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Accumu Vol.6

ジンバブエ現地講習会報告

京都コンピュータ学院 植田 浩司

ジンバブエ

南アフリカ共和国のすぐ北側に位置し,ザンビア,モザンビーク,ボツワナに囲まれた国である。首都はハラーレ(標高1484メートル),人口は900万人を超える。国土面積は日本より少し広い。日本との時差は7時間。

1850年に英国の探検家リビングストーンが,西欧人として初めてこの地を訪れた。後にセシル・ローズにより開拓され,白人支配の国家として発展した。ローズの名をとり,ローデシアと呼ばれていた(ダイヤモンドで有名なデビアスという会社の創始者はこのローズである)。1979年の総選挙の結果,黒人大統領が選出され,ジンバブエ・ローデシアが誕生し,1980年にジンバブエ共和国として独立した。

国民の76%はショナ族で,18%がンデベレ族。英語が公用語だが,ショナ語など部族の言葉を話す場合も多い。ジンバブエの国名は19世紀末に発見された大ジンバブエ遺跡からとられている。ジンバブエとはショナ語で「石の家々」という意味である。この遺跡から発掘された鳥の彫刻は国旗のデザインにも使われている。

第2の都市ブラワヨは人口60万人,ハラーレの南西に位置し,飛行機で40分程。

プロローグ

ブラワヨ市内風景
ブラワヨ市内風景

飛行場の小さな建物から出て,赤いラテライトの土の上を歩いているととてもまぶしい。太陽はやはりアフリカのものだ。照りつける太陽は日本と同じはずなのに,蒸し暑さが肌に感じられない。まるで太陽の光の矢に体を射られているようだった。

事前に,気温は20度くらいだと聞いてはいたが,アフリカというからには暑いに違いないと思い込んでいた。日本はそのころ毎日史上最高気温が塗り替えられる連日の猛暑の中,しかもアフリカへ行くとなると20度という気温の感覚を思い出せなくて,自分はとんでもなく暑いところへ行くのだと勝手に思い込んでいたようだった。とりあえず長袖のシャツ,スーツ,トレーナーなどを鞄に詰めておいたが,Tシャツや水着も忘れなかった。

これほど自分の思い込みと実際が違っているとは! ジンバブエは標高900メートル以上の高地にあるし,南半球は冬だったせいもあって思いのほか涼しく,過ごしやすい。日本のうだるような人工的な暑さとは正反対で,自然の風は心地よく,まるで信州かどこかに避暑に来ているようだった。

首都ハラーレの空港に着いてタラップを降りると,アメリカからポルトガル経由でやってきた長谷川由さんがカメラを構えて待っている。彼女達はほんの15分ほど前に着いたところだということだった。入国管理のゲートを通り外へ出ると,日本大使館の人が出迎えてくれた。ジンバブエの外務省や教育省との連絡で,一等書記官の鈴木女史にはお世話になったが,ここでも,我々のためにハラーレから講習会場のあるブラワヨまでの航空チケットを手配しておいてくれた。そのフライトまで4時間もあるので,空港ビルの周りを散歩してみた。初めてのアフリカの大地である。そのときの感想が冒頭の一節である。

オープニングセレモニー

講習会風景
講習会風景

国立科学技術大学は3年前に建築されたばかりの,うす赤いレンガと白い壁がとてもよくマッチした2階建ての建物だった。

初日には1階の講義室でオープニング・セレモニーが行われ,マクフラネ学長と長谷川由さんの挨拶があった。学長は,「現在世界ではあらゆるところにコンピュータが使われている。証券取引所,報道機関,銀行,航空会社など,いまやコンピュータなしでは機能しないほどであり,ジンバブエもこのトレンドに追いつかねばならない。首都ハラーレでは最近近代化が進んできたが,ここブラワヨではこれからである。コンピュータを広く普及させるためには,リテラシーとして教育現場へ導入し,まず生徒に使わせてみることが大切である。そのためにも,このようなコンピュータの寄贈と講習は必要なことである。今回の講習で学んだ人達はそのパイオニアとなり,これから他の人達にコンピュータの有用性を説いてゆかなければならない。そして国立科学技術大学はこのような人達の人材センターとして貢献してゆきたい。このプロジェクトはまさにこの国にとってタイムリーな助けになる。」と感謝の意を表わされた。その後スタッフと受講生の簡単な自己紹介があり,さっそく講義が始められた。

