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Accumu Vol.7-8

京都コンピュ-タ学院とオペレ-ションズ・リサ-チ

大阪大学大学院工学研究科教授/京都大学工学博士/元京都コンピュータ学院講師

石井 博昭

京都コンピュ-タ学院での講師時代の思い出を織り込みながら数理科学,特に私の専門のオペレ-ションズ・リサ-チに関して日頃心に思っていること等を述べてみたいと思います。

私と京都コンピュ-タ学院

まず,懐かしい話からさせていただくことをお許し願いたい。京都大学で数理工学専攻の博士課程の学生であった頃,縁あって,京都コンピュ-タ学院の非常勤講師となり,数学を始めとしていろいろな数理系の科目の授業を担当させていただいていました。もう20年ぐらい前の話でありますので,正確でないところもあるかと思います。その頃はまさしく,これから京都コンピュ-タ学院の発展・離陸が始まろうという時期で,初代の学院長の長谷川繁雄先生とは勿論,よく皆で学院での教育について議論をしました。当時は,京都コンピュ-タ学院のようなコンピュ-タ関係のまともな学校は他に少なかった(なかったという方が正確だと思いますが)訳で,まさしく,草分けでありました。そのときから,既に社会科学,人文科学の科目もあり,数理系の科目も開講されていました。あの頃は,大学でも,やっと旧帝大に情報系の学科が作られてきた時代でした。確か,当時は線形計画も教えていた筈ですが,受講学生は熱心で洗練されたプログラムを作る学生が何人もいてびっくりしたことを今でも鮮明に憶えています。線形代数,グラフ理論,微積分なども教えていたように思います。その他,制御関係,数値計算などもあったかと思います。コンピュ-タの本格的教育ではこれら数理系科目の教育が基礎的科目として,あるいはそれ自身重要な科目であることは今では衆知の事実でありますが,当時にこれらの科目が学院に配当されていたということはまさしく先見の明があったということになるでしょう。その頃の学生の何人かとは彼,彼女等の卒業後も交流があり,尼崎での杉山君の結婚式の披露宴に招待されるとか,高岡にいる光田君をあるとき訪ねて泊めてもらったりしたことなどがあります。私も当時は学院生とそんなに歳が違いませんでしたし,学院自身がまだ比較的こじんまりしていたからかも知れません。井上先生のお家で皆一緒にクリスマスパ-テイに参加させていただいたり等,楽しい日々を過ごさせていただきました。私が講師をやめてからも学院との関係は連綿と続いていて,阪大の私の研究室のメンバーが私が岡山にいた3年間を除いて講師としてお世話になっているばかりでなく,入学式でときどき拙い挨拶をさせていただいたりしております。私もそうでありましたが,博士課程の学生にとって,勉学資金を自分に関連した教育で得て,しかも将来の教育に役立てることができるという,まさしくうってつけの機会であります。学院はこの点で,数理系の研究者を育てるという大変重要な役割も果たしている訳です。

もう一つの大事な思い出は,私の結婚式に初代及び現学院長の長谷川先生ご夫妻が超多忙の身でありながら出てくださったことであります。残念なことは初代学院長の長谷川繁雄先生が急逝されたことであります。本当に突然の不幸でびっくりいたしました。土曜日の雨の日の密葬に駆けつけた次第であります。しかし,学院葬のときには席まで用意していただいたのに参列できず,本当に申し訳なく思っております。あのときは私はまだ助教授で,学科内にかなり複雑なことがあったばかりでなく,この事情にからんでどうしても授業を休むことができませんでした。本当に勇気のないことで情けないことでありました。この場をお借りして,どうかお許しを願いたいと思います。総務の岩崎さんにも初期の頃からお世話になっていましたが,彼女も私が岡山にいる頃,若くしてなくなられてしまわれました。このときも葬儀には参列できませんでした。いつも忙しいのに,我々講師の勝手なお願いを快く聞いていただいて大変感謝しておりました。

