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Accumu Vol.14

一台のパソコンから全てが始まる

株式会社テクノブレイン代表取締役 芦達 剛氏 インタビュー

芦達 剛氏
株式会社テクノブレイン代表取締役
芦達 剛氏
京都コンピュータ学院情報工学科卒
元京都コンピュータ学院情報科学研究所主任研究員
テキストエディタ「SE3」プロジェクトメンバー
テクニカルライターとして著書多数

株式会社テクノブレイン。

大ヒットゲーム「ぼくは航空管制官」シリーズを開発し,さらに大空への夢を追求する会社。

社員十数名のベンチャーでありながら,3Dゲーム開発にあたり,DirectXに対抗し,それを上回るライブラリを独自開発,そこから,ゲーム作りをしてしまう頭脳集団。

そのリーダー,芦達 剛氏(KCG卒業生)が,これまでの歩みと今後の展望を語る。

http://www.technobrain.com/


―「ぼくは航空管制官」の企画が生まれた経緯をお聞かせください。

当初,うちは外注メーカーとしてPCソフトの開発を手がけていました。しかし不況の中でこのビジネスモデルに翳りが見えてきたんですね。そんな時期に,社員を連れて伊丹空港に飛行機を見に行ったんですが,そこで「飛行機を眺めていて何が楽しいのだろう」と疑問が湧いたんです。そう,飛行機は眺めているだけでも楽しいものなんですよ。でもほとんどのメーカーは操縦するソフトしか作ってこなかった。何で「飛行機を眺める」ソフトは無いんだろうって思ったわけです。でもそれだけでは商品として成立しない。そこで気付いたのが航空管制官という職業だったんです。実は航空管制のシミュレーションソフトを作ろうなんて構想は最初から一度もなかったんです(笑)。

―それは面白い着眼ですね。それで実際に開発を始められたわけですね。

ええ。ただ,社内でかなり議論しましたよ。このまま外注メーカーとしてやっていっても先は見えている。でも新参のメーカーとして製品を出しても売れる確証は全くない。結局,失敗したら会社を解散しようという覚悟で,全員が「ぼく管」(ファンが名付けてくれた「ぼくは航空管制官」の略称)に賭けてみようということになりました。

それまでも外注としてソフト開発の経験はあったわけですが,メーカーとなると広告宣伝や問屋との商談なんかも自前でやらなければならない。でも誰もそんな経験もノウハウも持っていない。それどころか,よく考えてみれば航空管制についての専門的知識もない(笑)。

―航空管制についての取材はどうされたのですか?

どうしても航空管制の現場取材がしたかったので,いきなり運輸省航空局(現国土交通省)に電話してしまいました。無論相手にしてもらえませんでしたけど,航空管制官の団体である(財)航空交通管制協会をご紹介いただけたんです。そこで協会を訪問して,本当は協力のお願いをしなければならなかったんですが,私はどういうわけか,自分の子供の頃の話をしてしまいました。飛行機が大好きで,休みの度に地元の広島の飛行場に通っていた話ばかりをしました。そうしたら協会の専務理事さんが「そうですか,あなたはあの頃の広島飛行場をよくご存じなんですね。実はその頃,私はそこの空港長をしていたんですよ」と言われたんです。そこからはもう仕事の話なんかそっちのけで空港談義に花が咲いて(笑)。縁とは不思議なものですね。帰り際にいきなりソフトの「監修」を協会にしていただけることが決定してしまったんです。

―ソフトを開発する際にこだわっていらっしゃることはありますか。

とにかく取材には時間を掛けますね。まずは,何のアポも取らずに一航空マニアという立場で取材に行きます。資料用に写真を沢山撮って回るんですが,我々は飛行機じゃなくて空港の建物ばかり撮っているので,毎回おまわりさんに職務質問で捕まります(笑)。この取材では,スポッターと呼ばれる地元の航空ファンを見つけては声を掛けます。地元の人しか知らないポイントなどの情報を収集するわけです。そうすることで地元ファンも納得の出来となるわけで。そうやって空港の全貌をつかんでから公式に空港事務所に取材の申し入れをします。

