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Accumu Vol.10

知恵〔智慧〕の時代

西休寺住職 加藤 俊昭

本学院では,学院創立者長谷川繁雄先生の命日を閑堂忌とし,先生の教育理念・教育思想を教職員はじめ全学生が,改めて想起する日としている。この閑堂忌にあたり,創立者と親交の深かった加藤俊昭氏に,「知恵(智慧)の時代」と題してご講演いただいた。以下はその講演に加筆訂正いただいたものである。

【はじめに】

知恵→物事を知り分ける能力 身に備わった賢さ 21世紀を目前に控えて,「モノから心の時代へ」と題して話をしたことがあります。

20世紀経済社会の発展に付随した,科学技術の驚異的進歩と,際限のない利益追求の反面,物質的繁栄と精神的貧困(心の喪失)を招来し,バブル崩壊からある意味で現代は経済構造の見直し,または経営改革の時代が来ているといわれています。視点を換えていえば,大切なものが奪われていることに気がつかなかった,ということです。大切なものとは,人間関係に他ならない人間同士の関係である。

まだまだ経済不況から脱皮できない昨今,皆さんもよく知っている総リストラの時代,盛んに行われているリストラ(企業の再構築)も計算ばかりでなく,根本は人間関係の再構築から考えていかないと成果はなかなか上がらないのではないか。

既にこの懸念を持っていた実業家の先駆者が何人かいました。

《例》松下幸之助さん。

「事業を通しての人生観,事業観,社会観を確立すること」

また,京セラの稲盛和夫さんは

「この事業が世の為,人の為になっているかどうかを常に考えなければならない」と発言。

〔御陰‥オカゲ〕ですね。自分は一人では生きていけない。いろんな御陰を受けて生きているということです。

例えば,今皆さんが身に付けている服や靴も,作る人があって初めて身に付けることができます。一人ではできないはずの生活ができます。もちろん自然界の恵みも当選ですが・・・。

人間社会では人との関わりです。周囲の人々や世間との関わり合いがあって初めて人は生きてゆけるのです。

かつてドイツの学者,マックスウェーバー(1864~1920 社会科学者,経済学者)は,大いに働き,大いに儲けなさい。大いに貯えなさい。そして大いに社会に施しなさい。と言いました。

この考えには彼が敬虔なプロテスタントの信者だった背景があります。一方で日本人は大いに働いて大いに儲けて,大いに貯えたまではよかったのですが,そのまま大いに自分のポケットに入れてしまったところから現在の苦悩が始まったのです。(低所得者などは除いて,全員とはいいませんが)

さて,少し仏教の話をします。皆さん,多分知っているお経に“般若心経”というのがありますが,この中に「空」という言葉が出てきます。これは思想的に大きく二つに分けると,無常観と無我観です。

【無常観】

無常観は万物が存在できる時間的原因,我々には,無常というとすぐに「三日見ぬ間の桜かな」と思いがちですね。しかし同時に,三日見ない間につぼみが大きくなったというのも「無常」なのです。固定した考えを打破するのが無常観だといえます。無常は,「~ing」形なのです。あらゆるものは崩れ去っていくという虚無的な考え方を離れてみると,一方であらゆるものは生まれてくる。このクリエイティブな側面も無常観にはあります。

【無我観】

無我観とは万物が存在できる空間的な原因をいうわけです。現代社会に存在する我々は昨今,ひとつの風潮として“個立感”(孤独の孤ではなく,一個二個の個)―ほかと無関係で存在できるという考えを個立的な考えと呼んでいるのですが―,皆さんはどうでしょう? 日本の企業や個人を見渡すと,自分たちは個別的に存在できる,誰かの世話にならなくてもやっていけるんだと錯覚して,自己本位的に企業活動,個人の活動を積み重ねてきてしまってはいないでしょうか。このような個立的な考え方を否定するのが無我観です。個別的に存在できるものは何もないと見るわけです。

少し難しい話になりましたね。

【縁】

ついでにもう少し話しますと,仏教の根本には,“縁”という考え方があります。縁側の縁です。えにし,ゆかりともいいますが。縁には,条件,あるいは契機ともいう意味も含まれていますが,解かりやすいのは「めぐり合わせ」。つまり,原因によって結果を生じる作用というのが一般的です。この「縁」は人間の関わり合いに深く関係します。

例えば,網の目。網の目の一つが存在できるためには,その周囲の無数の網の目がなければダメ。すべてはつながり合っていて,それによって存在できるのです。つまりすべてが関わり合わなければ何も生じてこないのです。

人間の“間”という文字を広辞苑で引くと「隙間,隔たり」という意味のほかに,先ほど“縁”で言いました〈めぐり合わせ〉という意味が出てきますが,間が合う,間が悪いという場合の“間”でしょうね。「人間は人のめぐり合わせ」なのですから。すべては縁なのです。縁の関係を自分と社会との関わり合い,自分の仕事と社会との関わり合いで考えることが大切です。さまざまな縁が集まって初めて仕事も成り立っていけるし,人も生きていけるのです。「般若心経」では,このさまざまな関わり合いを“五蘊(五陰)”という言葉で表現しています。五という数に特別の意味はなく「さまざまな縁の集まったもの」と考えてみてください。縁は集まり,そして散っていく。人間の体でいうと様々な要素が集まって生まれ,それがばらばらに散って死んでゆく。