もう一つの私と京都コンピュ-タ学院の大事な絆は,作花先生との関係です。作花先生は私が学院の講師を始めてしばらくして,学院の教務担当の専任の先生として来られました。先生は私よりも確かに年上だと思うのですが,来られた時から大変懇意にさせていただいていて,私の研究室メンバーを講師にお願いするのは勿論,それ以上に一方的にお世話になっております。一昨年は厚かましくも,学院の京都駅前校の立派な教室を研究会に使わせていただいたばかりか,そのときに謝礼なしの講演もお願いしてしまいました。私が日本オペレ-ションズ・リサ-チ学会の「確率システム」研究部会の主査をしていた研究会でした。丁度彗星・小惑星の地球接近が話題になっていて,先生にはその詳しい説明とご自身が開発された天文ソフトの紹介をしていただきました。大変好評でありました。学院のコンピュ-タ室も見せていただき,参加者のなかには大学で情報関係の研究または教育を担当している方が多かったので,この点でも大変参考になったと思います。また,これからもお借りしようなどと厚かましいことを考えております。

大学における数理系教育

昨年4月から大学院重点化の一貫とかで大阪大学工学部も一部改組・拡充され,現在私は大阪大学大学院工学研究科応用物理学専攻の数理情報工学講座の所属であります。以前は工学部所属で工学研究科兼担であったのが逆に工学研究科所属で工学部兼担になったのです。他の旧帝大系の大学も既に一部そのようになっており,ほとんどの大学が遅かれ早かれそのようになるでしょう。しかし,この改革が我々大学にいるものにとっては良いものかどうかはわかりません。ただ,過渡期としての苦しみは大変なもので,研究がほとんどできないというのが現状です。この変革後は少し変わってまだ確定はしていない部分も多くありますので,ここでは改革の少し前の工学部の数理系科目の教育から考えてみたいと思います。私が所属する大阪大学を例にして考えたいと思います。工学部の数学教育としては教養部(今は全学共通教育機構)での,微分積分,線形代数の授業から始まって,学部で数学解析として,微分方程式,複素関数,フ-リエ解析,ラプラス変換,特殊関数の授業があります。私も工学部でこれらの教育を担当してきていました。これらは全ての学科対象ですが,その他として確率統計がありました。これも私の研究室が担当しておりました。その他の数理系科目としては,全部の学科ではなく一部の学科で数値解析,線形計画,制御等の授業があるだけです。工学部では情報関連の数理的知識は必須だと思うのですが,代数,幾何をはじめ数理科学関係の授業はほとんどありません。これからはソフトの時代と言われながら,まだまだハ-ドに偏った教育だと思います。数学も解析ばかりで,離散数学がほとんどありません。一つの理由はこの辺りを教えるスタッフが少ないこともあげられます。これはどこの大学の工学部も同じだと思います。むしろ,みっちりとこれら数理系科目の勉強をしてから,いわゆる専門の授業をすべきだと思います。手前味噌ですが,我々のようなオペレ-ションズ・リサ-チの研究者はこれら数理系科目の十分な知識なしでは研究できませんので,このような数理系科目のほとんどを教えるだけの素養をもっており,このためのスタッフとしては最適だと思いますが,もう一つその割には評価されていないのが残念です。我々の研究は社会科学と自然科学両方にまたがっており,いわゆる境界分野もせめているため,悪く言えばこうもり的で,どこでも主流になれないからかも知れません。しかし,前述のように京都コンピュ-タ学院では初期の頃から,離散系の数学や確率統計や情報数学関連にも力を入れていて,この点で我々も評価していただいていたように思います。私の拙い本「応用代数」を学院から出版させていただいたり,講演も2回させていただいたのはその結果かなと思っています。とにかく,この点で大学特に国立大学は遅れているように思いますが,我々は少数派ですし,物言えばお前がやれとなるので大変難しい状況にあります。18才人口の減少や大学教員の任期制などで国立大学といえども安閑としていられないと思うのは私だけでしょうか。

