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銀幕のクリスマス革命―山下達郎『クリスマス・イブ』(1983年)と映画『君は僕をスキになる』(1989年)

京都情報大学院大学
長谷川 功一

はじめに

戦後の日本では,クリスマス・イブは長い間,家族や子どもための行事であったが,1980年代後半に恋人たちのイベントに変わったことはよく知られている。このクリスマスの祝い方の変化を,本稿では「クリスマス革命」と呼ぶことにする。やや大げさな表現ではあるものの,4,5年の比較的短い期間で進行して定着したと思われるので,「革命」という表現を使用してみたい。そして,このクリスマス革命を促した文化的な要因の一つとされるのが,そのころにヒットした山下達郎の『クリスマス・イブ』というポップソングである。1988年から放送が始まったJR東海のテレビ・コマーシャルに起用されてヒットし,クリスマスを恋人たちの聖夜に変えるのに貢献したのである。

『クリスマス・イブ』によるこのクリスマス革命の推進は,当時の世相の有名な一断面であるが,この曲が日本のクリスマス映画(クリスマス・イブを主要な場面のひとつとして描いた映画)でも同様のことを行ったことは知られていない。『君は僕をスキになる』(1989年 渡邊孝好監督)という映画のクライマックスで,山下達郎の曲がイブの夜に成就するヒロインの恋を盛り上げる役目を果たしているのだが,この場面を境にして日本映画のクリスマス描写が変化し,恋人たちのクリスマスがスクリーンに根付く契機になったからである。本稿では,『君は僕をスキになる』のこの場面に着目して,山下達郎の『クリスマス・イブ』が日本のクリスマス映画の展開にも影響を与えたことを明らかにしてみたい。

1. 1980年代後半のクリスマス革命

クリスマスに限らず,映画における季節の行事などの描写を考える際には,現実の社会におけるそれらの様相も考慮に入れる必要がある。そこで最初に,日本人が戦後,クリスマス・イブをどのように過ごし,それがどのようにしてクリスマス革命に至ったのかを確認しておきたい。

20世紀後半における日本人のクリスマス・イブの過ごし方は,次の三つの時期に区分できる。1948年頃から1950年代にかけての時期,1960年頃から80年代前半にかけての時期,そして,クリスマス革命の起こる1980年代後半以降である。

日本人がクリスマス・イブを季節のイベントとして楽しく過ごすようになったのは1948年からといわれ,この年から1950年代末までは,イブの集いが開かれたり,男女がダンスホールで踊ったり,大勢で盛り場に繰り出して夜通しばか騒ぎなどをする時期であった1。例えば1954年のイブでは,深夜零時までに銀座に90万人,新宿に40万人,浅草に30万人,渋谷に10万人の人出があったと記録されている2

この時期のクリスマスのばか騒ぎについて,日本社会における宗教と儀式の関係を研究する石井研士は,敗戦後の社会の荒廃と占領統治下での生活からの国民的な反動という性格を認めている。「当時のクリスマスのランチキ騒ぎは皮相な社会現象などではなかった。それは戦後の荒廃からの立ち直りと自信の回復,戦前からの国による統制や節制への強烈なしっぺ返し,豊かなアメリカ文化への憧れ,そうしたものがないまぜになって生じた集団的沸騰であった」と石井は評している3

1957年まで続いたこの聖夜のばか騒ぎは58年になると急に沈静化し,60年代に入るとクリスマスは家庭行事に変わっていった。父親はケーキやシャンペンを買って家路につき,家庭でイブを過ごす人が増えたのである。イブの銀座も1960年にはまだ混雑していたが,年を経るごとに減少していき,東京オリンピックが開催された1964年にはかなり減少したという4

このクリスマスの家庭志向はその後定着して,1970年代から80年代前半までは,クリスマスは家族で楽しむイベントになった(1973年のオイルショックがこの傾向を強めたとの指摘もある)。石井研士はこうした家庭志向を高度経済成長と歩調を合わせた動きであると捉え,「幸せの形態がマイホーム主義や私生活主義へと変化していったときに,クリスマスも盛場から家庭行事へと移行していったのである」と記している5

