デジタル化が進展することで,世の中でいろいろな変革が起きています。デジタルトランスフォーメーションという言葉もよく聞くようになってきました。デジタルトランスフォーメーションにより,店舗や工場の効率化はもちろんのこと,移動や物流の効率化,都市のスマート化などが進展しています。企業はもちろんですが,政府,自治体,大学などでもデジタル化による経営管理とオペレーションの変革が進められています。
デジタルトランスフォーメーションの本質は,デジタルの力を借りて,これまでのやり方を変革し,新しい仕事の進め方を導入するとともに,新しい文化を創り上げていくというところにあります。この変化を支えているのが,情報処理そしてITですが,デジタル化とそれを支える技術だけを考えるのでは十分ではありません。本稿では,情報処理そしてITがこれからの時代に取り組むべきことについて考えるとともに,人が豊かに生きる社会を創造するために必要なことについて議論したいと思います。
技術の進化がデジタルトランスフォーメーションを可能にしていることは間違いありませんが,その裏には社会的要請があることをしっかり認識しておくことが必要です。その一つが少子高齢化の進展です。日本では労働人口の急速な減少が進みます。その中で,これまで以上に安心・安全でかつ暮らしやすい社会を創るためには,世の中の効率を徹底的に上げていくことが必要です。日本の国土面積は変わりませんので,より少ない人数でインフラの維持管理を進めるとともに,地域の安全や防災に対応していくことも必要となります。デジタル化を進めた上で,AIやロボットを有効に活用し新たな展開を行うことが不可欠になると考えられます(図1)。
高齢化社会のもう一つの課題が,健康寿命と平均寿命の間のギャップです。人生100年時代と言われていますが,男女とも両者には大きなギャップがあります。データのある2016年でみると,男性の平均寿命は80.21歳,健康寿命が71.19歳で,9.02年のギャップが,女性の平均寿命は86.61歳,健康寿命が74.21歳で,12.4年のギャップがあります。国の予算に占める医療費の負担が大きいことを考えると,健康寿命の延伸もこれから社会が全体で取り組むべき課題であると言えます。技術が進歩したことにより,ヘルスケアへの取り組みも進化してきています。これまでは病気への対応,いわゆるメディカルケアが中心でしたが,未病ケアや病気の予防を含め,生涯にわたるヘルスケアが考えられるようになってきました。個人ごとに様々なデータが取れるようになりました。病気への個別化対応(personalized medicine)はもちろんですが,ヘルスケアに関しても個人が自分のデータを管理し,健康増進に取り組むことができるようになってきました。これらのことについては,経団連から出されている提言〝Society 5.0時代のヘルスケア〟が参考になります(図2)[1]。ヘルスケアは個々人が自主的に取り組むことが必要ですので,一人ひとりがいかに意識を高めて取り組むかが重要なポイントになります。
グローバルに目を向けると,解くべき課題の見え方は変わってきます。今,地球の人口は75億人を超えています。2050年までに地球全体では約3割の人口増が見込まれています。これからは南アジアやアフリカの新興国で人口増とともに都市化が進みます。2050年までに,全世界で都市に住む人が2倍近くに増えることが予想されています。都市に住む人のほうが,エネルギーや水など多くのリソースを使って生活をするようになります。食糧消費も多くなると考えられます。この結果,食料,エネルギー,水などのリソースの需要が2倍近くに増えることが予想されています。我々の住む地球は一つしかなく,本当にこれらの需要増に対応できるかは疑問です。社会全体で取り組むべき課題も顕在化してくると予想されます。(図3)
気候変動の問題も顕在化し始めています。日本でも豪雨や台風による激甚災害が毎年のように起こるようになってきました。グローバルには森林火災や海水面の上昇がより深刻な被害をもたらし始めています。多くの人が,地球が一つしかない問題を自分事として考え,活動し始めています。若い世代を中心にグローバルなムーブメントになっている“気候のためのスクールストライキ”が代表例です[2]。国連が2015年に定めたSDGs(Sustainable Development Goals)にも多くの人が注目しています(図4)。 SDGsでは誰一人取り残さない(No one leave behind)ということが謳われていることも注目されます。SDGsには17のゴールとともに169のターゲットが具体的な数値目標を伴って設定されています。グローバルにどんな課題が設定されているかを知る意味でも,一度この169のターゲットに目を通しておくことが重要だと思います。外務省から日本語の仮訳が出ており,参考になります[3]。169のターゲットのうち,政策や制度による解決が不可欠なものもありますが,かなりのものが革新的な技術やイノベーションによって解決できると考えられます。ITやAIを活用した社会の効率化や安心・安全の強化に積極的に取り組んでいくことが大切です。
