持続可能でレジリエントな未来を目指して
2019年12月に中国の武漢で発生した新型コロナウイルス感染症は,短期間で全世界に波及し,第二次世界大戦以降最大といわれる被害を人類にもたらしている。新型コロナウイルスに感染して亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに,新型コロナウイルスとの戦いを日々続けておられる医療関係者をはじめとするエッセンシャル・ワーカーの方々に深く感謝します。
最初の感染者発見から5カ月が経過した本稿の執筆時点で,全世界での感染者は580万人,死者は36万人にのぼっている。まさにパンデミックである。このうち最大の感染者を抱える米国では,感染者が172万人,死者が10万人にのぼる。日本では,2020年5月28日現在で感染者が16759人,死者が882人である[1]。日本国内においては第一波の感染症流行が沈静化して緊急事態宣言が解除されたが,世界レベルでは感染者数はいまだに増加しており,第二波,第三波の感染症流行の発生が懸念されている。
新型コロナウイルスは短期間に大量の感染者と死者を発生させただけでなく,世界の経済,環境,社会に深刻な影響を与えている。経済に関しては2008年のリーマンショック以上の深刻な影響が発生するであろうといわれている。環境に関しては,経済活動低下の結果大気汚染が改善されたというポジティブなニュースもあるが,人々の生活スタイルの変化の結果,プラスチックごみが増加したというネガティブな報告もある。新型コロナウイルス感染症の流行は,人々の就労・就学スタイルや生活スタイルにも大きな影響を与えている。
本稿では,持続可能な開発目標(SDGs)の観点から新型コロナウイルスに関連した課題を読み解き,持続可能でレジリエントな(回復力,弾力性のある)社会を構築するために今後われわれが果たすべき役割について考察したい。
新型コロナウイルス感染症は,従来のインフルエンザウイルスの感染と異なった性質をもっており,それが感染拡大への対策を困難にしたと考えられている。新型コロナウイルスとインフルエンザは類似点も多いが,WHOの分析[2]によれば,次の点で異なっていると考えられる。
(1)新型コロナウイルスの感染速度はインフルエンザの感染速度よりも遅い
インフルエンザの方が, 潜伏期間※1と発症間隔※2が短い。WHOによると, 新型コロナウイルスの発症間隔は5〜6日だが, インフルエンザの発症間隔は3日ほどである。したがって,感染拡大のスピードはインフルエンザの方が速い。
(2)ウイルス排出パターンの違い
新型コロナウイルス感染症の患者は,インフルエンザ感染症の患者よりもはるかに長く感染力を維持すると考えられている。インフルエンザウイルスは通常, 症状が現れてから最初の2日間にウイルス排出が起こり, 最大1週間排出が続く。
しかし,新型コロナウイルスの感染者の一部は,感染から2日以内(発症する前)にウイルスを排出していたとの報告もある。感染者の中には,無症状か軽度の症状を示す初期段階に,大量のウイルスを排出しているケースもあった。また,感染者が約20日間(または死亡するまで)ウイルスを排出し続けていたとの報告もある。検出されたウイルス排出最短期間は8日だが, 37日目にウイルスを排出していた症例もあったとのことである。
他にも,感染と基礎疾患の関係,若年者と高齢者の感染しやすさや発症しやすさなどの点においても差異があるといわれているが,まだ十分に知られていない点も多いようである。図1は,国連の新型コロナウイルスパンデミック対策支援活動のシンボルとなっているロゴである[3]
※1 感染してから発症するまでの時間
※2 感染源の発症から2次感染者の発症までの時間