主に家庭行事だったクリスマスは1980年代後半から様相を大きく変え始め,子どものいる家族にとっては依然として家庭行事ではあったものの,若者たちが豪勢に過ごす一夜のイベントという性格を強めてきた。本稿でいうクリスマス革命の進行である。

特に首都圏でのイブの過ごし方が豪華な祝祭であったことが記録されている。若いカップルは高級レストランで食事をし,男性が女性に高価なプレゼントを贈り,その後に高級ホテルに宿泊するという過ごし方が流行になった6。東京の湾岸地帯やディズニーランド周辺の高級ホテル,あるいはスキー場の大型リゾートホテルでは,イブの夜は,一泊35万円の「ロイヤルスイート」や執事サービス付きの37万5千円の部屋も含めて,若者の予約で2カ月前,時にはお盆前にすべて満室になった。また,一日のレンタル料が6~10万円もするフェラーリやベンツなどの高級外車も,イブの日にはすべて貸し出された。新聞では「ヤングらホテルXマス」,「Xmas狂騒曲 今宵はだれと イブの街角」などと報じられ,ホテル担当者が「今は若い人がお金持ち。豪華なクリスマスを楽しんでおられます」と発言するような時代になった7

このようにクリスマスは戦後期の酒場でのばか騒ぎで始まり,経済成長によって社会が安定・豊かになるにつれて家庭行事になり,1980年代後半からは若いカップルが年に一度,豪勢に過ごす特別な夜に変わってきたのであるが,それでは,この80年代後半のクリスマス革命はどのようにして起こったのであろうか。背景には,いわゆるバブル経済が若者たちにももたらした金銭的余裕が当然あったわけだが,それをクリスマス革命へと導いた文化的な要因を次節で見ていきたい。

2. クリスマス革命の文化的要因

1980年代後半にクリスマス革命を促した文化的要因として挙げられているのが,山下達郎の『クリスマス・イブ』,女性シンガー・ソングライターの草分け的存在である松任谷由実のヒット曲『恋人がサンタクロース』,そして,若者向け雑誌のクリスマス特集の記事である。

まず『クリスマス・イブ』であるが,この曲は,来ないはずの相手を待っている1人きりのクリスマス・イブの心象風景を歌ったもので,1983年に発売された山下達郎の通算7枚目のスタジオ録音アルバム『MELODIES』の中の1曲として発表された。山下達郎自身が「作詞,作曲,編曲,演奏,歌唱,そして録音」のすべてが「うまく調和」した自分の「ベストソング」として挙げるクリスマスソングである(彼の最大のヒット作でもある)8。現在でも1番人気のクリスマスソングであり,朝日新聞が2020年11月に実施した,事前に用意した38曲のクリスマスソングのリストから「聴きたいクリスマスソング」を読者に選んでもらうアンケート調査で1位になっている9

この『クリスマス・イブ』がクリスマスソングとして優れている要因として,その曲構成が指摘されている。山下はこの曲の創作意図を,ヨハン・パッヘルベル(17世紀に活躍したドイツのバロックの作曲家)のカノンをアカペラで間奏に入れたかったからだと語ったことがあるが,クラシック音楽評論家の青澤隆明は,そのカノンが「バロックふうの和声」であることから「どこか自然とクリスマスのイメージを引き寄せた」ことと共に,カノンが間奏において,山下達郎1人によるアカペラの多重音声によって表現されることで,クリスマスのイルミネーション・舞い降りる雪・シャンパンの泡のような輝きやきらめきのイメージを,ある種の儚さも伴って放っていると指摘している10。カノンを下敷きにしたことが,クリスマスソングとしての成功に結び付いた要因のひとつだったのである。