数理科学としてのオペレ-ションズ・リサ-チ

最近は文系・理系の区別が怪しくなり,境界がぼやけてきています。もともと,文化としての科学を文系・理系と分けるのがおかしいと常々思っていましたので,私にとってはこれは大変歓迎すべき状況です。社会科学,特に経済ではノ-ベル賞は最近は数理経済学関係の研究者の受賞が多いのもこの一つの現れです。法学のような学問でさえ,数量的取り扱いが必要とされる時代です。我々のオペレ-ションズ・リサ-チでは,問題の性質・意味をよく考えなければ,良いモデルあるいは現実に役立つ解析ができません。また,目標関数についても何が公平か何が公正かよく考えて設定する必要があります。日本では選挙の際の区割りは政治家の都合だけで決められますが,米国などでは実際の区割りではどうすれば公平・公正になるかを数理的に決めています。これはモデル化すると整数計画問題となり,我々オペレ-ションズ・リサ-チの研究対象にあります。実際,日本でこの問題を数理的に扱っているのは我々の仲間です。興味のある方は,例えば,M.L.バリンスキ-/H.P.ヤング著,越山康/一森哲男訳「公正な代表制」(千倉書房)を見られることをおすすめいたします。数理科学というとき,その範囲は曖昧ですが,文系・理系にまたがったこのような領域をも含んでいると考えます。この領域の鍵となるのが,情報だと私は考えています。最近は経営情報学部または経営情報学科が私立大学に作られるようになり,それではオペレ-ションズ・リサ-チは大事な科目となっているとのことですが,分類上はこれらは文系の学部・学科ということになっています。数理科学では数学が左大臣なら情報が右大臣というところでしょうか。オペレ-ションズ・リサ-チにとっても全く同じで,その点でも数理科学の一つの大きな分野だと思います。私などが一応専門としている組合せ最適化では特にその計算の複雑さの観点から計算機科学と大きな接点がありますし,非線形計画では関数解析と関連があり,やはり私がときどき論文を作る配置問題は幾何学・地理情報と関連があります。そして,確率計画,ファジイ数理計画,多目的計画ではまさしく確率,情報,統計学に密接に関連しています。さらには新聞等でよくご存じのように線形計画は最近知的所有権とリンクしています。このように見てくると京都コンピュ-タ学院のめざすところとオペレ-ションズ・リサ-チとは非常にタイトな関係があることがわかると私は思います。そこで,これらについて,もう少し述べたいと思います。

知的所有権と線形計画法

線形計画法というのは学院でも授業があるのでご存じかと思いますが,幾つかの線形不等式・等式で表された条件の下で線形の目的関数を最大あるいは最小にする解を求めるための理論の総称であります。数理計画の中で最も基本的なもので,Dantzigによる単体法の発明以来,いろいろな企業でそのプランニングによく用いられてきました。単体法はその理論の美しさ,プログラムの容易さ,他の理論的基礎としての有用さで広く用いられてきましたが,計算の複雑性の観点からは,最悪の場合,その問題設定に必要なデ-タの入力の大きさの指数乗の計算手間がかかります。この点を改良するために,まず1979年旧ソ連の数学者ハチアンが楕円体法という最悪でも入力の多項式オ-ダ-で最適解を求めるアルゴリズムを開発したが,この方法は通常の問題ではとても単体法に勝てる代物ではありませんでした。1984年に今度は米国ベル研の若きインドの数学者Karmarkarが新しい多項式解法を開発しました。彼の方法は射影変換法と呼ばれ,実行可能集合の内部から最適解に至る内点法の一種である。境界を辿って最適解に至る単体法と対象的であります。ハチアンの方法もKarmarkarの方法もその考え方は以前からありましたが,非線形計画の方法であり,非線形的方法を線形計画に用いたということで,これから線形的方法のくびきがなくなり,いろいろな解法が百花繚乱の如く現れてきました。ハチアンの方法とは異なり,Karmarkarの方法は通常の問題でも単体法より効率的とされています。しかし,そのプログラムは特許とされ,あまりはっきりしたことはわからないのであります。実際,基本的な考え方だけでは単体法より速くなるとは限らないので細かい技術が必要になりそうです。驚くべきことに,彼は彼の解法に対して米国で特許を申請しそれが基本的に認められたのであります。今日本でも彼の特許について審査中のようで,それが認められると例え研究上のことでも彼の解法を用いると何らかの対価を払わねばならなくなりそうです。そこで,東京工業大学の今野浩教授が中心になって,日本でこのような事態にならないようにと何度かこの関係でシンポジウムを開いたりして,頑張っておられます。彼の意見は『科学的研究の理論的成果は広く人類の共通財産とすべきであって,特定個人に帰する知的所有権にすべきでない』というものであるが,私も同じ考えであります。このような場合,どこまでが個人に由来する独創性のあるものであるかわかりませんので,なおさら知的所有権を主張するのはおかしいと思うのであります。もし,このことが認められるのであれば,例えば,数学の定理などもその対象に十分なり得るので,著しく数理科学さらには科学全般の進歩を阻害することになり兼ねません。コンピュ-タソフト等と完全に同列に扱ってよいのかどうか疑問に思えます。京都コンピュ-タ学院でもその辺りの議論が展開されることを期待します。