次に,持続可能な開発目標(2030 SDGs)について説明させていただきたい。2015年9月,全国連加盟国(193カ国)は,より良き将来を実現するために今後15年かけて,極度の貧困,不平等・不正義をなくし,われわれの地球を守るための行動計画「アジェンダ2030」を採択した[4]。この行動計画が「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)」と呼ばれている。SDGsは,開発途上国だけでなく先進国含めた全ての国に住んでいる人たちが直面している課題や,深刻化しつつある地球環境に関する課題などを解決するための17の目標(ゴール)と169のターゲットに全世界が取り組むことによって,誰も取り残されない(No one will be left behind)世界を実現しようという壮大なチャレンジである。
SDGsは,2000年に国連総会で採択されたミレニアム開発目標(Millennium Development Goals: MDGs)の後継となる行動計画である。MDGsでは,2015年までに主に開発途上国が抱えていた課題を解決するために,8つの目標と21のターゲットを設定していた[5]。
一方SDGsでは,開発途上国だけでなく,先進工業国での課題や地球規模の課題を含む17の目標と169のターゲットを設定している。SDGsの17の目標の象徴として用いられているロゴを配したポスターを図2に示す。SDGsの17の目標は次の3つのグループに分類できる。
(1)主に開発途上国に関連する目標(1~6)
これらの目標は主に開発途上国の課題ではある。しかし日本にも,「相対的貧困」と定義される人々が存在し,「こども食堂」が必要とされる十分な栄養を摂取できない人々が存在するように,先進工業国の課題も含まれている。
(2)主に先進工業国に関連する目標(7~13)
これらの目標には,エネルギー,経済,技術革新などの先進工業国にとっての重要な課題が含まれていると同時に,ジェンダー平等,住みやすさなどの社会的な課題も含まれている。
(3)環境問題を含む地球規模での目標(14~17)
これらの課題には,気候変動,海洋と陸上の生態系の保全などの環境問題,平和と公正という地球規模の課題が含まれている。また,目標17(パートナーシップで目標を達成しよう)はSDGsの重要な理念の一つである「誰一人取り残さない(No one will be left behind)」という考え方を象徴している。
SDGsが掲げている17の目標のそれぞれには解決すべき課題が対応している。また,これらの課題はそれぞれ独立しているわけではなく,互いに関係しあっている。ここでは,新型コロナウイルスパンデミックがどのような課題を生んだのか,またそれらの課題が他の課題にどのように影響を与えているのかをSDGsの観点から考えてみる。
まず,新型コロナウイルスパンデミックの人類に対する直接の影響は,感染者の健康が損なわれ,感染者に死がもたらされるという点であり,これは目標3(健康と福祉)に直結している。
感染の拡大を防ぐため,人と人との物理的接触を極力避ける方策(ソーシャルディスタンスの確保)がとられた。多くの国で都市封鎖(ロックダウン)が行われた。直接には目標11(住み続けられるまちづくり)が損なわれたことになる。日本では都市封鎖は行われなかったが,多数が集まる集会や不要不急の外出の自粛が要請され,観光業界,旅行業界,飲食業界,スポーツ施設,映画館,ライブハウス,パチンコ店などの娯楽遊興施設が大きな影響を受けた。また,一般企業でも,現場での作業が必要とされる業種以外の従業員の自宅勤務やテレワークが奨励された。
また,大学から幼稚園・保育所に至るあらゆる教育機関が影響を受けた。教育のIT化対応が遅れた学校では速やかに遠隔教育の移行を行うことができず,学生たちが教育を受ける機会が損なわれる結果をもたらした。目標4(質の高い教育)に影響が及んでいることになる。
ロックダウンや移動の自粛は経済活動に大きな影響を与えることになる。目標8(働きがいも経済成長も)に影響が及んだことになる。以下で述べるように,経済活動の低下は社会のほとんどの活動に影響を及ぼす。
経済活動の低下は,人々の生活環境の劣化に直結する。特に,開発途上国では目標6(水と衛生の利用可能性)に影響が現れる。安全な水と衛生の利用可能性が損なわれると,新型コロナウイルスのまん延の可能性が高まることになり,目標3(健康と福祉)にも悪影響を及ぼす。