クリスマス・イメージの喚起力に満ちたこの『クリスマス・イブ』が,すでに指摘したように,JR東海のテレビCMを通してクリスマス革命を促していった。歌の内容は1人きりで過ごすクリスマス・イブであるが,CMでは遠距離恋愛中の男女が新幹線の駅で再会する場面を劇的に盛り上げる曲として使われ,恋人たちのクリスマスのイメージと強く結びついて評判になった。このCM起用に合わせて曲もヒットし,発売から6年後の1989年にオリコン・シングルチャートで1位を獲得した11

JR東海のCMは,1987年に発足したJR東海が会社の知名度アップと東海道新幹線の利用促進を目的に始めたキャンペーンで,遠距離恋愛の2人が新幹線を使って週末に会い,日曜日の夜には別れるという「シンデレラ・エクスプレス」から始まって,「新幹線を舞台としたさまざまなドラマのシーン」を描いた各種の「エクスプレス・キャンペーン」を1992年まで展開した。それらの中でもっとも成功したのが,1988~92年に放送された「クリスマス・エクスプレス」のシリーズである12。そこに込められたメッセージは,「クリスマスは一番大切な人と過ごそう」13であった。

「クリスマス・エクスプレス」のCMは計5本制作されたが,特に最初の2本が優れたテレビCMであったという評価が定着している。1988年の第1作は(これはその前のシリーズ「ホームタウン・エクスプレス」の「クリスマス篇」として制作されたが,実質的に「クリスマス・エクスプレス」シリーズの第1作として位置付けられている14),山下達郎の『クリスマス・イブ』が流れるなか,女優の深津絵里が深夜,新幹線のホームで恋人の到着を不安そうに待つが,乗降客の人混みが消えても彼の姿が見えない,そこに柱の陰から恋人がブレイクダンスで現れるという趣向のCMである。キャッチフレーズは「帰ってくるあなたが 最高のプレゼント」である。

翌年の2本目のCMは,恋人の乗った新幹線の到着に遅れそうになった女優の牧瀬里穂が,プレゼントを抱えたまま,人にぶつかりながら駅構内を必死に急ぐというCMで,キャッチフレーズは「ジングルベルを鳴らすのは 帰ってくるあなたです」である。この2本目はシリーズ中でも特に好評で,雑誌『広告批評』の「1990年広告ベストテン テレビCMベストテン」で,「山下達郎の音楽とかれんな牧瀬の思いが一つのレールに重なって,都会の若者の心をジンとしめらせた」と評価されて7位に入っている15

以上のCMの制作経緯を考える際に重要なのは,これらが山下達郎の『クリスマス・イブ』から着想されていることである。担当ディレクターは1本目の絵コンテを描いている段階から,「このCMを盛り上げる曲は『クリスマス・イブ』しかない」と当初から起用を決めていたと証言しており,この曲のイメージに導かれてCMが構想されたことがうかがえる。2本目の制作でも,様々なクリスマスソングを聴き比べた上で,やはり『クリスマス・イブ』しかないとの結論になっており最終的には5本全てで使用されることになった16。これらのCMには,『クリスマス・イブ』という音楽のイメージの視覚化という性格が濃厚に認められるのである。

こうして山下達郎の音楽はJR東海のCMを通して,クリスマス革命を推し進めることになった。CMを制作した広告会社の関係者は,このように回想している。

イブの日のシティーホテルはどこも若いカップルで満室になり,高級レストランは1年前から予約しておかないと席が確保できないという驚くべき現象が巻き起こった。それまで子供たちがプレゼントをもらい,家族一緒にケーキを食べる一家団欒の行事だったクリスマスを,年に一度の「恋人たちの特別な日」に変貌させてしまったのである。メディアはこれを“クリスマス・エクスプレス現象”と名付けた17