講義

講習会風景
講習会風景

講習会は国立科学技術大学の教室を使って行われた。比較的小さな教室で,30人の受講生が全員入ると少し窮屈な感じがする。受講生は女性数人を含んだ20代後半から30代,40代の人達で,大学の講師や教育省の役人であった。みんなこのような講習は初めてのようで,緊張した面持ちだった。

一番最初の授業は,MIT出身のマーク・ジョンソン氏によるものだった。彼は今回の講習会のカリキュラム・コーディネータでもある。彼の英語はけっこう早口であるが,受講生には聞き取れているようだった。ジンバブエの公用語は英語なので問題ないのだろう。

昼食のあと,私が実習の授業を担当した。実習用のコンピュータは,講義をした教室の上の階に20台設置してあった。部屋は少し狭く,コンピュータの電源を入れ1時間もすると熱気でムッとなってきた。実際にコンピュータに触れるのは初めてという人が多く,まるで子供が新しいおもちゃを与えられた時のように目を輝かせ,初めて自分で作ったプログラムがうまくいくと,「オー」というどよめきがあちこちで起こった。彼らの英語は英国なまりなのか,現地の言葉のなまりなのか,私には聞き取りにくいことが多々あった。質問されてもそのたびに何度も聞き直すので,相手が気を悪くするのではないかと思いながらも「パードン?」を繰り返していた。それでも最初の1日はまずまずの滑り出しで終えた。

講習は毎日9時過ぎに始まり,まず約1時間半を使って前日の復習と小テストが行われた。そのあと次の講師へとバトンタッチして,新しい章へとテキストを進めていった。2時間のランチタイムの後には実習が行われた。7人の講師のうち,その日の講義を受け持っていない人も授業準備やテストの採点,学長への取材と,けっこう忙しく働いていた。

日本人のスタッフで倉満氏と中西氏が授業を担当する時には私か,カリフォルニア工科大学出身の日系2世エドウィン・村上氏が通訳としてついた。エドウィン・村上氏はエディとみんなから親しまれていたが,とくに倉満氏や中西氏と同年齢ということもあり,このプログラム中にすっかり打ち解け合い,アメリカや日本文化のこと,ジョークなど言い合い,いつも楽しそうに話していた。ジンバブエ人のドゥンザイ氏はMITで建築を専攻中の学生。彼は最初自分の親と同じくらいの年齢の人に教えるのはやりにくいと困っている様子であったが,後になってそれも楽しい経験になったと言っていた。実際,受講生の中に彼の父親の同級生がいたそうだ。唯一の女性講師のカイッツァさんはタフツ大学(ボストン)出身。彼女はウガンダの人で,今アメリカで雑誌の編集をしている。アメリカ在住のアフリカ人やアメリカン・アフリカン(アフリカ出身のアメリカ人)向けの技術雑誌だそうだ。彼女はこの雑誌に今回のプログラムの記事を載せるんだとはりきっていた。プロジェクト・リーダーの長谷川由さんは講師としてでなく,全体のコーディネートや,学長,外務省,教育省,日本大使館などへの表敬訪問や取材で,誰よりも忙しくしていた。

講習会で一番頭を悩ませられた問題は,限られた時間の中でどうしたら効率よく教えられるかであった。講義を早く進めようとすると質問があちこちから相次ぎ,かえって進度が遅くなるし,ゆっくり進むといくつかの練習問題をスキップしなければならない。結局,応用的な問題は質問があったら答えていくという方法が一番良かったようだ。

