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Accumu 最新号・Vol.28

KCGの原点「京都ソフトウェア研究会」で学んだ

古市 宏子さん(大阪府高槻市在住)89歳

「京都ソフトウェア研究会」で学んだ古市 宏子さん KCGの原点「京都ソフトウェア研究会」で学んだ古市 宏子さん。そのとき学んだことを思い出し,いま自宅でパソコンと向き合ってワクワク感を味わっている(2021年10月29日,大阪府高槻市の自宅)

長谷川繁雄先生,靖子先生は,私の人生を光らせてくださった
ソフトウェアって「軟らかい衣類」のことかとの勘違いが…

これから始めようとする講座を手伝ってくれませんか

3人の子どもを乳母車にのせ,百万遍(京都市左京区)近くにあった市場へ夕飯用の買い物に行く途中,その看板を目にした。「編み物下手の私でも,ここで習えば,この子たちに新しい服を着せてあげられるかしら」。夕飯の支度にはまだ時間がある。勇気を出して扉をくぐってみた。すると,京都大学卒という二人の先生が笑顔で迎えてくれ,それまで聞いたこともないような単語を並べながら説明を始めた。NASA? ハードウェア? そして「これからの社会はコンピュータが大きく変えていきます」と。「あれ,間違えたみたい…」。「京都ソフトウェア研究会」は,「軟らかい衣類」作りを教えてくれる場所ではなかった。ただ,あまりに熱心な説明に,数学や物理が嫌いではなかった自分が,次第に引き込まれていったのも事実。「でもやっぱり違う,迷惑を掛けてはいけない」。帰ろうとしたら子どもたちが隣の部屋でケーキをほおばり,ジュースでノドを鳴らしてご満悦の表情を浮かべていた。いずれも食べ盛りの男の子。うちの普段のおやつでは到底ありつけないご馳走だ。帰るに帰れなくなってしまった。どうしよう,と思っていたらこう言われた。「これから始めようとする講座の出欠簿の管理や集金を手伝っていただけませんか。講義は聞いてください」。その機械語のおもしろかったこと。私が勘違いしていたとお二人は分かっていたはず。そして,あまり深くは考えずとっさに返事をしてしまったのかもしれない。「よろしくお願いします」。それから私とコンピュータのお付き合いが始まった。でもつくづく思う。この勘違いと安請け合いはお笑い種だけど,長谷川繁雄先生,長谷川靖子先生との出会いは,私の人生を楽しく,豊かなものに変えてくれた。お二人には,ただただ,感謝の気持ちでいっぱいです。

「京都ソフトウェア研究会」の看板 「京都ソフトウェア研究会」の看板

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京都コンピュータ学院の創立者で,初代学院長の長谷川繁雄先生(故人)と,現学院長の長谷川靖子先生は1963年,わが国最初のコンピュータ教育機関である「FORTRAN研究会」を発足させ,京都大学の学術研究者を対象に「電子計算機プログラミング講習会」を開催した。1966年には「京都ソフトウェア研究会」と改称。受講対象を関西各大学の研究者,企業研究者らにも拡大し,各種アプリケーションの講習も実施した。その後「京都ソフトウェア研究会附属京都電子計算機学院」への改称を経て,1969年の全日制「京都コンピュータ学院」設置に至る。高等学校卒業者に対するわが国最初の全日制情報処理技術専門教育課程 情報処理科・情報科学科を設置した。

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黒板での発表は和服の袂を押さえながら

「研究会に通っている間,子どもはどうしよう」。古市宏子さんは近くに住む夫人に相談したところ「そんな楽しそうなところ,ぜひ行きなさい」と背中を押された。3人を預かってくれるという。「先生ご夫妻は京都大学出身。それにきっと優秀な方たちと一緒に学ぶことになるのだろう。せめて恥ずかしくはないようにしよう」。そう思って格好だけでもと,和服を着込んで通うことにした。大学や企業の研究者,高校の先生方がクラスメートだった。「FORTRAN」や「アセンブラ」といったプログラミング言語について学び,それらの言語を用いて問題処理の流れを書く。この作業がプログラミングである。教室前にある黒板で発表を求められることもあり,和服の袂(たもと)を押さえながら頑張った。「面白くて,面白くて仕方ない」。学んでいる時間はいつも,あっという間に過ぎた。