山下達郎の曲とともに,クリスマス革命を促したとされるのが,松任谷由実のヒット曲『恋人がサンタクロース』である。この曲は1980年12月発売の松任谷由実のアルバム『SURF&SNOW』に収録され,シングル発売はされなかったものの,当時の人気アイドル歌手の松田聖子がカバーし(1982年発売のアルバム『金色のリボン』所収),また,挿入歌として使われた映画『私をスキーに連れてって』(1987年 馬場康夫監督)のヒットによって広く知られるようになった18(映画の中では,この曲は,スキーヤーたちが多彩なアクションを見せながらゲレンデを滑降するという,イブの恋愛とは無関係の場面で使われている)。この映画のヒットをきっかけにスキーブームが起こったが19,ゲレンデでは『恋人がサンタクロース』がよく流されていたという20。先述の朝日新聞によるクリスマスソングのアンケートでは3位に入っていて,山下達郎の音楽と共に人気のクリスマスソングとして定着した曲である(2位は『きよしこの夜』)21

『恋人がサンタクロース』は,クリスマスソングといえば『きよしこの夜』,『サンタが街にやってくる』,『ホワイト・クリスマス』などの定番曲しかなかった時代に,松任谷由実が「ロックチューン」で試しに作った曲であったが22,そこで提示されたクリスマス像は新しかった。若い女性の恋人がクリスマス・イブにサンタクロースのように現れて,彼女を永遠に連れ出す様子が,女の子の視点からおとぎ話のように歌われているのである。従来の家庭行事としてのクリスマスとは異なる聖夜のイメージである。

この『恋人がサンタクロース』のヒットが1980年代後半のクリスマス革命を促したことは,ネット上の投稿からうかがえるほか23,松任谷由実の曲を聴きながら青春期を過ごしたエッセイストの酒井順子も,彼女の音楽全般が若い女性の考え方に影響を与えていたことを指摘したうえで,次のように述べている。

クリスマスに恋人達がデート(と,セックス)をするという習慣が日本においていつ頃始まったのかは定かではありませんが,バブル期には「若者たるもの,クリスマスはそうせねばならぬ」という強迫観念すらあったものです。そして私はそんなブームを形成するのに,この歌は大きな役割を果たしたのだと思う24

ここまで山下達郎と松任谷由実(愛称ユーミン)のヒット曲がクリスマス革命に寄与したことを確認してきたが,2人の人気ミュージシャンによる世相の変化は当時の映画にも反映されている。4話構成のオムニバス映画『バカヤロー!3 へんな奴ら』(1990年)の「クリスマスなんか大嫌い」(山川直人監督)のエピソードでは,若い女性が「年に1回のクリスマス,恋人たちのための日なの。ユーミンや山下達郎だって,みんなそう言ってるんだよ!」と宣言して,クリスマスの日の新たな出会いに胸を高鳴らせている。このエピソードは,商店街の親父たちによる手作りクリスマスの大盛況を通して,都心の派手なクリスマスやその高級化路線を揶揄するものだが,こうした内容の映画が作られること自体,この時期のクリスマスが一部の人々には鼻持ちならないほどに豪勢になっていたことを物語っている。

クリスマス革命の3番目の要因が,若者向け雑誌のクリスマスの特集記事である。評論家の堀井憲一郎は,1970年創刊の若い女性向け雑誌『an・an』と翌年創刊の『non‐no』が女性のレジャー文化の枠組みを70年代から拡げていき,この流れに乗って,1983年12月発売の『an・an』が「今夜こそ彼の心(ハート)をつかまえる!」というクリスマス特集記事を載せ,女性から積極的に男性を誘ってイブの夜を共に過ごしましょうと呼びかけ,クリスマスの「ロマンチック革命」の呼び水になった可能性を指摘している。若い男性向けの同種の記事は4年遅れて,1987年に『POPEYE』と『Hot-Dog・PRESS』がそれぞれ「クリスマス 今夜こそ決めてやる!」と「12月24日に恋を実らせる クリスマス計画準備開始」という特集を掲載し,男性がイブのデートを成功させるための情報・マニュアルを紹介している。これらの雑誌は以後,恋人たちのクリスマス特集を毎年掲載するようになり,クリスマス革命の啓蒙役を果たしたとされる25