日が経つにつれ,講師の間で,また講師と受講生との間で親しい関係ができていった。とくにドゥンザイ氏は自分の国なので,リラックスして受講生達とよく話をしていた。ホテルから大学までは毎朝スクールバスが送り迎えをしてくれた。バスは私達のホテルを出た後,途中別のホテルに滞在している数人の受講生をピックアップしてから大学へ約15分程の道のりを向かう。『マスカッチ』と言ってバスに乗り込んでくる人達は,先にバスに乗っている私達にいつも笑顔で話しかけてくる。マスカッチとはこんにちはという意味のショナ語だ。彼等は,ジンバブエは好きかとか,いま日本では季節は何だとか聞いてくる。私が,日本はいま夏で気温は39度近くまで上がり,湿度が高いので非常に過ごしにくいと答えると,ここアフリカのジンバブエでもそんなに高い気温になることはないとみんな驚いていた。実際,冒頭でも述べたように毎日涼しい日が続き,日陰や夜になると寒いくらいであり,ホテルの部屋の暖房のスイッチを入れたこともあった。

修了証書の授与式
修了証書の授与式

私達は毎日,お互いに新しい経験と知識を分かち合いながら,ようやく最終日までたどりついた。閉講式と修了証書授与式は,私達が宿泊しているホテルで行われた。はじめにマクフラネ学長,次いで日本大使館や教育省代表のあいさつがあった。そして引き続き修了証書授与式が行われた。長谷川由さんが受講生の氏名を読み上げ,修了証書をマクフラネ学長が直接手渡していった。受講生達はみんな晴れ晴れとした顔つきで,とてもうれしそうだった。このあとパーティが行われたが,私達日本人スタッフとドゥンザイ氏,エディ氏はすぐさま飛行機でハラーレに向かわなくてはならず,あわただしくホテルをあとにした。

大ジンバブエ遺跡

グレート・ジンバブエ遺跡
グレート・ジンバブエ遺跡

グレートジンバブエ遺跡へは,ホテルから車で1時間半ほどであった。15分ほど走ると市街地はなくなり,代わりに広大な草原が広がっていた。道路はきれいに舗装され,我々を乗せたバンは快適に目的地に向かった。時折,道路脇に人が立っている。おそらくバスを待っているのだろう。まわりにはバス停らしきものは何もないが,バスが見えたら手を上げて止めるのだろうか。ここのバスは日本の路線バスよりも少し大きくて,屋根の上には荷物がいっぱい積んである。

窓の外をながめていると,遠くの方にとてつもなく大きな木が1本,地平線の彼方の明るい空をバックに,シルエットになって見えた。まわりに何もなく,比較する物がないが,大きな枝が裾野を広げ,まるで山の様に見える。行けども行けども両側には草原が広がり,道路は果てしなくまっすぐ延び,アフリカの大地を実感させられた。道路からあまり離れていない所に,農家と牛が見えたのでバンを止めた。家は円形で,円錐形の屋根はわらのようなものでふいてあり,壁は石を積み上げ土で固めたようになっている。

遺跡に着いた時には,すでに2時をまわっており,みんな空腹だったので食事を先にとることにした。遺跡のそばには高級ホテルと大きなレストランがあった。そのレストランに入り,ジンバブエの家庭料理である『サッツア』を食べた。サッツアとはトウモロコシを粉にして練り上げ,蒸したような食べ物で,おもちのように粘りがある。味もご飯のように淡白である。普通,肉といっしょに食べるそうで,その日は牛肉のバーベキューがでた。ジンバブエの牛肉は,地元の人が世界一おいしいと自慢している。実際おいしいが,日本の牛肉のようにやわらかくはない。(別の日には「だちょう」を食べる機会があった。だちょうの肉をステーキにしたもので,味は牛肉のようだった。)

マトボ国立公園にて(壁画)
マトボ国立公園にて(壁画)

