トップ » バックナンバー » Vol.10 » 世阿弥二題

Accumu Vol.10

世阿弥二題

京都コンピュータ学園理事 植原 啓之

世阿弥ゆかりの地を訪ねて

「面塚」と「観世発祥の地」(一)

初秋の一日斑鳩の里を探訪した

30数年前に訪れたことがある「結崎駅」(近鉄―橿原線)に降り街道筋の風景が一変しているのに驚いた新興住宅が建並び道路は舗装され川西町役場は文化ホールを併設した近代的な新庁舎に様変わりしていた

庁舎を過ぎると赤い鳥居の「糸井神社」がある(約1000年前の延喜式という書物にその名が記された由緒ある古社―県指定文化財)

その前を通り過ぎると寺川の堤に出る橋を渡って左手の堤防の上に「面塚左一丁」と刻まれた石塚と「面塚の由来」を記した立札があり堤防の左前方に面塚らしき木の繁みが目に入る

この結崎の地に伝わる説話に「室町時代のある日のこと一天にわかにかき曇り空から異様な物音とともに寺川のほとりに落下物があったそれは一個の翁面と一束の葱村人は翁面をその場に懇に葬り葱はその場に植えたところ見事に生育し戦前まで結崎ネブカとして名物になった」がある

この天から降った翁面を葬った跡が「面塚」と記されている(町教委資料)

領主の「上島家歳用覚」の書物に天保2年に面塚守になにがしかの知行を与えたことが記されており古くから何等かの塚のしるしがこの地にあったことが推察される

この「面塚」と並んで「観世発祥之地」の碑がある(能楽五流の一つ観世流のこと)

観世発祥の地の由来は観阿弥世阿弥父子の時代に遡る

観阿弥は大和猿楽座の一つであった「観世座」を伊賀の国に立てたそうしてその子世阿弥の幼名を「観世丸」と名付けた

当時猿楽座は奈良の興福寺や春日若宮社等の寺社の法会や祭礼に参勤していた

その後観阿弥はこの大和の国結崎に居を移し地名から結崎姓を称して結崎清次と名乗った座も「結崎座」としてその当主となった

観阿弥の「観世座」世阿弥の幼名が「観世丸」また「観世」は結崎座の当主を意味する通称となったところからこの結崎の地が観世発祥の地となっている

昭和11年に先々代観世流宗家観世左近師が史実にもとづいてこの地に「観世発祥之地」直筆の碑を「面塚」と並んで建立した

昭和27年に寺川の拡張工事のため現在の堤防下に移設されたがそれ以前は寺川堤(堤防の上あたり)にあった

この碑の周囲は玉垣で囲われ玉垣には寄贈された観世流能楽師の方々や流友の人達の名が刻まれ今は亡きなつかしい方々のお名前に接することが出来る

この地は観世阿と世阿弥結崎と観世能楽史の一編にふれることが出来る所である

世阿弥ゆかりの地を訪ねて
世阿弥参学の地―補厳寺―(二)

結崎を後に結崎駅から2つ目の駅「田原本」で降り世阿弥の菩提寺であり参学の地として知られる宝陀山補厳寺を訪ねる

駅で道順を尋ねたところ「徒歩では一時間以上かかりますよ」と言われ仕方なく駅前からタクシーを利用して15分程で着いた

古びた山門前の道端に「宝陀山補厳寺」の石標があり山門を間近に見ると瓦は葺替えられてかなり新しいが門柱や扉は痛みも激しく老朽化している

山門右側を見ると「世阿弥参学之地」と記された碑が建ちまたその右側にこれも相当に老朽化して損傷が激しいのかブルーシートで一部を覆われた鐘楼がある

山門から足を踏入れるとそこは畑で夏野菜が植えられその左奥に墓地があり右に古びた一軒の民家が建ち本堂らしきものは見当たらない

声をかけたが人の気配がなく墓地に足を運んだそこには苔むす古い墓石が4~50基程点在していた

やがて山門に人の気配がして年老いた女性が帰って来られた来意を告げて住居の玄関に迎えられた

この女性から「世阿弥参学之地」の碑が建立された経緯やここ補厳寺が世阿弥夫妻の菩提寺であることが納帖から判明したことまた毎年8月8日の世阿弥の命日には多くの方々が参詣し法要が営まれていること等を親しく聞くことが出来た

補厳寺の由来は足利時代の初めこの地の豪族十市城主が結崎出身の了堂真覚(道元より七代目)を鹿児島より呼び戻し宝陀山補厳寺(大和最初の曹洞禅寺)の開祖とした

当時この辺りは興福寺の勢力が強かったが補厳寺は新鮮な宗風と修行が天下の耳目を集め隆盛期を迎えていた

やがて戦国時代となり開祖から約200年後に十市遠勝が松永弾正との戦いに敗れて十市家は滅亡し十市家の菩提寺であったこの寺も大半を焼失している

その後徳川時代となり領主藤堂高虎によって寺は再建され幕末まで藤堂家の祈願所となっていたが安政五年放火により山門と鐘楼を残して焼失している

またこの補厳寺と世阿弥とのかかわりは能楽研究家故香西精氏により解明されたのである

香西氏が現代に伝わる世阿弥の数多くの古文書を研究されて行く中で世阿弥自筆の金春禅竹宛の書状に「仏法にも しうし(宗旨)のさんがく(参学)と申すハ とうほう(得法)以後のさんがく(参学)とこそ ふかん寺二代ハ おほせ候しか」の一文に目を止められた