このように,1980年代に入って新たに発表されたクリスマスソングや雑誌の特集記事が80年代後半のクリスマス革命の文化的要因であったことが指摘されているが,メディアと現実の関係はそれほど一方向的な作用ではなく,もっと相互的なものだったはずである。ある広告批評家が当時,「現実をイメージがふくらまし,そのイメージに乗って現実が増殖していく」と述べていたように26,実際に起こっていたのは,若者が楽しむイブという時代の流れから音楽・CM・雑誌記事が生まれる動きと,逆にそれらがそうしたクリスマスのイメージをさらに強調・拡大させる動きの相互作用だったと思われる。本稿では,そうした相互作用のなかでも『クリスマス・イブ』という音楽による影響に焦点を当て,その作用が日本映画の領域にまでおよんでいたことを議論している。

3.『クリスマス・イブ』による銀幕のクリスマス革命

前節までに,戦後から1980年代前半までのクリスマス・イブの祝い方と80年代後半のクリスマス革命の様相を見てきたが,次に戦後の日本映画におけるクリスマス描写の変遷を検討したい。注目したいのは,山下達郎の『クリスマス・イブ』が実社会でのクリスマス革命を促したように,スクリーン上でも同じ変化をもたらしたと考えられることである。

戦後に最初に確認できるクリスマス映画が『醜聞 スキャンダル』(1950年 黒澤明監督)である。ある有望な青年画家(三船敏郎)と歌手(山口淑子)が雑誌に事実無根のスキャンダルを書き立てられたために裁判を起こすが,訴訟を請け負った弁護士(志村喬)が役立たずで,裁判の成り行きも不利になる。自分の無能さを自覚し,それを呪ってもいるこの弁護士は,クリスマス・イブに,画家と歌手の二人が結核にかかった自分の娘のために開いてくれたお祝いに顔を出すことができずに,パーティで盛り上がる酒場に顔を出して悲嘆にくれる。この盛り場でのばか騒ぎは当時のイブの過ごし方を反映しているが,演出的な見地に立てば,クリスマスの祝祭性は弁護士の絶望感をより深めて際立たせる役割を果たしている(最後に彼は自分の弁護士生命と引き換えに裁判に勝利する)。

この『醜聞 スキャンダル』のように,別の不幸の輪郭を際立たせるためのクリスマス・イブという演出は,以後のクリスマス映画にも共通している。『まごころ』(1953年 小林正樹監督)では,ある女性が婚約者といっしょに結核の妹のためにクリスマスを祝うが,この一夜限りの幸せは,近づく彼女の死という不幸を逆に予感させるものになっている。『二階の他人』(1961年 山田洋次監督)では,安月給のサラリーマン夫婦が持ち家の二階をある夫婦に間借りさせるが,実は彼らは会社の金を持ち逃げした保険外交員とその愛人であった。クリスマスの夜,2人は銀座で飲み騒いだ後,両手いっぱいにプレゼントを抱えて帰宅すると,家主夫婦を強引に誘って,飾り付けされた二階の部屋で躍り騒ぐ。この奇妙な行動から,家主夫婦は2人が心中するのではないかと危惧するが,翌日彼らは警察に自首する。このイブのばか騒ぎは,追いつめられた人間の自暴自棄の行動だったのである。

こうした不吉な予感をたたえたクリスマスの描写はSF映画ではさらに誇張される。『ブルー・クリスマス』(1978年 岡本喜八監督)は,謎の宇宙光線(UFOとの遭遇)によって,血液がブルーになる人間が世界各地で続出するという映画であるが,彼らは人類にとって異分子とされ,イブの夜に一斉虐殺が開始される(ナチスによるホロコーストと重ねられている)。その任務を日本で遂行する主人公の軍人(勝野洋)は,青い血に変わってしまった恋人(竹下景子)の殺害を命令され,クリスマスケーキを用意して自宅で待つ彼女を射殺し,直後に自分も軍に殺される。イブの雪景色は一瞬にして,青と赤の2人の血液の色に染まる。