縁とは,集まり,離散するものなのです。この空間的・時間的関係が縁において一つになる。こうした考えを「般若心経」の空の思想の中で読み取り,縁という言葉で結んでみたら,と思うわけです。これからの皆さんに必要なのは周囲との関係がなければ自分も,自分の仕事もありえないのだという,縁を基盤にした人生観と社会観の確立であると思います。

「般若心経」はすべてのものは空であるといいながら,その空という固定観念をも否定しています。“空”には,ゼロという意味も,空っぽという意味もありますが,どちらも虚無なのではありません。

例えばある部屋が空っぽであれば,人は中に入れます。何人もが部屋に入ればギュウギュウ詰で入れなくなってしまうこともあります。空っぽであれば,中身が充実する可能性があるわけです。満たされることのない虚しさとは違うのです。

皆さん,かなり「般若心経」の勉強を私と一緒にしたわけですが,ここでリラックスしましょう。

「君はユニークな人ですね」と言われたら,どう感じますか? つまり褒められたか,貶されたかということです。「ユニーク」を辞書で引くと,「同じような物が他にあまり見られぬさま,独特なさま」これは実話ですが,ある企業で,上司から時々言われてノイローゼになったビジネスマンがいます。なんだか笑い話みたいですね。何故彼はそうなったのでしょう。企業社会では,サラリーマンは常に他人や上司の評価を気にしているからです。

先程の「般若心経」の,すべては空だ,固定観念に捕らわれない,空にはゼロという意味もある,と言いましたが,皆さん,ここに100万円のお金があります。10万円でもいいです。すごい大金だと思う人,端金だと思う人,人によって違いますよね。“空”とは,モノには計る物差しや計算機がついていないのです。

〈色不異空 空不異色

色即是空 空即是色〉

(色は空に異ならず,空は色に異ならず,色は即ち空,空は即ち色)

この場合,色は「もの」という意味。「もの」は,“空”だというのが「般若心経」の根本主義です。要するにもう一度言います。物には物差しがついていないのです。

だから,

〈不生不滅 不垢不浄 不増不滅〉

(生滅せず,きれいも汚いも無く,増えもせず減りもせず)

急須の中のお茶の葉を流し台に捨てたとたん,それはゴミになり,汚く見えますが,実際には汚くなんかありません。ただ流し台にあるというだけで私たちが勝手にそれをゴミにしているのです。お茶のはそのものは「空」である,不垢不浄です。

【智慧】

ところで,般若といった言葉は,サンスクリット語の「プラジュニャー」の音訳語で意味は「智慧」です。ただし,一口に知恵といっても,いろいろあります。金儲けのための知恵だとか,他人を騙すための知恵等。しかし,般若の智慧は,ずばり言えば,仏の智慧なのです。だから,私たち凡人の持っている知恵に対して智慧といった漢字で表記します。その意味では,「般若心経」は,智慧のお経なのです。

〈観自在菩薩 行深般若羅密多時 照見語蘊皆空 度一切苦厄〉

(観自在菩薩は,般若波羅密を行じられて,すべてのものが空だと照見され,あらゆる苦厄(悩)を克服されました)。観自在菩薩とは,その名の通り自由自在にものを観ることができる菩薩(仏道を歩んでいる人)です。

彼が何故自由自在にものを眺められるようになったかといえば,彼が般若波羅密(仏の智慧の完成)の修行をして,すべてのものが空だと分かった。その結果,彼はあらゆる苦悩を克服できた。

だから皆さんもすべての物事を“空”と見るようにしなさい。そうすれば観自在菩薩と同じように,自由自在にものを見ることができ,苦悩を克服できますよ。「般若心経」はそう教えているのです。

ここで要点は「自由自在に見る」ということです。裏返しに言えば,我々はものごとを自由自在に見てはいない。こだわって見ている,捕らわれて見ているのです。つまり我々は「奴隷」になっていて,「自由人」ではないのです。奴隷というのは主人様が自分をどう見ているのか,それが気になってならないから,奴隷になっているのです。そうすると上司の言葉によって傷つき,神経症になるのです。

―奴隷になるな,自由人になれ―

「般若心経」は私たちにそう教えてくれている。では,何故私たちは奴隷になるのか。

【欲望】

その根本原因は“欲望”を持っているからです。では,欲望を捨てるべきだといえば,必ず反論があります。人間は欲望を持っているから進歩発展し向上するのだ。欲を無くせば,人間は駄目になると。だが,実は仏教の開祖,釈迦は欲望に二種類あることを教えています。

―自然的欲望と奴隷的欲望―

自然的欲望はそれが充足されると自然になくなってしまう欲望,例えば空腹のときに御飯を食べれば食欲は自然になくなります。腹いっぱい食べてそれでもまだ食いたい・・・などとは誰も思いません。お腹いっぱい食べたらそれで終わりです。(睡眠欲,性欲も同じ)。

