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Accumu Vol.19

MICTIプロジェクトを振り返って

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私が初めてJICA(独立行政法人 国際協力機構)専門家としてモザンビーク国に派遣されたのは2004年だった。モザンビークの国立の大学であるエドワルド・モンドラネ大学の副学長のマシンゲ氏によって提案されたモザンビーク国ICT戦略の実現へ向けてその教育部門を担当するモザンビーク情報通信学院(Mozambique ICT Institute: この後MICTIと呼ぶ)の設立準備のためだった。私のミッションはこの新しい高等教育機関のためのカリキュラムを作成することであった。モザンビーク国はアフリカの中でも最貧国のひとつであり,雇用の創出,産業の育成などが課題としてとりあげられている。このプロジェクトを率いるマシンゲ氏の強いリーダーシップによって,これら問題を解決すべくMICTIが構想され,ICT人材を育成し,ICT産業の発展に寄与する人材をこのMICTIから輩出することが目的であった。

表1.MICTIプロジェクトに関する研修等の実施
2004年 モザンビークに派遣。
カリキュラムの開発を行う。
2007年 京都コンピュータ学院にて本邦研修。
科目教授法,教材開発の研修。
2008年 カリキュラム実施状況視察および
アドバイスのため現地へ派遣される。
2009年 新任教員の教育,カリキュラム・教授法の
アドバイスのため現地へ派遣される。
2009年 研修終了時評価のため,
現地へ派遣される。
2009年 MICTI管理職のため,
学校運営管理の本邦研修を実施。

私のミッションは約5週間という短期間でMICTIに対して2つのコースのカリキュラムの提案を行うことだった。当時,MICTIはまだ設立準備段階で建物などの実体は無く,紙の上だけの学校であったが,その後このカリキュラムは教育省で認可され,さらにJICAの支援によって2007年2月に実際に開学に至った。2004年の現地での指導後も,MICTI教員の本邦での研修を引き続き指導することとなり,提案したカリキュラムに沿って各科目のシラバス,教材準備の支援をしてきた。このMICTIプロジェクトに関して,2009年のプロジェクト終了時までを振り返り,以下に詳しく述べていきたい。


MICTIの校舎
 MICTIの校舎

教材作成研修の様子
 教材作成研修の様子

2004年9月,アフリカへは2回目の渡航であったが,5週間という長期での滞在は初めてであった。カリキュラム開発にあたりマシンゲ氏より受けた指示は,ICTの有用性をアピールし,より大勢の人が学びに来るよう,既存の概念にとらわれない発想で学校を作り,モザンビークのICT産業に十分なスキルを持った人材を送り出すこと,そして卒業生がICT産業の発展に貢献できることをあげられた。そのため実践的で具体的なプロジェクトを遂行し,MICTIを卒業するとこのような技術が習得できるということがまだICTをよく知らない現地の人にも分かるよう提示するとの指示であったので,プロジェクトを遂行しながら学んでいくプロジェクトベース・トレーニング(PBT)を提案した。私が開発したカリキュラムは2つあり,「コンピュータネットワークコース」と「コンピュータグラフィックス・マルチメディアコース」である。マシンゲ氏はこのMICTIプロジェクトを進めるにあたり,ICT先進国である日本の産業と教育の現状を視察に来られた。その際に京都コンピュータ学院を視察され,その教育理念に大変感銘を受け,また学院の実践的教育手法が同氏の考えと一致したこともあり,同氏の帰国後JICAを通して京都コンピュータ学院に対してスタッフの派遣要請があったというのが,私がモザンビークに赴くことになったいきさつである。


指導する筆者
 指導する筆者

2007年にはMICTIの教員予定者5名に対して,各科目の詳細の教授計画を作成し,それに関連する教材作成の指導を行った。科目数は17科目で,それをわずか1カ月半で仕上げなくてはならず,毎日毎日大変な作業量であった。研修員はみなまじめで熱心に取り組み,満足のいく成果物を持ち帰ることができた。皆日本は初めてであり,日本人と日本文化に接し,戦後日本の経済成長の理由がひも解けたと語っていた。マシンゲ氏は常々このことを取り上げ,モザンビークは日本を見習い成長したい。その秘訣はどこにあるのかといつも議論を持ちかけてこられた。それは私は教育と日本人の勤勉さにあると答えていたが,研修員にはそれが理解できたのだと思う。