さらに,アフリカなどに多数存在する野生動物保護区では,観光客の受け入れがストップしており,貧困層による野生動物の密猟が増えているとの報告がある。野生動物の中には絶滅危惧種に指定されているものも多く,陸上の生態系の多様性が損なわれることになり,目標15(陸の豊かさ)にも影響が及んでいることになる。
また,休業や操業時間の短縮を行った業種では,従業員の解雇や勤務時間の短縮を余儀なくされることになり,失業率の増大を招いた。学校が休校になり,子供たちの世話をするために仕事を犠牲にせざるを得ない親も多数発生した。これらの事態は,短・中期的に貧困層の増加をもたらすことになる。目標1(貧困の撲滅)に影響が及んでいることになる。また,貧困がもたらす最大の影響は,目標2(飢餓の撲滅)と目標4(質の高い教育)達成の困難さが増すことである。
経済状況が悪化すると,社会的弱者への差別が助長される。その結果,目標5(ジェンダー平等),目標10(不平等の是正),目標16(平和と公正)が損なわれることになる。
この間の飲食業界の休業や営業自粛,人々の外出自粛とテレワークがもたらした変化の一つは,外食が大幅に減り,自宅での飲食が増えたことである。各種のパーティーや飲み会もほとんどが中止や延期になり,オンライン飲み会が行われるようになった。このような食生活の変化の結果,食品や食材を包装していたプラスチック製品が家庭ごみとして大量に捨てられることになり,プラスチックごみによる環境汚染問題が深刻になる。直接には,目標12(作る責任使う責任)の達成に影響が出てきている。また,環境問題である目標14(海の豊かさ),目標15(陸の豊かさ)にも影響が及んでいることになる。
その他にも図3に示すように新型コロナウイルスパンデミックはさまざまな社会課題を生み出している。これらの課題は,互いに深く関連しあっており,多数のステークホルダが存在しているために,それぞれの課題を単独で解決することが困難である。課題を解決するためには,短期的な経済的合理性が必要とされる場合が多く,短期間に採算がとれる解決策が見つかりにくいという問題もある。
このようにお互いに深く関連しあった複雑な課題は,現在の社会システムの中で課題解決に適用されてきたフォアキャスティング(forecasting)思考では解決できない。これは,現在の状態からスタートして近い将来適用可能な「改善」を積み重ねて問題を解決するという思考方法である。
これに対し,バックキャスティング(backcasting)思考は,あるべき未来の姿をまず想定して,そこから現在の状態を振り返ってみて,あるべき未来の姿を実現するために必要な中間目標(マイルストーン)を設定することによって課題を解決するという戦略的な思考方法である。SDGsの17の目標で解決しようとしている課題はまさに複雑にからみあった課題であり,これらの課題の本質的な解決のためにはバックキャスティング思考が必要である。フォアキャスティング思考とバックキャスティング思考の違いを図4に示す。
新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐために,人と人との接触を極力避ける必要があったため,企業活動,教育活動,社会活動が大きな制約を課せられることになった。企業では,テレワークが導入され,学校は閉鎖されてオンライン授業,オンデマンドのeラーニングで教育を継続せざるを得なくなった。また,さまざまなイベントが中止,延期され,一部はテレコンファレンスシステムを用いてサイバースペース上で開催されることになった。また,レストランや飲食店も休業や営業時間の短縮を余儀なくされ,大きな損害を被ることになった。当初はこのような変化に多くの人が戸惑ったが,新型コロナウイルス対応の新しい生活スタイルで気付かされることも多々ある。以下は,筆者が得た気付きである。
⑤-1 就労スタイルの変化
テレワークには,外部からのノイズの少ない環境なので自分のペースで仕事ができ,通勤時間が減った分だけ内省する時間が増えるというメリットも存在する。目的意識を明確に持ち主体的に作業を行うことで,テレワークは十分な効果を発揮できる。IT系の企業やベンチャー企業の中には,テレワークを実施した結果,従来よりも生産性が向上したという例も多い。その結果,アフターコロナ/ウィズコロナの時代には,テレワークの割合を増やして,都心のオフィスのスペースを減らし社員の居住地に近い場所に作業環境に優れたリモートオフィスを開設するという動きもある。「会社=社員が一堂に会して仕事をするスペース」という概念が崩れつつあることになる。
