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Accumu Vol.14

ベトナムとの交流について ― ベトナム最大のソフトウェア開発会社と事業提携

京都情報大学院大学 教授 内藤 昭三

1. はじめに

「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山に出でし月かも」百人一首の中でも最も馴染みの深いものの一首であるこの歌の作者安倍仲麿はおよそ1300年前の奈良時代に遣唐使の一員として唐に渡りそのまま帰国することなく生涯を終えたこの間唐から派遣され現在のベトナムで行政官を務めている玄宗皇帝の時代であり仲麿は李白や王維とも親交があったようだ今回のベトナム滞在中にも何名かの方が日本とベトナムとの1300年の古くからの交流に言及された戦争と難民のイメージしかなかったベトナムに急に親しみを感じた次第である滞在期間中(2004年9月末の1週間弱)ベトナム最大のソフトウェア会社であるFPT社やハノイ工業大学小中学校などの教育機関を足早に訪問したここでは京都情報大学院大学(KCGI)の開設を契機として始まったkcg.eduグループとベトナムとの交流と今後の展望について述べる

2. ベトナムの風

今回の訪問地は首都ハノイとその周辺ベトナム(Viet Nam)は漢字を当てれば「越南」越のさらに南の地という意味であるベトナムの人はむしろ「南越」を望んだが中国が許可しなかったらしいさらにハノイ(Hanoi)は「河内」河はホンファ(紅河)でありこの河の流域の街を意味しているその昔ベトナム王朝は「昇龍(タンロン)」を主張したがやはり中国が許さなかったというホンファは名の表すとおり紅い河であり中国四川省から国境を越えてハノイを経由しトンキン湾に注ぐ四川の中の1本はこのホンファかも知れないホンファの紅さが土壌の肥沃さを映している中国との国境はちょうど北回帰線と重なっているかつて国境紛争が激しかったころは国境線を越えて物騒なものもホンファを流れたそうである北回帰線の南では9月ではまだ暑いだろうと覚悟していたら予想は外れた暑いという感じはないスタイルの良い女性が風になびかせるアオザイ姿も涼やかださらに涼しい朝に頂く温かいフォーは格別な味だ

ベトナムはフランスの植民地時代を経ているハノイの街でもコロニアル風の建物やファッションセンスにその名残を感じるその一方で街は活気に満ち生活感みなぎる人々の暮らしはどこか大阪風だ人口も大阪とほぼ同じ街はバイクにあふれ道路の横断にはなかなか慣れなかったバイクに家族5人乗りという光景もしばしば目撃したその光景は地方に行くと一変するホンファをさかのぼり中国に近づいていくとのどかな田園地帯が広がる多くの牛や水牛が農耕に使われている牛たちものんびり見慣れない我々が気に入らなかったのか1頭の牛が急に反対方向にすたこら歩き家まで戻ろうとしてしまったおばさんは特に気にする風もなく牛を追って引き返し再び牛を引き始めた道路は稲の乾燥機の役割も果たしているもともと狭い道がさらに狭くなり運転手は苦労している40年前の日本の田舎の光景に似ていなくもないなんだか懐かしさを感じた

3. FPT社訪問

FPT社はベトナム最大のソフトウェア開発「株式」会社1988年設立とのこと社会主義国ベトナムで株式会社と不思議に思うが1986年の第6回ベトナム共産党大会で市場経済政策「ドイモイ」の導入が決定されたドイモイはベトナム語で「刷新」を意味しているFPT社はIBMやOracle日立ソフトなどとパートナー契約を締結しアウトソーシングによるソフトウェア開発を行っている 2004年には日本事務所も開設し日本語の堪能なスタッフを多くそろえ日本からのアウトソーシングも受けている訪問中に日本語を流暢に話す女性開発者や関西の大学の大学院を修了したという開発者らと話す機会もあったソフトウェア開発では中国やインドの知名度が高いがベトナムも数理的センスに優れていること勤勉で几帳面なこと時間に厳格なことなどの国民性を武器にこれらの先行国を追いかけているように見える