授業風景
 授業風景

2008年には約2週間,カリキュラム通りに学校が運営され,MICTIが軌道に乗っているかを調査し,さらなるアドバイスを与えるために現地へ派遣された。2004年にはまだ校舎はなかったわけだが,4年後に再度モザンビークに来てみると,新しい校舎とともに学生の学ぶ姿を見ることができた。自分が提案したことが遠く離れたアフリカで実現されていることにとても感銘を受けた。

4年ぶりのモザンビークであった。街を歩き最初に感じたことは通り過ぎる自動車が以前より状態のよい車が多いことだった。以前はかなりの年数使っているだろうと思われるような車が多かったが,今回は日本車やヨーロッパの高級車も見かけることがあった。経済状況が良くなってきていたのだろう。実際,以前宿泊していたホテルは料金が2倍以上になっており,私は別のホテルに宿泊することになった。

MICTIの建物は軍隊の宿舎を譲り受け改装したもので,軍の施設の中にある。従い治安面では安全であり,また,市内にあるので交通にも困らない。エルワルド・モンドラネ大学の副学長であったマシンゲ氏は実はこのときモザンビーク国の科学技術大臣となっておられ,彼が国防省に掛け合い,この場所を確保したそうだ。学んでいたのはMICTIの第1期生~第3期生となる学生であった。そのうちの何人かをインタビューしてみたが,皆1人1台のパソコンで実習を行うといった環境はとても素晴らしく,実践的な力がつくことはとても役に立つと言っていた。1人1台のパソコン環境は国立の大学でも難しいと聞く。授業も問題なく行われているようであった。ただ,MICTIの知名度がまだあまり無く,学生を集めることに力を入れ活動しているとスタッフは語っていた。


MICTIプロジェクトの結果を大臣に報告する
 MICTIプロジェクトの結果を大臣に報告する

モザンビーク国科学技術省
 モザンビーク国科学技術省

2009年には私は2回モザンビークへ赴くことになった。1回目は約2週間の派遣で前回同様に現地での調査とアドバイスが中心であった。今回はMICTI第1期卒業生の内2名が教員として採用されており,彼らに対して科目の教授法を伝達することも目的のひとつであった。2人ともまだ若いがMICTIで学んだ専門知識・能力は高く,十分に教員としてやっていけることを確信した。学生数も少し増 えていたが,やはり学生確保が問題であった。日本の大学で行っているオープンキャンパスを実施することを提案し,さらにJICAの協力でコンサルタントを雇いマーケティング調査が実施された。

2009年2回目は,この年8月でMICTIプロジェクトは終了することになっており,JICA職員および日本人コンサルタントとともに現地へ終了時調査を実施するために派遣された。MICTIの抱えている諸問題とその解決策が検討され,今後も順調な進展が期待されることにより,JICAはプロジェクトを1年延長することを決めた。その間,MICTIはJICAより種々の援助を受けたり,コンサルタントによる調査・提案を引き続き受けることができる。プロジェクト延長の調印式は科学技術省で行われ,私は大臣に対して調査報告を行った。2009年以降,私は現地へ赴く機会を得てはいないが,京都コンピュータ 学院のパイオニアスピリットを引き継いだ同志が頑張ってMICTIを率いていることと確信している。

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モザンビークの諸情報
モザンビーク国はアフリカの中でも最貧国のひとつで,国民の約80%が1日1ドルで生活するというレベルである。人口はおよそ2100万人(2007年国連調べ),そのうち約7%が首都のマプトに住む。マプトは隣国に南アフリカ共和国を控え,物資や生活水準も地方とは格段に違う。日本へはエビなどを輸出している。
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植田 浩司
Koji Ueda
  • 京都情報大学院大学教授
  • 関西大学工学部卒業
  • 関西大学大学院工学研究科修士課程修了(機械工学専攻)
  • 工学修士
  • (米国)ロチェスター工科大学大学院修士課程修了(コンピュータサイエンス専攻)
  • 元松下電工株式会社勤務
  • JICA専門家(対モザンビーク共和国)

上記の肩書・経歴等はアキューム24号発刊当時のものです。