9月11日,ニューヨークに発生した同時多発テロは世界を震撼させた。これまでの歴史を終焉させる大事件であり,これから世界はどうなっていくのか予想もつかない恐れと混乱の中で,先の見えない,しかし次の歴史が始まるのを人類共通して感じたであろう。
本学院は被害の当事者であった。崩壊した第1棟79階にオフィスを持っていたのである。私達一同,テレビの映像に釘づけになり,一瞬息が止まった。何という衝撃を受けたことだろう。スタッフの生命は? 安否を気遣って震えた。専任者4名中,4名はNYシティ外に居たことが直ちに判明し,8時間後に常駐者の最後の1名の安否が確認されたが,安堵すると同時に,言いようのない憤りがこみ上げてきた。
事件に関する報道は新聞・雑誌・テレビで満載された。しかし,対岸の火事を見る如き,傍観者的観測で事件が何故起こったか背後の解釈に傾き,政府,マスコミ,有識者の憤りの大合唱がみられなかった。
実際に二十数名の日本人が殺されているのである。小泉首相は開口一番「これは日本の問題だ! 許せない!」と叫ぶべきであったと思う。マスコミにしても,有識者にしても,同様だ。「悪いものは悪い」という糾弾が,理屈を超えて最大の比重で叫ばれるべきなのだ。その背景,歴史的経緯,社会的事情などは,この凶悪犯罪における付加的部分として,第二ステージで議論されるべきではないか。
当事者として事件の渦中に身をおき,事件と向き合うのでなく,傍観者の見識による事件の解釈を優先させ,議論が議論を呼んでいくと,それを聞いている人々の中では,事件の凶悪さが薄れていき,やがて事件の核心が見失われていく。このような傾向は戦後の日本特有の報道現象であるが,今回もその例外ではなかったと思う。
人間社会の原理原則は,ヒューマニズムにある。生命の尊さを何より大切に思うのは,文化の違い,民族の違いを超えたプリミティブな倫理感であり,これが人間を人間たらしめていると思う。「悪いものは悪い」と断じるプリミティブな倫理感こそ如何なる解釈より尊いのであり,この欠如は最も危険なモラルハザードを生む土壌となるのだ。
9月11日のテロは,何の罪も無い7千人に突然の死をもたらしたことにおいて,人道上許せない残虐きわまりない行為であり,人類が長い歴史の中で築き上げてきた『人間の自由と尊厳』を基本とする文明に対する否定と,卑劣な挑戦なのだ。その憤りこそ,スタートラインであり,最後までその憤りを忘れてはならない。
今回のテロの原因・背景について,新聞,テレビ,雑誌などで,文明衝突論や宗教対立論が飛び交った。しかし,テロを生む背景には,貧困と,アメリカ一国主義のグローバリズムからくる反米感情があるというのが正解ではなかろうか。
十年に亘って米ソの大国に翻弄され,冷戦後は多量の武器と1千万個の地雷が残されたまま無責任に,見捨てられた国,アフガニスタン。国内では,産業らしきものがなく,人々は,生活の糧を得るためには,麻薬の生産・流通に従事するか武装集団に入るしかないという。武装集団の糧は麻薬売買の税収だ。かくて,アフガニスタンとその北東にまたがる『黄金の三日月地帯』は,世界有数の麻薬生産地として拡大していく。
アフガニスタンの周辺の国々はイスラム過激派の多発地帯であるが,アフガニスタン,カザフスタン,キルギス,トルクメニスタン,ウズベキスタンの国々では,70%~95%が貧困ライン以下だという。過激派の兵器はアメリカなど先進国で製造され,輸入されたものであり,この点では,先進国が紛争を続けさせているといっても過言ではない。麻薬と武器の一大マーケットで,極度な貧困,そして世界が無責任に見捨てた国がテロの温床となった。
さて,冷戦後,唯一の大国となったアメリカの身勝手さは,世界中で指摘されるところである。環境問題における国際協定書にも地雷に関する国際協定書にもサインせず,世界一の強大国でありながら,世界市民としての自覚と責任に欠けている。
その一方で,経済のグローバル化を強烈に推し進め,IMFと抱き合わせて,市場原理導入を強制する。いわばアメリカ原理主義と換言されるこのアメリカのグローバリズムは,各国の立場・文化を尊重するインタナショナリズムと異なって,一国の文化の他への押し付けであるため,当然のことながら他の国々の反発を受ける。