また,『戦場のメリークリスマス』(1983年 大島渚監督)に出てくる二度のクリスマスも死と結び付けられている。戦時中のジャワ島の捕虜収容所でのクリスマスでは,英国人捕虜(デビッド・ボウイ)が生き埋めの刑に処され,戦後の日本でのクリスマスでは,軍事裁判で死刑判決を受けた日本人軍曹(ビートたけし)の刑が執行される。

以上,確認できたクリスマス映画の数は多くはないのだが,その範囲では,クリスマスは家族が平和に楽しみ,恋人たちが睦まじく過ごすイベントではなく,その祝祭性が逆に不幸な現実を際立たせるものとして使われている点で共通している。

こうした1980年代前半までの映画におけるクリスマス描写は,実社会のクリスマス革命の後を追うように1990年代から変化するのだが,そのきっかけになった映画が1989年11月に公開された『君は僕をスキになる』である。この映画において,それまでとは異なるクリスマス像が登場し,そして,その描写の変化を促したのが山下達郎の『クリスマス・イブ』なのである。

『君は僕をスキになる』は「一年の中で一番大切な〈クリスマス・イブ〉がこの映画のテーマです!!」(宣伝チラシ)と宣言し,クリスマス・イブをヒロインの恋が成就する奇跡の夜として描いた最初の日本映画である。当時人気のあったアイドル歌手の斉藤由貴とお笑い芸人の山田邦子を主人公にしたコメディ風の恋愛劇で,2人が同じ男性を好きになり,そこに別の男性もかかわってきて,4人が恋の駆け引きに明け暮れるが,イブの夜にはどちらの恋もうまく成就するという「シンデレラ・ストーリー」,「単純にクリスマスのすてきな恋のお話し」(脚本の野島伸司)27である。

この『君は僕をスキになる』のイブが日本映画初の奇跡のかなう聖夜なのであるが,この場面を劇的に盛り上げているのが山下達郎の音楽である。斉藤由紀は,好きな男性が山田邦子とも同時につきあっていると誤解し,イブの夜のデートにも行かないと決めた。だが,約束の時間が過ぎてから気持ちが変わり,会いに行こうと決心する。彼女がマンションを出るタイミングで,主題歌の『クリスマス・イブ』がかかる。雪が降り始め,傘をさして走る。駅のホームでは思いつめた表情で立ち,車内からは雪の舞う夜を見つめながら,彼がまだ待っていることを信じて祈る。山下達郎の音楽はヒロインの行動に寄り添うように流れ,不安と期待で高ぶる彼女の感情と重なりながら,それを鮮やかに表現していく。最後はタクシーで駆けつけると,彼はベンチで雪をかぶりながら待っていた。ようやく自分の想いを告白するヒロイン。彼女のロマンスは『クリスマス・イブ』が盛り上げた雰囲気に包まれて結実する(山田邦子の恋の進展も並行して描かれているが,こちらはそれほど劇的ではない)。

映画の場面の情感を高めるこのような音楽を,映画研究家ミシェル・シオンは,「その感情的劇的雰囲気を際立たせる」ための「感情移入的音楽」(強調は原文)と呼び,「登場人物の感情に,直接関与し,それに同調して震え,それを抱擁し,それを延命させ,増幅する場合だ」と説明している(対照的なのが,悲しい場面に流される陽気な音楽のように,「補足的意味,時として反対の意味」をもたらす音楽である)28。山下達郎の『クリスマス・イブ』は,シオンの言葉通りにヒロインの心情に同調しながら,それを観客に生き生きと伝達しており,その起用が成功した「感情移入的音楽」の一例であると言える。

このように日本映画で初めて描かれた,願い事(ロマンス)がかなう奇跡の夜としてのクリスマス・イブは,山下達郎の『クリスマス・イブ』を伴って演出されているのだが,注目したいのは,音楽の側からこの場面が着想されていることである。プロデューサーの市村朝一は『クリスマス・イブ』からラスト・シーンをイメージし,そこから映画全体を構想したことを次のように述べている。