では,ここで質問。ここに百万円あります。皆さんにあげます。ほとんどの人がもらうでしょう。さらに百万,また百万,と追加しても,「もう要りません」という人はまずいません。お金の場合は先程の話とは違いますね。これが奴隷的欲望,いくら充足されてもなくならない欲望,これは人間が欲望の奴隷にされてしまっているのです。

我々はこの奴隷的欲望を充足させると幸福になれると思っています。つまり《幸福=充足/欲望》といった方程式を信じている。

例えば年収2000万欲しいといった欲望があり,実際には1000万円の年収しかない時は,二分の一の幸福,1500万円だと75パーセント,そして2000万円だと百パーセントの幸福と考えますが,そうではありません。仮に2000万円の年収になってもその時はその人の欲望は膨れ上がります。いや,5000万欲しい,と。それが奴隷的欲望の本性なのです。欲望を充足させることによって人間はすべて幸福になるとは限らない。別の方程式が必要です。

仏教では,欲を少なくし,足るを知る心を持てと,その「少欲,知足」の教えがありますが,戒めの解釈として,私は,《幸福=満足/心》が先程のお金の方程式に平行して必要だと思います。

―欲望主義社会―

欲望を充足させることが絶対善と信じられるのは危険です。私たちは物質的に豊かになったにもかかわらず,ほとんどの人がまだまだ十分でない,もっともっと,と考えていませんか。企業は売上至上主義で,毎年毎年を上回る成績を上げなければいけないと思って欲望の奴隷になって,現在その反動がきています。

日本人の平均寿命はどんどん延びて誰もがまだまだ長生きしたいと願っています。しかし長生きすれば病弱になるのは当然です。なのに,長生きと同時に健康を望んでいます。欲張りだと思いませんか。私はおかしいと思っていますが,そうは思わない人が大勢いると思います。おかしいと思っているお前がおかしいと・・・。

しかし,「般若心経」が言っているのは欲望の奴隷になるな。あなたは欲望を自由自在にコントロールできるようになりなさいということだと思います。現代的な言葉で言えば,もっと主体性を確立せよ。ということでしょう。

欲望の奴隷ではなしに,欲望の主人になればよいのです。これから皆さんは京都コンピュータ学院を卒業して社会人になるわけですが,どんな企業や仕事をするにせよ,「ビジネスマンは自由人であれ」。今までは会社の奴隷型人間が多くまた,それで通用した時代でした。奴隷というのは自分独自の価値観を持たず,会社が押し付けてくる価値観で生きている存在です。会社が敷いた出世コースのレールを何の疑いもなく走っている人間,サービス残業や家庭生活を犠牲にして,身も心も会社に捧げ尽くした会社人間。それは奴隷ですよね。そういう奴隷人間で,過去日本経済は支えられ発展してきました。

だがこれからの時代はそのような奴隷人間はきっと「お荷物」になり,淘汰されていくと思います。何故なら日本企業は国際化の波の中で価値観の多様性を持たねばならないからです。企業が与える価値観に従順に従う奴隷人間よりも,主体的な判断力を持った自由人を企業のほうが求めているからです。

会社の為に・・・と思ってやったことが逆に会社を潰す結果になった・・・といったことが数多く起きています。その時はその価値観で良かったかもしれませんが時代の変化がその価値観を誤りにしてしまった訳です。これからの時代,そういう価値観の逆転は更に頻繁に起きるでしょう。だから,会社奴隷であってはいけません。その意味で「般若心経」です。奴隷になるな,自由人であれ,あなたの主体性を確立せよ,と言っているのです。

あなたが主体的に判断して「もっともっと」と欲望を拡大したいのであれば,そうすればいいかもしれないが,あなたが受身であって,世間の物差しに従った欲望を持たされているのであれば,そんな世間の物差しは捨ててしまいなさい,と言っているのです。主体的に判断して自分の物差しを持った自由人となり,「私にはこれは充分であり,あれは不充分」といえる人間になって欲しいと言っているのです。

【結論】

皆さん,「般若心経」の教え,精神を参考にしてこれからの時代,生き抜くためには人生観,社会観をしっかり身に付け,主体性を失わず,精神面を磨き人に対する思いやり,愛する心,感謝の気持ち,両手の片方は人に役立つために,もう一方は自分の為に。

企業は皆さんに肉体労働,知識労働ではなく,知恵の労働を求めています。知恵は実践の積み重ね,体験度合いから生まれてくるものです,常に夢と希望とロマンを持って先程言いました“縁”を忘れずに,積極的に人との関わり合い,社会との関わり合い,を大切に頑張って立派な社会人になって欲しいと思います。

そして最後の締めくくりとして,またまた「般若心経」の終わりを言います。

《羯締 羯締 波羅羯締 波羅僧羯締 菩提薩婆訶》

「自由だ,自由だ自由になった。私はすっかり自由になった。仏様,ありがとう。」

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加藤 俊昭
Toshiaki Kato
  • 西休寺住職

上記の肩書・経歴等はアキューム10号発刊当時のものです。