意思決定科学としてのオペレ-ションズ・リサ-チ

オペレ-ションズ・リサ-チは第2次世界大戦での連合軍の作戦計画に由来していることはよく知られています。私自身はオペレ-ションズ・リサ-チは最適意思決定のための数理的方法だと考えています。それは,私的ばかりでなく公的にも最適性を求める大きな手段であります。特に,最近は社会には不確定・不確実な要因が溢れていて,不安定な時代である上に,価値も多様化して,合理的に,最適に意思決定を行うのが非常に難しい状況にあります。確率計画,ファジイ数理計画,多目的計画法などはこのような状況において最適意思決定に役立つと考えています。確率計画は確率変動要素を含むモデルに対して最適意思決定を行うための理論,手法の総称であります。ファジイ数理計画は曖昧,あるいは漠然性のある要素を含むモデルでの最適意思決定を行うための理論,手法の総称です。多目的計画法は複数の競合する目標が存在するとき,『最適な』妥協解を求めるための理論,手法の総称であります。これらは密接に関連しており,現実の問題をどのようにモデル化するかによって,どの計画法あるいはどれらの計画法を用いるべきかが決まります。モデルの構築それ自身が重要であり,極論すれば,モデルさえ決まれば,意思決定が終わっていると考えられる場合もあります。モデルは単純な方が良いのですが,あまり単純であると現実と遊離してしまいます。また,適切なモデルの構築には情報が重要な役割を果たします。例えば,確定的な事柄でもそれについて何ら情報がないとき,確率的に捉えて判断します。逆に人を選ぶ,特に,嫌な役回りをする人を決めるときは,あみだくじで選ぶなど確率的に決めるますが,これは,多様な考えを持つ人がいるとき,最終的に確率的に決める=公平に決める,と一般に考えることができるからです。次に天気予報を考えてみましょう。一昔前は天気予報はなかなかあたらなかったのでありますが,最近はかなり的中するようになってきました。気象に必要なデ-タや情報が気象衛星などで瞬時に大量に集められるようになってきたからであります。いかさま賭博ではありませんが,サイコロの目にしても物理現象として考えることにすれば,振る角度など膨大でありますが,必要な物理的情報が全て得られ,それらを基に瞬時に計算ができれば,出る目があらかじめわかると思います。こうしてみると,何が確率現象か,あるいはファジイ現象なのかと考えてみることが実は必要ではないでしょうか。1995年のあの阪神大震災は確率事象だから仕方がない,としてしまうか,そうではない,もっと情報がすばやく手に入り,予測ができるのなら,あのような大規模な災害は防げたとするかです。一方で,これまで確率現象の実現値は完全に知ることができるとしてきました。また,ファジイ現象では,曖昧性,漠然性は残るとしてきました。実現値が完全にわかってから意思決定していては遅い場合や実現値が不完全にしかわからない場合,さらには,我々の測定能力の限界などでどうしても曖昧性が残る場合もあると思われます。そのような場合,すなわち,実現値が曖昧にしかわからない場合は,ファジイ性とランダム性を合わせ持つ変数を考える必要があります。このように実現値がファジイ数である変数をfuzzy random variableといいます。ここで,ファジイ数は通常の実数を拡張したものであり,だいたい幾らというような曖昧性を含んだ数であります。採用人員は20名程度というような場合,20名をとることが一番可能性が高いが,19人や21人の場合の可能性もある状況を表しています. このfuzzy random variableの期待値はファジイ数であることに注目して,この変数を含むモデルの最適化を計るのが一つの方法であります。この意味で,確率計画とファジイ数理計画を結びつける研究が必要でありますが,これまでそのような研究はほとんどありません。我々はこの新しい変数の応用をものにしようと頑張っています。オペレ-ションズ・リサ-チは道具として,またその応用の場としてコンピュ-タとこれまでも関わってきました。これからもそうでありますので,我々の為にもますます京都コンピュ-タ学院には発展していただきたいと思っております。

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石井 博昭
Hiroaki Ishii
  • 大阪大学大学院工学研究科教授
  • 京都大学工学博士
  • 元京都コンピュータ学院講師

上記の肩書・経歴等はアキューム7・8号発刊当時のものです。