グローバルには,SDGsの議論が進んでいますが,日本では,これからの社会をSociety 5.0と定義して,その実現に向けた検討が進められています。Society 5.0は,平成28年(2016年)1月に閣議決定された,第5期科学技術基本計画[4]の中で提起されたもので,現在では,経団連も積極的にプロモートしています。Society 5.0の実現に向けた取り組みが官民一体となって進められているのです。
Society 5.0は,狩猟社会,農耕社会,工業社会,情報社会に次ぐ社会で,図5にあるように,
■サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させることにより,
■地域,年齢,性別,⾔語等による格差なく,多様なニーズ,潜在的なニーズにきめ細かに対応したモノやサービスを提供することで経済的発展と社会的課題の解決を両⽴し,
■人々が快適で活⼒に満ちた質の高い生活を送ることができる人間中心の社会
と定義することができます。このうち,最初のサイバー,フィジカル空間の高度な融合は,まさにこれからの技術の進展のことを言っています。GAFA(Google, Amazon, Facebook, Apple)が,特にサイバー空間のプラットフォームを握っているとの議論が進んでいます。一方で,私たちが住む現実世界のデジタルトランスフォーメーションはこれからであり,その目指すところがスマートシティであるとも言えます。デジタルの力で,私たちの社会をいかに豊かにするかがチャレンジになります。実世界を含めた次の展開で日本が競争優位なポジションに立つことも十分に可能と考えられます。
SDGsの議論でも触れたように,社会的課題の解決がグローバルに求められています。社会課題の解決をしっかり進めるためにも経済的な発展を伴って社会が進化していくことが必要です。サステナブルな社会をどう構築していくかを常に考えることが求められています。格差なく多様なニーズに応えるために重要なのが,Diversity & Inclusionです。ダイバーシティの議論では,よく女性比率とか外国人比率ということが議論されますが,それは外形的な指標にすぎません。何より大事なことは,違いを認めてそれを包摂する(Inclusionする)ことです。この議論をするときに,私がいつも引用するのが,金子みすゞさんの「私と小鳥と鈴と」という詩(図6)です。最後の“みんなちがって,みんないい。”がDiversity & Inclusionの本質を言い当てていると思います。SDGsのNo one leave behindにもつながります。多様な価値観を受け入れて共存することが,より良い社会の実現,より豊かな人生につながるのだと思います。
最後が,“人間中心の社会”を創るということです。Society 5.0は第5の社会ですが,その前の狩猟社会は2万年,農耕社会は2千年,工業社会は2百年続きました。情報社会は70年前後かと思います。大きな社会の変化は画期的な発明や技術革新によって引き起こされます。鉄器の創造,内燃機関の発明,トランジスタと計算機の発明などがそれにあたります。社会の変化の間隔が短くなっていることは,技術革新のスピードが加速度的に速くなっていることに起因していると考えられます。それではSociety 5.0の時代は短いのでしょうか? それは私たち人間の意志に係わっていると思います。2045年にAIの能力が人間の知性を超えるシンギュラリティが来るという議論があります[5]。技術の進展に対し人間が無策に従うだけだと,シンギュラリティ以降,AIやロボットが主体になる社会が来ないとも限りません。そこで我々が強い意志を持って人間中心の社会を創るということが重要になります。AIやロボットは私たちを支援し,能力を拡張してくれるものととらえ,適切に使っていくことが大切です。そうすることによって人が豊かに生きるSociety 5.0の時代が長く続くことになると思います。