⑤-2 コミュニケーション方法の変化
テレワークの環境下では,会議も当然テレコンファレンスに頼らざるを得ない。IT関係者や海外との交流の多い人たちを除いて,一般の方にとっては新しい経験であったと思われる。テレコンファレンスの難しさの一つは,参加者からの非言語的情報(姿勢,表情,そぶりなど)が得られにくいという点である。そのため,テレコンファレンスには疲労感が伴い,長時間の意識の集中が難しくなる。しかし,テレコンファレンスでも会議の効率を上げることは可能である。
筆者の経験からは,共通の知識や意識を持っている集団では,テレコンファレンスであっても有効な意見交換が行える。テレコンファレンスを効率よく実施するためには,資料の準備や進め方の検討に注力する必要があるが,これらの点がクリアできれば,会議を効率良く実施できる可能性が高い。主催者側の負担は増えるが,参加者にとっては無駄が少ないと感じられるかもしれない。
テレコンファレンスには,対面での会議にはないメリットもある。たとえば,インターネット環境さえ整っていれば,たとえ地球の裏側からであっても参加可能なので,地理的な制約を克服でき,出張のための移動時間も必要ない。移動する必要がなければ,会議のスケジューリングも容易になる。また将来,自然言語翻訳技術が高度化されれば,言語の壁も克服できるであろう。会議のビデオ記録も残せるので,会議に出席できなかったメンバーは後日閲覧することによって情報共有が容易になる。
このように,テレコンファレンスには,これまでの対面での会議とは違った側面があるので,アフターコロナの時代にも使い続けられるであろうし,社会のグローバル化を考えると将来はテレコンファレンスが主流になるかもしれない。
⑤-3 教育スタイルの変化
3月に入って日本国内での新型コロナウイルスの感染者数が急激に増えたため,終業式を待たずに学校を閉鎖せざるを得ない状況が発生した。卒業式や入学式もリアル空間では開催できず,サイバー空間上で開催せざるを得なくなった学校が多発した。KCGグループでは,新型コロナウイルスの感染が全国に広がる以前の2月中に新学期からの授業は全面的にオンライン授業(同期型)とeラーニング(非同期)に切り替えることを決定して準備を開始していたが,新学期の授業の開始は新入生では,ネット環境準備などに時間を要したことから例年より約1カ月遅れ,5月の連休明けからとなった。
筆者も京都コンピュータ学院(KCG)と京都情報大学院大学(KCGI)の両方でオンライン授業を実施している。オンライン授業では,テレコンファレンスの場合と同様に,教員が学生からの非言語的情報によるフィードバックを得にくい。また,学生が集中力を持続できる時間は30分程度である。これは,対面式の授業でも教員が直面する問題である。特に,大学の学部に相当する専門学校での専門基礎科目のように,幅広い知識をひたすら「教える」講義では,学生の集中力が長続きしない。
対面での授業や講演では「つかみ」から入り,学生たちの反応(非言語的情報)を見ながら「くすぐり」を入れる,といった歌舞伎や落語などの伝統芸能の手法が適用可能である。しかしオンライン授業では,学生たちからの非言語的な情報のフィードバックが少ないのでこの手法は使いにくい。ましてやeラーニングのようなオンデマンド型の授業では,学生の状態がリアルタイムでフィードバックされないので,「つかみ」はある程度効果があったとしても「くすぐり」は使えない。これが,オンライン授業で直面した最大の課題である。
それを解決するために,アクティブラーニングの手法を導入することにした。教科書に記述されている基礎知識は,各自で予習しておいてもらうことにして,オンライン授業では,Q&Aと数人のグループでのディスカッションを中心にすることにした。また,LMS(Learning Management System:学習支援システム)を用いてのオンデマンドのテストも実施することにした。
