大原,貴船に静寂を求め,嵯峨野,錦で喧騒に身を置く―。授業開講のため2019年6月に来日した京都コンピュータ学院(KCG)専門教育科目担当・京都情報大学院大学(KCGI)教授のニッツァ・メラス先生が,講義予定のない一日を利用し,京都市内を散策した。アキューム編集部が同行取材し,その様子をお伝えする。題して「ニッツァ・メラス教授の京都案内」。初めて訪れる場所や,来日するたびに立ち寄るという街を楽しげに歩く先生の姿からは,KCG・KCGIのホームグラウンド京都への深い愛着がうかがえた。
最初に訪問したのは京都市左京区の「天台宗京都大原三千院」。京都市北東部の山里にある三千院は,寺務所によると最澄が比叡山延暦寺建立の際,草庵を結んだのに始まる。天台宗五箇室門跡の一つで,皇子・皇族が住職を務めた宮門跡だ。寺地は比叡山内,洛中と移り,寺名も変わったが,明治維新後には現在地に定まり,1200年の歴史を刻み続ける。
「阿弥陀三尊像」(国宝)が納まる往生極楽院を中心とする寺域は,四季折々の花,緑,紅葉などが鑑賞できる大原を代表する観光スポットだ。ニッツァ先生は初めての三千院訪問。この日は梅雨間近ながら朝から好天に恵まれ,杉木立の間には抜けるような青空が広がる。開園前の境内には観光客の姿もなく静寂が支配。ニッツァ先生の表情もすがすがしそうだ。
往生極楽院横の坂を上がり,「紫陽花苑」へ。三千院の「あじさい祭」は始まっているものの,まだ少し時期が早く,青色が中心という苑内のアジサイは五分咲き程度。「(アジサイは)カナダ,ギリシャにもあります。たくさんの色がありますよ」と言うニッツァ先生は,アジサイに顔を近づけたりカメラのファインダーをのぞいたりしながら「ビューティフル」「ナイス」を連発。控えめに咲く洛北のアジサイの風情が心をとらえたようだ。
三千院の観光写真で紅葉とともに目にする苔の庭では,足元に気をつけながら池をのぞき込む。朝の時間帯は忙しそうな僧侶たちも,ニッツァ先生周辺の華やかな雰囲気に目を奪われていた。
次に訪れたのは洛北に位置する貴船。三千院から車で20分ほど走ると,新緑がまぶしい京の奥座敷に到着だ。鞍馬山と貴船山に挟まれた渓谷を鴨川につながる貴船川が流れ,川沿いの府道両側には「川床(かわどこ)」で知られる料亭が立ち並ぶ。ニッツァ先生は貴船の料亭街に来たことはあるが,その中ほどにある「貴布禰総本宮貴船神社」には今回初めて足を踏み入れた。
貴船神社は水の供給をつかさどる「高龗神(たかおかみのかみ)」が御祭神。朝廷のほか農漁業や醸造業など水に縁のある人々も多く参拝する歴史ある神社だ。本宮社殿前の石垣からは貴船山の湧き水「御神水」があふれ出る。これまで一度も枯れたことがないという。貴船は通常「きぶね」と読むが,清らかな水がにごらないようにと,神社の公式な呼称は「きふねじんじゃ」だそうだ。
ニッツァ先生は,府道わきにある二の鳥居からやや急な参道を上って本宮の境内へ。左右に赤い灯籠が並ぶ自然石87段の参道を,足元を確かめながらゆっくりと進んだ。上りきったところで振り返ると,貴船川が見下ろせ,その向こうには新緑の鞍馬山。ニッツァ先生も山深い神社から眺める渓谷美を楽しんだ。
手水舎で一般参拝者に交じりニッツァ先生もお清め。水に触れた際には「冷たい!」と言いつつ笑顔を見せる。参拝の後は「御神水」に浸けると文字が浮きあがる「水占いおみくじ」を試した。現れた文字は「小吉」だった。