試験では,高校で学んだ解析の記憶から標準偏差をテーマにした。プログラムをFORTRANで書き,それをアセンブリ言語にする。そしてさらに機械語に変換して,それらの言語処理が可能な機械に読み込ませる。靖子先生が「古市さんのだけ通った(できた)わよ」と笑顔で教えてくれた。うれしかった。近くのビルにある大型コンピュータの見学にも行った。壁いっぱいの威厳ある姿,赤や緑のランプがあちこちで点滅している。「自由に使っていいよ」と言われたが,ただただうっとりと眺めていただけ。「これからの社会はコンピュータが大きく変えていきます」。先生が言われた通りに,その後50年間で情報社会が実現した。

研究会で味わったワクワク感が再び

銀行員だったご主人の転勤で,京都から高槻に引っ越すことになった。研究所に通って約半年,あまりに急な出来事だった。「お二人にちゃんとご挨拶もできないまま,ずっと気に掛けていました」。子育てに介護が加わり,コンピュータや「京都」とは疎遠に。「でも教えていただいた技術と知識は,いつかきっと役に立つだろうとは信じていました」。それからかれこれ10年が経過した。その間中,自分でコンピュータの本を勉強して,ひとつひとつ吸収していくのが私の日課となった。

夫が勤続30年の慰労金を受けることになった。「何を買おう」。しばらく前からポケットコンピュータで家計簿のプログラミングを楽しんでいたのを見ていた夫は「コンピュータはどうかな。そんなにプログラミングが楽しいのなら,本物でやってみては」。程なく真新しいコンピュータが机に居座った。

京都で味わったワクワク感が再び。ポケットコンピュータや英文タイプをたしなんだ経験がモノをいい,瞬く間にブラインドタッチ。京都で学んだ「FORTRAN」の知識が少しずつよみがえり,BASICにはすんなり入り込めた。よし,三角関数をやってみよう。高校のとき0点を取ってしまった悔しさをコンピュータで晴らすのだ。プログラムを打ち込むと,分度器や定規による手描きでは到底なし得ない図が展開されていく。自分の干支・申(さる)の絵が見事に出来上がった。いろんな和服の文様作りにも挑戦。指が弾む,顔がほころぶ。文様を浮かび上がらせてくれたパソコンを,思わず撫でていた。その後もExcel,一太郎などパソコンの活用幅は広がる一方だった。

プログラミングで描いた「日本の文様」 プログラミングで描いた「日本の文様」

手紙,そして再会。神様はいらっしゃるに違いない

親友の画家から,思いがけず長谷川靖子先生の消息を聞いた。私の高校時代からの友人の弁護士が,大学時代からの友人として,いろいろな会合で靖子先生とご一緒しているというではないか。京都駅近くに大きなビルを構え,コンピュータの専門学校を開いていると聞いた。学校のホームページなどを見て,靖子先生が多くの情報処理技術者を育て上げてきたことや,コンピュータのさまざまな世界でご功績を挙げられていることなども知った。懐かしい,ぜひお会いして,お礼も十分に言わず京都を離れたときのお詫びをしたい,そしていま私がコンピュータとともに最高の人生を送っていることの感謝をしたい。手紙を書こう。

靖子先生へのお手紙に同封した出会いの日の手描きイラスト(古市さん作) 靖子先生へのお手紙に同封した出会いの日の手描きイラスト(古市さん作)

「あのときのご縁,ご厚志は忘れたことがありません」。「あのとき」から半世紀が過ぎてしたためた文は,こう書き出し,まず無沙汰を詫びた。「この歳になって靖子先生のご消息を知ることができるとは,神様がいらっしゃるに違いないと心から思います」。

続く感謝の言葉は次々と。50年以上も前の「あのとき」に技術を丁寧に教えてくださる授業が殊のほか楽しかったこと,最先端のコンピュータを間近に見る機会を与えてくださったこと。その後,いまのパソコンと向き合いながらの出来事を書き始めたら筆は止まらなくなってしまった。でもだって本当に楽しいのだ。

自作の「日本の文様」を手に,楽しかった日々を話してくださった 自作の「日本の文様」を手に,楽しかった日々を話してくださった

靖子先生と直接会う機会も得られた。コンピュータはファンタジーの世界。長谷川繁雄先生,靖子先生,「京都ソフトウェア研究会」は,専業主婦である私の人生を光らせてくださった。もう一度勉強し直して,あのワクワク感を味わいたい。そして京都コンピュータ学院へ行ってみたい。