まず,受講生が「知識」を獲得することは,参考書を読むとかインターネットで検索することで容易に行える。また,系統立った知識が必要であれば,インターネット上で誰もが無料で受講できる大規模な開かれた講義システムであるMOOCs(Massive Open Online Courses)というシステムも公開されている[6][7]。※3MOOCsを活用すれば,パンデミック発生時でも学生たちの自主的な学習活動は継続できる。とすると,そもそも大学という組織や教員の役割は何なのかを考えざるを得なくなる。また,MOOCsが普及すると大学教員の多くは失職するのでは,などの笑えない心配も出てくる。
しかし,MOOCsについてさらに調べてみると,受講生のコース修了率が低いという課題が残されている。※4これは学習のモチベーションを維持するのが難しいからである。したがって,MOOCsを導入する場合には,この点を補強する必要がある。また,社会人は一般に学生よりモチベーションが高いと考えられるので,MOOCsは社会人のリカレント教育により適しているといえるかもしれない。
さて,オンライン授業では,学生たちとの対話を通じて学生の理解を深化させることにした。専門学校の多人数のクラスでは,オンライン会議システムの分科会(ブレイクアウトセッション)の機能を使って学生を数名のグループに分けてディスカッションを行わせ,その結果を全体セッションで発表させている。また,教科書のない大学院の授業では,レクチャーだけでなく,Q&A,演習問題,授業で得られた知識を活用した新しい応用を考えるプロジェクトの実施などを行わせている。
まだオンライン授業を始めたばかりなので,これから直面する課題はまだまだ発生すると思うが,これまでの経験から感じているのは,オンライン授業での教員の役割は,学生たちに知識を詰め込むことではなく,学生たちが自ら学習できる環境を提供する「ファシリテータ」ではないかという点である。この経験は,新型コロナが終息し,対面での授業が再開された時にも活かせると思う。
※3 この活動は2006年に米国でスタートし,日本では2013年に日本オープンオンライン教育推進協議会(JMOOC)が発足している。
※4 ハーバード大学とマサチューセッツ工科大学が共同で設立したedXについての2016年のレポートでは,MOOCsのコース修了率が5.5%であったとの報告がある。その後の2019年に発表された研究においても,大半のMOOCs受講生は途中で諦めてしまったとのことである[7]。
最後に,今回の新型コロナウイルス感染症によって引き起こされた災害によって今後の世界がどう変わるか,また持続可能でレジリエントな世界をつくるためにはわれわれがどう変容する必要があるかという点について,私見を述べさせていただきたい。
今回の新型コロナウイルスパンデミックでは,現代文明のさまざまな脆弱さが露呈した。感染症発生源の中国だけでなく,米国や欧州でも多数の人々が感染し死亡した。日本でも約15万人が感染し,2千人以上が死亡した(2020年11月末時点)。しかも,感染症の第二波,第三波に襲われ,夏には終息するインフルエンザとは異なる未知の性質を持つ新型コロナウイルスとの戦いを今後も年の単位で続けざるを得ないと考えられている。まだ戦いは始まったばかりである。
⑥-1 アフターコロナ/ウィズコロナ時代からの要請
(1)感染症対策
アフターコロナ/ウィズコロナの時代にも持続可能なレジリエントな社会を構築するために何が必要かを考えてみたい。まず,健康な生活を維持できるような医療体制(目標3)が必要である。今回のような感染症の流行が発生しにくく,もし発生しても医療崩壊につながらない,レジリエントな社会システムが必要である。
(2)大規模自然災害への対策
次に危惧するのは,感染症の拡大期に大規模自然災害が発生した場合の対応である。最近日本では,小規模地震の発生が多いように思える。また,ここ数年大規模な台風による被害が発生している。巨大台風の発生に関しては,大気中の温室効果ガスの増加に伴う地球温暖化の影響であるといわれているが,この問題はSDGsでは目標13(気候変動)と目標11(住み続けられるまちづくり)として取り上げられている。大気中の温室効果ガスの削減に関しては長期的かつ戦略的な取り組みが必要である。