せっかくの貴船なので,昼食は川床で京料理をいただくことに。選んだ店は,料亭街の入り口近くにある「料理旅館べにや」。「川床料理」の提灯が下がる玄関は情緒たっぷりで,ニッツァ先生もまずは緋毛氈(もうせん)の縁台に腰かけにっこり。大広間の横を通り抜けると貴船川岸に降りることができ,川には対岸まで渡した床に座敷がしつらえてある。べにやの川床は200人まで収容という貴船でも最大の規模。ニッツァ先生が座ったのは,広々とした川床の最も上流に近い席だ。
この日は6月としては高温だったが,「京都市中より10度低い」ともいわれる川床だけあって,清流からの風も涼しい。川床は手を伸ばせば水面に届くほどで,さわやかな空気に包まれた座敷に落ち着いたニッツァ先生。午前中は多めに歩いただけに,ほっとした表情を見せる。興味津々の様子で先生の方をうかがうご婦人グループとも笑顔で会釈を交わしていた。
お昼の献立は先付け,前菜,造りに始まり「アユの塩焼き」「生湯葉」「琵琶ます・野菜天ぷら」「絹巻そうめん」などと続く「夏の川床会席」。ニッツァ先生は「風が気持ちよく,おいしく食べられた。アユも苦くなかった」と完食。「でも,食べ過ぎて眠くなってしまった」といたずらっぽい笑みを浮かべる。味,雰囲気ともに貴船の川床を満喫した様子だった。
ニッツァ先生が次の訪問場所に選んだのは,京都の代表的観光地の一つでもある嵯峨野の竹林。嵐山の渡月橋などは訪れたが,嵯峨野の竹林は見たことがなかったという。貴船から約50分で,観光客がごった返す嵯峨野・嵐山エリアに到着。嵯峨野の竹林はJR山陰本線(嵯峨野線)・嵯峨野観光鉄道(トロッコ列車)の線路両脇に広がる。その中でも人気がある「竹林の道」がお目当てだ。
竹林の道は,線路の南側を東西に延びる約200メートル。源氏物語「賢木の巻」に登場する「野宮神社」と,往年の映画俳優大河内伝次郎が築いた庭園「大河内山荘」間の細い道の両側には,背の高い竹がうっそうと生い茂る。京都の代表的観光スポットだけあって世界各国からの観光客が多く,中にはロシア語でやりとりする写真取材クルーも。外国人女性が全く珍しくない風景だが,ニッツァ先生の華やかさは格別とみえ,多くの人が振り返る。先生はその間を笑顔ですいすいと進み,まるで人の多い観光地を楽しんでいるかのよう。竹林の中に足を踏み入れることのできる場所では,両手で竹の感触も確かめた。
「ニッツァ・メラス教授の京都案内」最後のスポットは,京の台所「錦市場」。四条通の一本北の錦小路通のアーケード街390メートルに,京都の旬の食材や京野菜,京漬物など百数十軒の店がずらりと並ぶ。幅3.5~5メートルの細い道に,日常の買い物客と内外の観光客が肩が触れんばかりにひしめき合い,客を呼び込む声が飛び交う喧騒の極致だ。
錦市場は,来日のたびに訪れるというニッツァ先生大のお気に入り。何回くらい?と伺うと,先生は「Many Many Times!」。さらに「お漬物が大好きなの」とにっこり。市場内を歩き始めると,興味ありげにそれぞれの店をのぞき込み,さっそく乾物屋の黒豆茶売り場で試飲を勧められた。箸専門店では各地の塗り箸を手に取り,傘屋で赤の番傘を差してみる。漬物屋では奥まった場所にある試食コーナーへまっすぐ進み,慣れた様子でいくつかの京漬物に手を伸ばす。確かに,こちらへの来店は1度や2度ではないように見えた。
最後に立ち寄ったのは酒屋。ニッツァ先生は,店頭の試飲販売で小さなプラスチックのおちょこを使って味を確かめた後,純米大吟醸の四合瓶をお買い上げ。「カナダに持って行くのよ」と満面の笑みを見せた。大好きな錦市場のひと時を満喫し,この日の京都散策の幕を閉じた。