市場原理主義の導入は,発展途上国でますます貧困層を増やし,貧富の格差を生み,世界の富はアメリカへの一極集中となっていく。まさにグローバリズムは強食の論理であり,グローバル化を形づくっている制度の歪みが人間の安全保障を脅かす。各国における反米感情の爆発はここに由来するのだ。
ところで,アメリカ中心の経済グローバル化は,ITの発達に支えられたものである。しかし,だからといって,この弊害を阻止するのにITの発達を否定すべきでないのは言うまでもない。情報と知能の時代の『第三の波』は確実に到来しているのであり,時代的逆行はありえない。
グローバルな市場を統括する国際機関のガバナンスを世界的協力において開発していかねばならないという識者の意見に賛成しよう。
貧困の対策,アメリカ一国主義による経済的グローバル化の歪みへの対応,これをおろそかにしては,21世紀の世界は暗闇だ。
本学院は,海外コンピュータ教育支援活動など途上国のIT化へ向かって,1989年より12年間努力してきた。この実績をもとに,日本政府(JICA)の要請を受け,多くの文化圏からIT海外研修生を受け入れており,すでにイスラム文化圏との交流も多い。こうした国際交流の結果,本学院には,真のIT教育を実施するために必須な異文化理解の経験とノウハウが蓄積され,日本の教育機関がイニシアティブをとった初めてのグローバルなIT教育ネットワークが生まれたのである。今回被災したニューヨークオフィスはその拠点であり,象徴であった。
ニューヨークオフィスが目指していた理想は,IT化による,人類全体の発展である。そのオフィスが,無差別テロに巻き込まれたことには,悲しみを伴う大きな憤りを覚えざるを得ない。しかし,我ら学院は,今回の事件を理想の挫折と捉え意気消沈するのではなく,平和を希求し,明日の世界を,IT技術の側面から支えるべく,その一助となりたいと願う。
京都コンピュータ学院は2000年10月1日に世界貿易センタービル内にニューヨークオフィスを開設していた。それまでボストン校(日本の学校法人の現地施設)で行っていた本学院関連の海外業務の拠点をNYに移したのである。オフィスのあった世界貿易センタービルのスイート7967には,ハドソンリバーに面した眺望の良いラウンジがあり,ネットワーク設備のある会議室も使用できた。1989年以来,東欧・アフリカなどの発展途上国十数カ国を対象に実施してきた本学院の海外コンピュータ教育支援活動(IDCE)のボランティア班のミーティングルームや,本学院と米国各大学とのコンピュータ教育共同開発のために,ロチェスター工科大学(RIT),コロンビア大学,マサチューセッツ工科大学(MIT),ハーバード大学の教授達との会合場所として,さらには,マンハッタンのシリコン・アレーのIT関連・eラーニング関連最先端企業からのIT関連情報収集の拠点として活用してきた。これらの目的のために,世界貿易センタービルは地の利のみならずその信頼性,安全性,機能性からいって恰好のビルであった。スタッフは,マンハッタン在住の本学院関係スタッフが2名,常時出入りしていた日本人スタッフが他に2名,MITやコロンビア大の大学院生数名がボランティアで参加していた。
ニューヨークオフィスでは,プロジェクト毎にネットを通じて,参加者を募り,プロジェクトが終わると解散するという「人材利用型」を採用している。オフィスは,プロジェクトチームのミーティングの場として使われていたが,プロジェクト自体は,バーチャル・オフィス形態で,ネットを通して互いに連絡しあい,責任分担で実行されていたのである。数名のオフィス専属のスタッフは,ネットで緊密な連携を保ちながら,中枢部としてのアドミニストレーションの責任を果たしてさえいれば,出退勤の時間は自由であった。また,コア・コンピタンス以外は徹底して電子データ化し,アウトソーシングできる事柄はアウトソーサーに一任していた。全てのデータ類は,電子化されて,現地スタッフのラップトップ・デスクトップの中にあった。このように,ニューヨークオフィスの形態がIT時代を先取りするものであったため,オフィス崩壊による物的被害も人的被害も最小限に食い止められたのである。