短期的な課題としては,新型コロナウイルス感染症が流行している時期に大規模自然災害が発生した場合の避難施設の収容能力が問題になる。感染症のまん延を防ぐためには,適切なソーシャル・ディスタンスを確保する必要があるので,既存の避難施設には従来の3分の1程度の人数しか収容できないとの調査結果も発表されている。したがって,人口密集地では大きな人的災害に見舞われるリスクが高いということになる。
(3)食料自給率の改善
次に気になるのは,日本の食料自給率の低さである。平成30年(2018年)の日本の食料自給率は,カロリーベースで37%,生産額ベースで66%にすぎず,先進国中最低水準である[8]。この問題は目標2(飢餓をゼロに)とも関連している。現在の日本の食料自給率は,大規模な自然災害が発生した場合やパンデミックが大規模化・長期化した場合,あるいは国際紛争の発生に伴って海外からの輸入が途絶えた場合などには危険な水準であるように思われる。
食料自給率を改善するためには,農業の高付加価値化や高効率化が必要なので,このアプローチは長年試みられてきた。外国人技能実習生制度[9]の導入もこのアプローチの一環である。しかし,今回の新型コロナウイルス感染症の流行の影響で外国人の入国が困難となり,この制度の問題点も見えてきた。この制度自体の見直しが必要になるであろう。
⑥-2 あるべき未来のコミュニティの提案
次に,先に述べた要請に基づいて,あるべき未来の姿を思い描いてみたい。筆者は,次のような社会を構築することができれば,持続可能でレジリエントな社会が実現できると考えている。
(1)大都市への集中から地方への機能の分散
前節で述べた課題を全体として解決する方法を検討してみたい。たとえば,大都市から地方都市への住民の移住を促進する必要がある。これまで,東京一極集中の緩和,遷都,政府機能の地方分散などが議論されたこともあるが,いずれも実現していない。大都市に機能を,そして人を集中させることに短期的な経済メリットがあったからである。しかし,機能の一極集中は大局的・長期的に見た場合にはメリットとはいえない。隠れた真のコストをカウントしていないからである。
まず,新型コロナウイルスのクラスター感染が発生したのは,東京,大阪などの大都市が顕著である。人口密度の低い地域では,クラスター感染の発生リスクが低いと考えてよい。テレワークが日常化しても生産性が低下しない企業では,都心のオフィスの規模を縮小し,在宅あるいは社員の居住地の近傍にあるサテライトオフィスなどでの勤務にシフトしようとしている。都心部のオフィスの規模縮小は,会社の固定経費の削減にもつながるので,これらの企業にとっては,コロナショック対策としても有効である。
もしこのような勤務形態が多くなれば,社員にとっては毎日長時間をかけて満員電車で会社に通勤する必要がないので,感染症のリスクは低減する。また,都心で高い家賃を払って狭いマンションで生活するよりも,地方都市や郊外の風光明媚な自然環境の中の快適な住まいでの生活を楽しむことも可能になる。それにより,精神面でのストレスも軽減されるであろうし,仕事の効率も向上すると考えられる。ストレスの多い大都会での生活で精神疾患を病む人も減るであろう。
地方都市の人口が増えれば,そこでの消費が生まれる。これにより地方の経済が活性化するし,近郊の里山での農業生産,里海での漁業にもチャンスが到来する。
(2)食料自給率の改善と里山・里海の環境保全
農業生産の効率化は,食料自給率を向上させるための焦眉の課題である。それと同時に,安心安全な食材の供給も免疫力の強化と健康のために必要である。農業生産の効率化のためには,生物学の知見とICTの活用がキーになる。ICTでは,高精度の測位技術,機械学習技術などが重要な役割を果たすが,詳細は別の機会に述べたい。