一方で,山下達郎の『クリスマス・イブ』という曲があって,クリスマスにむけて恋愛ものをやりたいというのがあったんです。山下さんの『クリスマス・イブ』はシーズンになると一週間で10万枚以上セールスするという大ヒット曲で,CFに使いたいという申し込みが後を絶たないが,いっさいOKしなかった。それを口説いて主題歌として使うことができることになった。これで柱ができた。で,ラスト・シーンから作っていったんです29

映画公開の前年からJR東海のCM放送が始まっていて,実社会ではクリスマス革命がすでに進行中であったが,この発言からうかがえるのは,映画の世界でも『クリスマス・イブ』というポップソングが介在することで,恋人たちの夜としてのクリスマス・イブが描かれたことである。この場面は一見すると,当時の世相の反映にしか見えないのだが,そこで流れる山下達郎の曲がただのBGMではなく,恋人たちのイブを日本映画に導入するという役割を果たしていたことを見落としてはならないのである。

4.銀幕のクリスマス革命以後の日本映画

恋愛成就をイブの奇跡として描いた映画『君は僕をスキになる』以後,日本のクリスマス映画は変化する。まず制作本数が増加している。筆者の確認できた範囲内では,『君は僕をスキになる』以前のクリスマス映画がわずか5本であるのに対して(敗戦時から数えて44年の期間),それ以後が17本であり(2020年までとして31年の期間),3倍以上に増えている。

さらに重要なのはクリスマス描写の変化である。『君は僕をスキになる』以後のほとんどのクリスマス映画は,不幸を際立たせるためのクリスマスという以前の描写には戻らず,この映画で提示された奇跡の夜としてのイブを描いているのである。

例えば『7月24日通りのクリスマス』(2006年 村上正典監督)の聖夜は,山下達郎の音楽こそ流れないものの,『君は僕をスキになる』のイブ同様の奇跡の夜である。ある地味な女性が憧れの男性の心を射止めようと,女性雑誌を参考に大変身,イブの日,誤解から去ろうとしている彼を,坂道の多い長崎の街を走りまわって探し続け,最後にようやく出会えると電飾ツリーの前で結ばれる。「今日はクリスマス・イブ,好きな人といっしょにいる日だよ」という劇中のセリフは,クリスマスは恋人たちのものという考えがすでに共通認識になったことを示している。

他のクリスマス映画でも,イブは恋愛や他の願い事がかなう奇跡の夜になっている。二人の女性がクリスマスにタイムスリップの輪廻から脱出する『未来の想い出 Last Christmas』(1992年 森田芳光監督),ホワイトハウス前のクリスマスツリーの下で女性が想いを寄せていた男性(病死した姉の元夫)と最後の抱擁をする『大統領のクリスマスツリー』(1996年 奥山和由監督),事故死した人気ホストが最後に生きかえってツリーの下で女性と結ばれる『恋は舞い降りた。』(1997年 長谷川康夫監督),雪の舞うイブの夜に子どもが心臓手術を無事に乗り切る『クリスマス・クリスマス』(2004年 山口博樹監督),別れた男女の一瞬の再会が無数のろうそくの輝きのなかで実現する『大停電の夜に』(2005年 源孝志監督),好きだったのに病死した女の子の生まれ変わりかもしれない女性に,男性が20年後に出会う『スマイル 聖夜の奇跡』(2007年 陣内孝則監督),幼少時から超常現象を信じたがっていた若い女性が最後にUFOと出会える『曲がれ!スプーン』(2009年 本広克行監督),ちょっとしたすれ違いから仲違いしてしまったカップル・男女・父と子の和解が起こる『すべては君に逢えたから』(2013年 本木克英監督),1人の女性が同時に交際していた2人の男性が最後にホテルの前で鉢合わせ(奇跡?)してしまう『イニシエーション・ラブ』(2015年 堤幸彦監督)の映画である。

以上のクリスマス映画は『君は僕をスキになる』の明快な恋愛劇とは異なって,複数の(時にはお互い無関係の)男女の組み合わせの話が同時進行する複雑な展開が多いのだが,共通しているのは,恋愛などの願い事がかなう特別な夜がイブであるという認識であり,その場面がクライマックスになっていることである。