―エンジニア出身の社長として,心がけていることはありますか。

エンジニアとしては,自分の使っている技術がどんなものか,その核心,つまり本当の姿が見えていないのは恥ずかしいことだと思っています。例えば3Dゲームソフトの開発では,普通はDirectXを使うと思いますが,私はそのDirectXの中で何がどうやって動いているか分からないのが我慢ならなかった。だから徹底的に研究してそれを上回る実用的なライブラリを作ってしまった。サウンドライブラリも独自,オーサリングソフトも独自。パッケージや広告なんかもデザイン会社に外注せず全て社内でやっています。何でもやらされるんで社員はたまったものじゃないでしょうね(笑)。

そういう考えですから,社内で「このハードとこのハードは相性が悪い」なんてことを言うと,私に怒鳴られるんですよ。「論理で動くコンピュータに相性なんてあるか! クロックタイミングが合わないとか,ちゃんと理論的に説明しろ」ってね。

―現在の社員数はどのぐらいですか?

今,社員は10名ちょっとです。ソフトが少し有名になってきたせいか,お客様から「大手メーカーがなぜ24時間体制でサポートをしないのか」とお叱りをいただくことがあります。そこで会社の規模をご説明すると,皆さん絶句されますね。他社では,サポート専用の要員がいたり外注される場合もあるようですが,うちでは電話口に出るのが他ならぬ開発スタッフ自身です(笑)。開発スタッフが直接お客様の声を聞けるんですから得るものは大きいですし,お褒めの言葉をいただいたりすると嬉しい。次もがんばろうという気になりますよね。

―なるほど,そういう手ごたえがあると,開発のやりがいもさらに大きくなるでしょうね。

ええ。そういえばあるエアラインの新人パイロットの方から,お手紙をいただいたことがありました。高校生の頃,「ぼく管」と出会ってパイロットを目指されたそうなんです。もし「ぼく管」と出会っていなかったら,今の僕はありませんという内容で。嬉しかったですね。それから,航空管制官を育成する「航空保安大学校」の教官の方が,学生さんに「ぼく管」をやらせてみたらしいんです。すると,みんなうまい(笑)。なぜだろうと思って尋ねると,ある学生さんが「教官,何言ってるんですか? ぼくはこのソフトを見てこの学校に来たんですよ」と言われたそうです。調べてみるとなんと学生の6割以上の方が「ぼく管」を知っていたとのことで(笑)。とても嬉しいですけど,たかがゲームといえども人の人生に影響を与えるとなると責任重大ですよね。

―すごいですねえ。御社ではこれからも航空系ソフトウェアを増やされるんですか。

実は我々は当初からエアロ・フロンティア構想というものを掲げています。これは仮想空間において航空の世界をまるごと再現しようという構想です。これまでもフライトシミュレーションのゲームなどがありましたが,そうしたゲームは自分一人だけの世界です。しかし実際の航空の世界は,さまざまな人々がかかわることで成立しています。それをネットゲームの技術の応用で実現しようというわけです。

そこでは現実の世界同様に法律や資格もあって,飛行機を操縦したい人はパイロットのライセンスを得るために試験に合格しなければなりません。仮想空間とはいえ,この世界では,現実の世界と同様の真剣さが求められるんです。現在,この構想は航空業界からも賛同を得て,ソフトウェア開発会社数社とともに実現に向けて動いています。

―エアロ・フロンティア構想に至ったきっかけは何かありますか。

皆さんも覚えておられるかもしれませんが,数年前に全日空機がハイジャックされてキャプテンが犠牲になられた事件がありました。その犯人はフライトシミュレータ・マニアで,自分なら操縦ができると思ったみたいですね。でも,それはとんでもないことです。実際の飛行機はパイロットが一人で飛ばしているわけではありません。総勢で200人ぐらいの色々な職種の人たちがチームを組んで飛行機を運航しているんです。飛行機はたくさんの人命を預かって飛ぶわけですから,皆さん真剣なわけです。それを何らかの形で伝えたいとも思いました。