里山は,農業生産の拠点としてだけではなく,災害発生時の避難場所としても機能させられる。現在の里山の荒廃の原因の一つは,住民の高齢化と人口減少に伴って獣害が多発し,農業生産を妨げていることである。里山の人口が増加し,里山の手入れが進めば,獣害の発生が抑えられると期待できる。また,里山が保全されることによって,隣接した里海に栄養が供給され,海の生態系も守られる。
近年の研究では,自然環境の破壊とそれに伴う生物多様性の喪失が今回のような感染症の流行の背景になっているとの報告[9]もある。 このような観点から,里山・里海の環境保全は食料問題だけでなく,感染症の危険を回避するためにも重要であると考えられる。
(3)食料問題の包括的解決と循環型経済モデルへの移行
人が安心して生活するためには,食衣住の確保が必須である。日本では先に述べた食料自給率の低さの問題がある一方で,食べられずに廃棄される食品(フードロス)は平成29年度(2017年度)で年間612万トンにのぼる[10]。フードロスの発生を減少させるためには,これまでの「大量生産・大量消費・大量廃棄」という経済モデルを見直す必要があると考えられる。この経済モデルは食料だけに限らず,他の消費物資についても適用されている。この経済モデルは,汚染された環境を復元するための隠れたコストまで含めて考えると,地球規模でのグローバルエコノミーの最適化には貢献していない。
したがって,今後は環境に負担をかけない経済モデルに切り替える必要がある。そのための有力候補が「循環型経済モデル」[11]である。この経済モデルは持続可能な世界をつくるための必要条件は満たしていると思われる。金融業界も,環境問題を解決し持続可能な社会を実現することに強い関心を持っている。いわゆるESG投資である[12]。このように,経済の世界でも新しいパラダイムに移行しつつある。
また,食料が廃棄される国がある一方で,飢餓に苦しんでいる国も多数存在する。日本での食の確保と同時に,世界全体での食の充足を考えることは,倫理上の問題だけでなく安全保障上も重要であろう。たとえば,テロ発生の背景には,貧困(目標1)と飢餓(目標2)の問題が存在するからである
(4)地方への機能分散に伴う障壁の緩和
人々が地方都市や里山に住むことに抵抗を感じるとすれば,その主な理由のいくつかは,収入と子供の教育環境であろう。収入に関しては支出とのバランスで考えるべきであり,先に述べた循環型経済モデルの採用がプラスに働く可能性は高い。
教育環境に関しては,遠隔教育の普及により,時と場所を選ばずに学習できる環境が提供できるので,以前より大幅に改善されたと考えてよい。テレコンファレンスシステムを使えば,遠隔地にいる教師や他の学生との対話やグループワークも可能である。
人々が地方都市や里山に住むことに抵抗を感じうる他の理由は,人間関係の難しさや閉そく感ではないかと思う。この問題を解決するためには,移住先の先住者と移住者の間でのコミュニケーションが重要であるだけでなく,お互いが共有できる新しい価値をつくり出す(Creating Shared Value)必要がある。そのプロセスの中で,多様な価値観が認められるオープンな環境をつくり出すことが重要である。未来のコミュニティは,若年の健常者だけでなく,障害者や高齢者も心地よく生活できる環境であるべきで,現代社会が抱える複雑な課題の解決につながる。
もしこれが困難な場合には,新しいコミュニティをつくってしまうのも良いアイデアかもしれない。トヨタは,先進技術実証都市「コネクティッド・シティ」を静岡県裾野市に設置することを発表している。2021年に着工の予定とのことである[13]。 その気になれば,新しい都市をつくることも不可能ではない。自動車の自動運転は移動手段の確保のために誰にとっても重要な役割を果たす。
また,アウトドア用品のメーカの中には,「おうち」指向の製品開発を開始したところもある[14]。アウトドア用品を普段から使用していれば,普段の生活の中で遊び心が満たされるだけでなく,大規模自然災害が発生した場合のサバイバルにも役立つので,レジリエントなコミュニティの構築につながると期待できる。