情報処理・ITはもとより技術開発を行っていると,どうしても性能向上に目が行きがちですが,サステナブルで豊かな社会を創るためには,視点を変えて考えることも必要です。AIの活用が喧伝されていますが,AIを活用しながら人がより人らしく生きるにはどうするかということを,まずは考えるべきです。図7に示されるようにAIは知識に基づく論理的な処理が得意です。多くの定型業務にAIを活用することで業務の圧倒的な効率化を進めることができます。デジタル化を背景に多くの企業で導入が進むRPA(Robotic Process Automation)による業務効率化がその典型的な例になります。一方で,人は知性に優れ,感性を活かして新しいものを創造します。こういった特性を考慮すると,AIやロボットを活用して定型業務を徹底的に効率化し,人が自由に使える時間を増やすよう仕事の進め方を見直すべきです。そして人は自由になった時間を創造的なことに使うべきです。多くの失敗をしながら難しい問題にチャレンジすることが重要になります。失敗を許容しチャレンジを推奨するといった組織文化を作ることがあわせて求められます。
一人ひとりが,自らが得意とするものを明確にし,そこで個々人が積極的にチャレンジすることがこれからは求められます。心身ともに健康な状態を保ち,Well-beingな暮らしを皆が送るためにも,それぞれが前向きにいろいろなことに取り組むようにすることが大切です。多様なものへのチャレンジを可能にするには,Diversity & Inclusionへの意識を皆で高め,多様性を受容する社会を創っていかなければなりません。偏差値社会が典型ですが,多様な能力を一つの尺度で測ることには限界があり,歪みも生じさせます。データを扱う能力が高まっていますので,多様な考えと尺度を包含する社会を創っていくことが技術的には可能になってきていると思います。意識・文化を変えることを含め,新しい社会の構築に皆でチャレンジしていくことが求められます。
前半でSDGsのことに触れましたが,持続可能な社会を創ることへの意識を高めることも不可欠です。エネルギー効率を上げる,グリーンエネルギーを使用する,より低消費電力なものを率先して使用する,食料廃棄をなくす,人工培養肉や昆虫食など環境負荷が少ない食料に目を向ける,プラスチックの使用を抑えるなど,日々の生活で我々個々人が取り組めることもたくさんあります。エネルギーや物資の地産地消の促進,遠隔会議・遠隔授業・行政の電子化など電子的な手段の採用の徹底などにより社会システムを変革し,エネルギー効率の良い社会を創ることもチャレンジになります。新しい社会システムをデザインし,それに対応して私たち市民も意識を変革していくことが必要です。これらのことを可能にするには技術的なブレークスルーも不可欠であり,将来を見据えた研究開発にしっかり取り組んでいくことも重要になります。
社会の急速な変化の背景には,テクノロジーの指数関数的な進化があります。まずは指数関数的進化の凄さについて考えたいと思います。「小麦とチェス盤」という寓話があります。王様から褒美を与えると言われたチェス盤の発明者が,ひとマス増えるごとに小麦を倍にして渡してほしいと要求します。その結果を示したのが図8です。世界中の小麦を集めても,この要求に応えることはできません。半導体の高性能化とそれに伴う情報関連技術の進展はいまだにムーアの法則によって進んでいます。このことの凄さをもう一度意識し直すことが重要です。コンピュータ,通信の能力は,20年間で10万から100万倍に高性能化しています。これが世の中を変革する源泉になっているのです。私たち人間は,ものごとをリニアに見がちです。情報系の性能はエクスポーネンシャル(指数関数的)に向上します。10年も経つと,私たちの想像をはるかに超えたことが実現されます。このことを意識して,将来の社会をデザインしていくことが必要になります。
もう一つ重要なことは,技術の進化を理解した上で,その時に人としてなすべきことを明確にすることです。AIの進展に伴ってデータの活用が重要になっています。質の良いデータを使って解析を行うこと,データの共有化と適切な流通を図ること,AIの活用について社会の理解を深めること,AIから導き出された結果に関しての説明性を担保すること,プライバシーに配慮することなどが重要になります。適切な法制度やガイドラインの整備,社会の受容性を高めるための市民対話等も重要になります。広くはELSI(Ethical, Legal and Social Issues)問題とも言われます。科学技術だけでは世の中の問題を解決できないことが明確になってきました。科学と政治・社会を分けて考えることが難しく,両者が交錯する領域が大きくなってきたと認識されるようになりました。この領域は,トランス・サイエンスの領域(図9)[6]とも呼ばれ,「科学に問いかけることはできるが,科学では答えることのできない問題」からなる領域とも定義されます。トランス・サイエンスの領域には賛否双方の意見があり,合意形成は簡単ではありません。研究・技術開発に携わる者のみならず,一般市民の感覚を取り入れながら,技術あるいは製品開発のあり方について考えることも重要になっています。このために,市民対話を行いながら合意点を探るコンセンサス会議が行われるようにもなっています。市民の立場では,AI,データサイエンスなど最新の科学技術の進展に目を向け,関連する内容の基礎的理解(リテラシー)を高め,より良い社会の実現に向けた展開へのサポートを行うことが重要になっています。