このふかん寺から補厳寺を割出されたのである

この知らせを聞かれた能楽研究家表章氏が補厳寺に行かれ調査されたそうして納帖の中に世阿弥の法名「至翁禅門」を見つけられた

香西氏もその知らせで補厳寺に行かれて調査に加わり世阿弥の妻の法名「寿椿禅尼」を見つけられた

これによって補厳寺が世阿弥夫妻の菩提寺であることが判明したのである

時に昭和34年のことである

書状の中に「さんがく(参学)とこそふかん寺二代ハ」とあるがこのふかん寺二代は竹窓知巌のことでありこの知巌が世阿弥参学の師であり世阿弥の遺著「花鏡」等に見られる顕著な禅的教養は知巌の教えに大きく影響を受けたものと考えられている

その後昭和57年に世阿弥の遺徳を仰ぐ人たちが発起人となり全国各界の方々から寄金を募り世阿弥の父観阿弥の没後600年補厳寺開基600年に当る昭和59年に「世阿弥参学之地」の碑が建立された

歌舞幽玄の能を大成しその芸術性を高揚した世阿弥の偉業を顕彰するに応しくまた補厳寺が史跡としての意義を宣揚することを願ってこの碑が建立されたのである

帰路山門を出ると世阿弥も見たであろう夕日に映える美しい大和三山のうち耳成山と畝傍山の二山を正面目のあたりに見ることが出来た

芸能修業と人生修業

世阿弥は能の修練と心構え等について数多くの伝書を著述し後世に伝えている

中でも「風姿花伝」これは父観阿弥から受けた能役者としての教え加えて世阿弥自身が芸の修業に励む姿を後世に伝えるため実子元能と甥の音阿弥に伝書として書き送ったもので能を演じる上では現在も生きている

風姿花伝をはじめとする伝書は「世阿弥十六部集」吉田東伍校註となり明治42年2月に発行されている

また昭和20年3月には「世阿弥二十六部集」川瀬一馬著が発行されたこのように世阿弥の古文書解明が諸先輩の先生方の研究によって世に出ている

それ以降においても多くの方々が世阿弥の研究に尽力され数多く伝書の解説書等が出版物となっている

世阿弥は能を単なる趣味や芸事としてではなくこれを人の道に置きかえて能の稽古を「習道」と見なし伝書の題目には「至花道」「遊樂習道風見」「習道書」等と題している

またこれ等の伝書にはことごとく「花」について書かれているそのため「風姿花伝」「花習」「至花道」「花鏡」「拾玉得花」「却来花」等が花を題目にしている

いかに世阿弥が「花」を大事にしていたか「花」は能の命だといっている世阿弥が言うところの「花」とは全ての草木は四季折々に花を咲かせるが一度咲いた花は必ず散り次の季節まで咲くことはない咲くべき時に咲き散ってまた咲くまでに永い時を要するからこそ人々は咲くのが待たれ咲いた時に美しさ珍しさを感じ賞賛される能も同じように見る人に珍しさを感じさせるところが即ち面白いところであるとその花のために必要な工夫と努力が説かれている

一言では言い尽くせないが「風姿花伝」の別紙口伝や「拾玉得花」等に詳記される

また 伝書の一つに「花鏡」があるその(奥の段)に次の一句がある

しかれば当然に万能一徳の一句あり

   初心不可忘

この句三箇条の口伝あり

   是非初心不可忘

   時々初心不可忘

   老後初心不可忘

この三よくよく口伝可為

この一句を解り易く言えば

さて私共の芸にあらゆる功徳を一まとめにした金言があるそれは

「初心忘るべからず

というのであるこれには三箇条の口伝がある

「批判規準となる初心を忘れてはならぬ

「自分のそれぞれの時期における初心を忘れてはならぬ

「老後の初心を忘れてはならぬ

この三句はよくよく口伝を受けるべきものであるとなる

この一句は能の稽古や工夫が一生涯にわたってなされることを教えるものであるがこれ一つをとってもただ芸能修業のためのみに説かれたものに止まらず同時に人間としての人生修業の大事なことと人生探求を鋭く指摘しているものである

青少年期の初心を忘れず身につけていれば年老いてもいろんな利益がある「前の非を知るのは後の是を得るゆえんだ」と言われるように初心時代の未熟さを忘れるのは初心以後の芸を忘れることになるのではないか芸の向上の過程において自覚反省がない者はきっと初心時代の未熟さへ逆もどりする現在の自分を自覚する必要のため初心時代の未熟さをいつまでも忘れないように努めるべきだという人生訓になる

この「芸」は時代が移り代わっても人々が自分自身の身の回りに置き換えて物事をしようとする時絶えず心得ておかなければならない一句である

この著者の他の記事を読む
植原 啓之
Hiroyuki Uehara
  • 京都コンピュータ学院総務部顧問
  • 学校法人 京都コンピュータ学園理事
  • (社)京都府専修学校各種学校協会理事
  • (財)京都府私学振興会監事

上記の肩書経歴等はアキューム11号発刊当時のものです