もちろん,全ての産業がテレワークに移行できるわけではない。現場での仕事が必要なエッセンシャルワークも多数存在する。たとえば,医療,介護,環境,製造業,農業,漁業,運輸などヒトやモノを対象にするビジネスである。これらの産業については,機械学習(いわゆる人工知能)とロボットの技術を導入することによって,効率化と省力化をすすめる必要がある。この方策は,ソサイエティ5・0の方向とも整合性が高い。
未来のあるべき姿を思い描いてそれを達成する方法を考えるとき,SDGsは強力なツールになる。まず,17の目標と169のターゲットという共通の言葉を使って,コミュニケーションが行える。さらに,課題を俯瞰してあるべき未来の姿のイメージを明確にし,バックキャスティング思考を駆使して,中間目標を設定するという戦略的アプローチを採用しているからである。
これらの目標を達成するためには,ハード面での方策とソフト面での方策の両方が必要になる。ハード面での方策は,ICTや機械学習などの最先端技術を駆使して人間の負担を軽減することである。また,ソフト面での方策は,私たち自身が困難な課題と取り組むことによって気付きを得て,変容していくことである。
KCGグループは,2019年に設立された「関西SDGsプラットフォーム」[15]に加盟し,SDGsの達成への貢献を表明している。KCGグループでのSDGs活動は,サステイナブル・オープンイノベーション・センター(SOIC)を中心にして行われている。KCGグループでのSDGs活動の特徴は,社会規模の課題の解決にKCGグループの得意分野である情報通信技術(ICT)を用いてどのように貢献するかという視点で活動を行っていることである。このような視点を持つことにより,個別の課題解決だけでなく,SDGsの目標9(産業と技術革新の基盤をつくろう)という,産業と技術の分野でのイノベーション創出にも貢献できる。
現在われわれが直面している課題である,ウイルスや抗体検査の効率化,土砂災害の危険予知,交通インフラの保守点検の効率化,農業の高度化と獣害対策,循環型社会を機能させるためのトレーサビリティの確保など多くの分野で,ICTが活用されている。KCGグループとしては,これらの応用技術の開発に貢献するとともに,これらの分野で活躍する人材の育成に尽力していきたいと考えている。
教育におけるICEモデルの適用およびアクティブラーニングの導入に際しては,京都情報大学院大学副学長の土持ゲーリー法一教授からさまざまなアドバイスをいただいた。ここに深謝いたします。
1 高精度衛星測位システム(RTK-GNSS)基準局の受信アンテナ
RTK-GNSS基準局は,GPSなどの測位用人工衛星からの信号を受信して電波の揺らぎを計測し,これを用いて基準局の周辺で使われているカーナビなどの移動局の位置の測位誤差(従来の方法では10メートル程度)を数センチに修正するための補正情報を提供します。この写真は,合同会社KKラボ様と共同で京都コンピュータ学院京都駅前校の屋上に設置したRTK-GNSS基準局で使われているアンテナです。銀色の円盤は直径30センチほどの大きさで,地表で反射された衛星からの電波を吸収するためのシールドです。中央の白いトンガリ帽子のようなものは,アンテナの受信部を雨や雪から守るための保護用キャップです。
2 RTK-GNSS基準局のサービス範囲
本学に設置されたRTK-GNSS基準局は緯度・経度・高度が既知なので,測位用衛星で発信された電波が基準局に届くまでの時間の揺らぎによって,成層圏および対流圏での電波の伝播時間の遅延を実測できます。この値が測位情報の補正に使われます。この技術を用いることによって,農業用車両(トラクター・田植機・コンバインなど)や土木工事用車両の無人走行や運行管理などが実現できるので,農業や土木工事などの効率化と人手不足の解消が可能になります。
同じ衛星からの電波の伝播時間の遅延は,基準局から10キロほどの距離の範囲ではほぼ同じ値になるので,基準局で得られた補正情報は,基準局から10キロの範囲内の移動局の位置の補正に利用できます。この図は,この基準局のサービス提供範囲を示しています。KCGグループは合同会社KKラボ様と共同で,RTK-GNSS技術の普及を目的として,位置補正のための情報を無償で公開しています。このような非営利目的で運用されている基準局は,「善意の基準局」と呼ばれています。