―「ぼくは航空管制官」も真面目なゲームですよね。

9・11のテロ事件は皆さんもご存じでしょう。実はあの時,うちは「ぼくは航空管制官2」の発売を直前に控えて,航空会社の許諾待ちだったんです。でも各社の担当者が捕まらない。当たり前ですよね。ゲームの許諾どころの騒ぎじゃなかったんですから。そんな時にやっと連絡が取れた全日空の担当者の方が言ってくれたんです。「こういう時期だからこそ,こういうソフトが必要なんです。やりましょう」ってね。「ぼく管」がただのゲームソフトから「航空業界の信頼を伝える」役目を負ったソフトになった瞬間です。本当に真剣にストイックに取り組んできてよかったと思いましたね。

―芦達さんは京都コンピュータ学院の卒業生ですね。学生時代のことをお聞かせください。

私は1988年,情報工学科の卒業です。当時はまだ情報工学科は3年制で鴨川校に設置されていました。学院では本当にたくさん勉強させてもらいましたね。私が1年生の時に,マイクロマウスという小さな迷路探査ロボットがあるんですが,それを自分たちも作ろうっていうことになって同好会を結成したんです。ところがその話が思いがけず初代学院長の長谷川繁雄先生のお耳に入ったみたいで,「あの連中を支援してやれ」という話になったんですね。それで学院から全面的なバックアップをしていただきました。残念ながら,その直後に先生は亡くなられましたが,その同好会が基になって制御通信部(CINCS)というクラブができました。僕はその初代部長です。みんな初代総長って呼びます,暴走族みたいですが(笑)。CINCSは今でも活動が盛んなようですね。嬉しいことです。

卒業後は,学院から声を掛けていただいて,設立間もないKCGの情報科学研究所の研究員として,本格的な研究にも携わらせていただきました。フリーソフトで一世を風靡したSE3を作ったのもこの時ですね。ですから今の自分の基礎はKCG時代につくられたというのは,お世辞抜きの事実なんです。だから,今は会社を設立して一国一城の主ですが,気持ちはいわば譜代大名ですね。学院に何かあれば「いざ鎌倉へ」と(笑)。

―最後にKCGの学生にメッセージをお願いします。

コンピュータの世界は,たった一人のエンジニアが一台のパソコンで世界を変える可能性がある世界です。なのにみんな「絶対にマイクロソフトにはかなわない」とか思っている。でも今から十数年前には誰も「世界の巨人IBMには勝てない」と思っていたんですよ。マイクロソフトなんて誰も気にも止めてなかった。同じ時期,あのスクエアやエニックスだって社員数人の超零細企業だった。いつの時代でもそうなんですが,次世代を担う勢力は現時点での弱小勢力。決して強い力が次世代を担うわけではないことは歴史が証明しています。私の好きな言葉に「経験から学ぶのは愚者である。賢者は歴史から学ぶ。」というのがあります。これは正にこのことを言っているんでしょうね。

最近,週刊アスキーの売れ筋ソフトのランキングで,「ぼく管」が2週間連続で1位になりました(2005年7月)。2位以下には,「ファイナルファンタジー」,「A列車で行こう」,「リネージュ」などの有名ソフトが続いていました。どこも大手メーカーですが,それをうちのような小さな会社でも抜くことがあり得るのがこの世界です。

KCGの学生の皆さんも,これからコンピュータの業界で働かれる時には,そのことを忘れないでいてもらえたら嬉しいですね。


「ぼくは航空管制官」
CHECK

「ぼくは航空管制官」は,航空管制官の仕事をパズル風のゲームとして再現し,大ヒットしたシリーズ。ゲーム中の航空無線は,(財)航空交通管制協会が監修し,世界中の航空会社が制作に全面協力をしている。このゲームの開発には,テクノブレインが独自に開発したリアルタイム3Dシステムライブラリ「Pegasus3D」が使用されている。