研究開発成果を実用化につなげるまでに,死の谷,魔の川と呼ばれる障壁があります。国からの研究開発予算が付いた国家プロジェクトにおいても,実証実験までを行って社会実装につながらないケースが数多く見られます。この問題を解決するためには,イノベーションのプロセスとエコシステムの変革をしていくことが不可欠になっています。過去,ものづくりで日本が競争力を発揮していたときには,性能の良いものを安く提供すれば,ビジネスでの成功につながりました。いわゆるリニアモデルによるアプローチです。社会課題の解決と新しい価値提供を行うという新しいタイプのビジネスにおいても,従来のマインドセットが残り,現場の課題を真に知ることなく,仮説をベースに高性能なものをつくって提供するというパタンがまだ多く残っているように感じます。このようなテクノロジーアウトでリニアモデルによるアプローチでは実用化にまでつなげきることは困難です。最初から市民やエンドユーザと会話をして課題の本質を理解し,事業化に必要なすべてのステークホルダを含めたエコシステムを構築して研究・技術開発を進めること(最適なイノベーションエコシステムを構築すること),目指すゴールを明確にし,常にエンドユーザからフィードバックをもらい,柔軟に目標を修正しながら開発を進めること(イノベーションプロセスを変革すること)が必要になっています。これまで以上に,多様なメンバーと共創することが不可欠です。技術的なバックグラウンドを持たない社会科学系の人材によるイノベーションへの寄与も大きくなってきています。豊かな社会を創る取り組み自体が,多くの人による共創であり,進め方そのものが新しいチャレンジになります。
技術の進歩が激しくなっている中で,最先端の情報を入手する場として,また新しいつながりをつくる場として学会がこれまで以上に重要な役割を担えると考えています。私が会長を務める情報処理学会[7]は,1960年に設立され,今年が還暦にあたります。情報処理学会は創立以来これまで,発展を続ける情報分野で指導的役割を果たすべく活動をしてきました。学会はこれまでは学術色が強く,大学や研究機関,企業の研究所のメンバーが主に会員になっていました。これまで述べてきたように社会の変革に情報処理の果たすことができる役割は大きく拡がりました。イノベーションのプロセスが変わり,その関係者も多様になっています。学会の果たすべき役割も多様化し,より大きくなっていると感じています。学会により多くの方々に価値を見出していただき集っていただけるよう,学会自体も積極的にトランスフォームすべく施策を打ち始めています。
学会への参加者を拡げる施策の一つがジュニア会員の増強です。情報処理に興味を持つ人に広く門戸を開こうとする施策で,既に小学生の会員も誕生しています。人生100年時代には,常に学び直しが必要ですので,情報処理のバックグラウンドではない人にも参加しやすい学会になることも検討したいと思います。
小学校からのプログラミング教育の推進,生徒一人一台の端末の配布,大学入試科目への情報の導入の検討など,情報教育が広く展開されようとしています。一方で,情報を教える人材が大幅に不足することが懸念されています。情報に関する高い知見と豊富な経験を有しながら,既にアカデミアや産業界の第一線を退かれた方が多数いらっしゃいます。こういった方々が,情報教育に関われるようサポートをすることも,これから学会として検討すべき重要な内容と考えています。
学術的に情報処理分野に取り組んでいる人数に比べ,情報処理やITの現場導入を進められている方は,けた違いに多いことは間違いありません。こういった方々にも,学会に目を向けていただき,情報共有,さらには新しいイノベーションに一緒に取り組んでいければと思っています。多くの方に実際に学会に加入いただき,一緒に学会のトランスフォーメーションにチャレンジいただけると幸いです。
技術の急速な進展を背景にデジタルトランスフォーメーションが各所で活発に進められています。社会課題の解決に取り組むことも重要になっています。情報処理やIT,さらにはデータ,AIは,これらの取り組みを進める上で核となるものです。技術の進化が指数関数的で,私たちの想像をはるかに超えて進むことを意識しながら,一方で人の果たすべき役割を明確にして対応を進めることが重要になっています。学会の活用も意識しながら,関連する皆さんがイノベーションに向けた最適なエコシステムを作り,より良い社会の創造に一緒に取り組んでいくことが望まれます。本稿が,皆さまにとって新しい取り組みを考え,次なる行動につなげる一助となることを願って,本稿を閉じます。