食事の後,ジンバブエ遺跡へ入った。ここは公園のようになっており,入り口で入場料を払う。車を降り,なだらかな丘をしばらく歩いていくと,行く手に石の城壁のようなものが見えてきた。石壁と石壁の間のすきまを抜け,中に入ると広場になっていた。内側の広場と他の建造物を外側の高い城壁が囲んでいる。石壁はレンガ状の石を緻密に積み上げてあり,粘土のような,石を固定するものは全く使われてないそうだ。

この遺跡は11世紀から15世紀頃に建造されたと推測されており,発見したヨーロッパ人は,この遺跡がアフリカ人の手によって作られたということを,なかなか受け入れなかったそうだ。遺跡は,神殿とよばれる高さ10メートルの外壁がだ円形に取り囲んだ建造物のほかに,500メートルほど離れた「アクロポリス」と呼ばれる遺跡,その間の谷の部分にも,石壁が崩壊した遺跡が点在している。この腰くらいの高さで崩壊した遺跡の近くには,2メートルほどの背丈の木,あるいは花があちこちに見られる。葉なのか花なのか,槍のような赤い大きな花弁が丸く集まり,空に向かって伸びている。まわりの灰色の石壁と赤い色のコントラストが美しい。

ワイルドライフ

滞在中,野生動物を見に行く機会があった。マトポ国立公園というところで,ブラワヨから車で1時間半くらいかかる。この公園には主に草食動物や小型の動物が住み,ゾウやライオンなどはいないそうだ。たくさんの奇妙な岩や大きな岩石がゴロゴロと地表に露出していて,しかもそれらの岩はまるで巨人がいたずらでもしたかのように,丸い岩の上にまた岩が乗っかっている。見るからに不安定で,いつ転げ落ちてきても不思議ではない。そして岩石と岩石の間には,ひょろひょろと枝が横に奇妙に広がった木が点在し,その光景が視野いっぱいに果てしなく広がっている。いかにも,アフリカの大地という感じがした。

15人乗りのバンに乗り,岩と木の間を砂埃をあげて走る。どこかに動物はいないかと,思う間もなくサイの親子が現われた。いきなりの出現に驚いたが,これならいたるところに動物が見られるという期待でわくわくしてきた。大きな木の陰にはキリンが,少し離れたところにはその子供がいた。キリンの体のあの斑点の模様はよくできた保護色である。枝と枝の間から見え隠れするキリンを写真に撮ろうと望遠レンズを構え,ファインダーを覗くとキリンの姿を見失ってしまう。ファインダーから目を離し,確かにあそこだと確認してもう一度のぞいても,また見失ってしまう。そうこうしているうちにキリンは林の中に見えなくなってしまった。残念だがしかたないと思い,カメラにキャップをしてぼんやり外を眺めていた。太陽の強い光で木々の影が黒々と地面に落ち,砂の反射で景色全体が黄色っぽく見える。突然20頭程のインパラが群れを成して道を横切っていった。あわててカメラを構えたが,キャップをしたままだった。またシャッターチャンスを逃してしまった。

我々が乗ったバンは湖のほとりに止まった。昼ご飯だ。車を降り,後ろへまわる。運転手兼ガイドが車のトランクからプレートにのせた食事を出してきた。そのプレートを持ち,手頃な岩の上に腰を降ろし,食事をとる。食べている間中,ハエや蚊がぶんぶん飛んでくる。一口食べてはそれをふり払い,また一口食べてはそれをふり払いながらの食事だった。しかしこの雄大な自然の中で食べていると,自分がライオンか何かになった気分で,バーベキューの肉に噛みつく顎にも力が入っていた。

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植田 浩司
Koji Ueda
  • 京都情報大学院大学教授
  • 関西大学工学部卒業
  • 関西大学大学院工学研究科修士課程修了(機械工学専攻)
  • 工学修士
  • (米国)ロチェスター工科大学大学院修士課程修了(コンピュータサイエンス専攻)
  • 元松下電工株式会社勤務
  • JICA専門家(対モザンビーク共和国)

上記の肩書・経歴等はアキューム24号発刊当時のものです。