1969年から日本に住み始めたからである。日本は高度経済成長期にあり,当時の公的債務は5兆円に満たなかった。

1968年から1988年の経済成長の時代,日本に逆進税(消費税)はなかった。すべての税金は納税者の支払い能力に比例,または累進的に課税された。日本政府が最初に消費税を導入した1989年,逆進税は比例および累進税の0%だったのが5%に増えた。そして2010年,逆進税は比例および累進税の28%にも増えたのである。

これだけでも,十分日本の「失われた20年」の説明にならないだろうか。

国民の健康と幸福を求める公正な政府であれば,国民の支払い能力に基づいて累進的に課税するであろう。支払い能力とは,人間の頭や腕,足の数ではなく,所得や利益,富に基づくことなのだ。

しかし支払い能力が高いということはまた,多額の政治献金をしたり,政治家や官僚に贅沢な接待や天下り先を提供したり,宣伝広告費を使ってマスメディアを自分たちのプロパガンダ機関に変えることができるということでもある。日本政府は,税金を支払う能力ではなく,賄賂を払える能力にもとづく税制を選んでいると言えるのではないか。

もしこれが短期志向主義でなければ,何だろう。実際,これが階級闘争でなければ,何だろう。

また,賢い政府であれば消費が日本経済の約60%を占めていることを理解しているはずである。所得や利益,持てる富の少ない人は,高い所得,利益,富を持つ人よりもずっと多くの割合をその所得から消費している。従って,持てる人から貧しい人々へ税金をシフトすることは,日本の経済をさらに弱めることにつながるのである。

この政府の政策が愚かで無能でなければ,何だろう。

ある人は,なぜこの寄生虫のような愚かで無能な政府に対して,日本国民は,たとえば反ウォール街のデモのように,政府に対する抗議デモをしないのか,と尋ねるかもしれない。または,これらの犯罪にも等しいことをする愚かな政治家を,なぜ選挙で落選させようとしないのだろうと言うだろう。

その質問の答えはおそらく,多くの所得,利益,富を持つ人々への税金を減らしたことによって,彼らはますますマスメディアという名の娯楽産業に巨額の資金を提供するようになり,日本国民はその娯楽に支配されて,自分たちがいかに徹底的に略奪されているかをほとんど知らないか,またはそれについて関心さえもないのではないか。私はそう思っている。

4.政府が助けるのは人ではなく,大企業

2011年8月,政府は円高を阻止するために4・5兆円の為替介入を行った。さらに10月31日には再び7・5兆円の介入をし,円の価値が上がらないようにするための,虚しい試みをした。つまり政府は,日本の国民や企業の所得や富の価値を下げ,日本が輸入しなければならない食料,エネルギーその他多くのものの価格を上げるために12兆円を使った。

日本の純輸出は,日本経済のわずか1%にすぎない。なぜ日本政府は1%を助けるために,99%を犠牲にするのであろうか。

福島の原子力発電所の事故で,20キロ圏内,約8万人の人々は強制避難を命じられた。家や仕事,農民は畑や家畜を捨て,避難しなければならなかった。日本政府はこれらの損失に対して一体いくら補償をしたのであろうか。いくら探しても私はその答えを見つけることはできなかった。日本政府はこれら8万人に対して補償はしていないのである。

もし日本政府が為替介入に使った12兆円を8万人のために使っていれば,一人あたり約1億5千万円の補償を払うことができただろう。またはその12兆円のうちから,300万人の失業者を政府が最低賃金(全国平均)で1年間雇用したとしても(時給730円×年2000時間),8万人一人当たりに約9500万円を補償することができただろう。

以上のことは,日本人の価値観,日本人が選挙で選び,容認している日本政府の価値観について,どのようなことを物語っているのであろうか。