FPT社はインドのIT企業であるAPTECH社とライセンス契約を結びベトナム内でコンピュータサイエンス教育プログラムを展開しているこれらの実績を基に2005年9月開校をめどに私立大学の設立準備を進めていたこの大学では学士号授与が可能となるKCGあるいはKCGIとの交換留学などの可能性に関しても議論した

社内を案内されていくうちにニッセンの開発チームのブースで現地駐在として指揮をとっている太田さんという日本人にお会いしたニッセンはカタログ販売の大手であり書店やコンビニの店頭に置かれている分厚いカタログを目にされた方は少なくないだろう実は太田さんは25年前のKCGの卒業生だというあらためて卒業生のネットワークの広さを実感するとともに「びっくりリンク」の実例を体験することとなった

4. 教育機関訪問

ベトナム教育省ハノイ近郊3省の市役所や教育局小中学校などを急ぎ足で訪問したどこも教育は国造りの基本と力を入れているようであったたとえばハノイの北西に位置するPhuTho省全体の教育を管轄しているVietTri市の配下では295の小学校に12万人の小学生233の中学校に11万2千人の中学生が学んでいるまたViet Tri市の教育局は小学校から高校までのIT教育を指揮している優秀な学生だけを集めて教育するIT教育センターもあるとのことただし問題もあり教科書や設備の充実が課題とのことだった我々は小学校でのIT教育として電話線が通じていればインターネットで学校同士をつなげさらにViet Tri市にセンターを置いて遠隔教育が可能でありいくつかのモデル校をつなげることから始めるとよいと提案した

高等教育機関ではハノイ工業大学(HUT)を訪問したベトナムで第1番目の国立大学であり1956年に創立されている 8万人以上の卒業生を輩出し現在は3万5千人以上の人がフルタイムあるいはパートタイムで学んでいる数多くの大学と提携しており日本では新潟の長岡技術科学大学と提携しているマルチメディア情報通信と応用研究センターの説明を受けたがこのセンターはフランスのグルノーブル大学との提携のもとでマルチメディア通信や機械翻訳システムの研究開発を進めているまたeラーニングのセンターを建設中とのことただし教科書設備卒業資格などクリアすべき問題も残されているという国際協力部には日本語のクラスもあるというこの訪問の直前にHUTはロボットコンテストで2004年度アジアNo.1を獲得した会議の席でも学部長がこのことに言及されたベトナムは数学オリンピックなどでも優秀な成績を修めている日本の若者の学力低下が懸念される一方でベトナムは理科系教育に力を入れているのかもしれない

5. さいごに

今回の交流はKCGIの開学記念式典に出席された在大阪ベトナム総領事館のブーゴックミン氏の仲介で実現したミン氏のお嬢さんは現在日本の大学で学ばれている下の男のお子さんも機会があれば日本で学ばせたいそうだベトナムの人は韓国や中国の人ほど先の戦争に関して日本への非難の感情は強くないという歴史背景が異なることが大きい要因だろうが国民性も近いのかもしれないFPT社とはその後2005年1月にKCG内で事業提携の調印を行うこととなった短いベトナム訪問であったが成長盛りにあった数十年前の日本の姿を見ているような気がした今後も着実な交流が続くことを希望する


ベトナム最大手ソフトウェア会社FPT社との事業提携
ベトナム最大手ソフトウェア会社・FPT社との事業提

2005年1月ベトナム最大手のソフトウェア会社FPT社とkcg.eduグループとの間でIT教育支援に関する事業提携が結ばれました

FPT社は日本IBM(株)や三洋電機(株)をはじめ多くの日本企業と取引関係にあることから同社にとって社員のITおよび日本語のスキルアップは非常に重要ですこの提携によりkcg.eduグループは同社に対しIT教育および日本語教育の面から支援を行います

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内藤 昭三
Shozo Naito
  • 京都大学工学部卒同大学院修士課程修了(数理工学専攻)工学修士
  • 元日本電信電話株式会社 情報流通プラットフォーム研究所主任研究員電子情報通信学会インターネット研究会幹事
  • 京都情報大学院大学教授

上記の肩書経歴等はアキューム14号発刊当時のものです