全てのクリスマス映画が聖夜の奇跡を描いているわけではなく,イブでも奇跡の類が起こらない映画や30,クリスマスでにぎわう都会を背景に警察と犯罪者が対決するサスペンス映画もあるものの31,総体的に見れば,日本のクリスマス映画が奇跡の夜としてのイブを依然として好んでいることに変わりはない。

こうした銀幕のクリスマス像の源泉が依然として山下達郎の音楽にあることは,『MIRACLE デビクロくんの恋と魔法』(2014年 犬童一心監督)という映画に端的に表れている。この映画のイブの場面は『君は僕をスキになる』と同工異曲で,山下達郎の『クリスマス・イブ』が雰囲気を盛り上げるなか,男性主人公が小雪の舞う夜を空港に向けて走り,出国寸前のヒロインに愛を告白して結ばれている。このクライマックスが,「これは例の山下メロディをここぞという場面でフィーチャー。凄い盛り上がりで一切文句ありません」,「定番の音楽とともに,収まるべき所に収まってメデタシメデタシと相成る」と評されていて32,山下達郎の音楽とイブの奇跡が当然の組み合わせとして受け取られているのである。山下達郎の曲が一番人気のクリスマスソングである限り,こうした想像力にも大きな変化は起こらないのであろう(あるいは,日本人のクリスマス観が変化するとき,この曲が1位の座から落ちるのであろう)。

このように戦後から21世紀にかけての日本映画のクリスマス描写は,何らかの不幸な現実を際立たせる要素から,ロマンスなどの願いがかなう夜へと変化しているのだが,この変化を初めて確認できるのが『君は僕をスキになる』という映画なのである。この平凡な出来の恋愛映画に日本映画の流れを変えるような影響力があったとは思えないものの,クリスマス・イブの描写に限れば,この映画の前後でそれが決定的に変化していることも事実なので,その意味では,この作品は日本のクリスマス映画の転換点に位置していることになる。そして『君は僕をスキになる』のクリスマス描写が山下達郎の『クリスマス・イブ』に喚起されたものであったことを考慮するならば,この曲は,1980年代後半のクリスマス革命をスクリーンにも導入し,銀幕におけるクリスマス革命を促した曲としても捉えられるのである。

おわりに

映画は歌謡曲・流行歌と関係が深いメディアで,主題歌がヒットした,あるいは,ヒット曲から着想されたいわゆる歌謡映画は数多くある。山下達郎の『クリスマス・イブ』を主題歌として制作された『君は僕をスキになる』もそうした映画の一つであるが,美空ひばりや石原裕次郎の著名な歌謡映画とは異なって,この映画と主題歌との関係が注目されたことはこれまでなかった。本稿では,1980年代後半のクリスマス革命の要因の一つであった山下達郎の『クリスマス・イブ』が,『君は僕をスキになる』のクリスマス描写の変化も促したことに着目して,この音楽が奇跡の夜としてのイブを日本のスクリーンにも導入する役割を果たしたことを検討してきた。これまで指摘されることのなかった,著名なポップソングと日本映画との関係性である。

  1. 堀井憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス―なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』講談社現代新書,2017年,167-175頁。
  2. 石井研士『日本人の一年と一生―変わりゆく日本人の心性 [改定新版]』春秋社,2020年,118-119頁。
  3. 『日本人の一年と一生』,120頁。
  4. 『愛と狂瀾のメリークリスマス』,190-192頁。
  5. 『日本人の一年と一生』,121-122,126頁。
  6. 都築響一『バブルの肖像』アスペクト,2006年,40-48頁。
  7. 『毎日新聞』1988年12月25日,『朝日新聞』1990年12月21日,『讀賣新聞』1990年12月24日。
  8. 「新連載対談 有働由美子のマイフェアパーソン③ クリスマス・イブがベストソングです 山下達郎シンガー・ソングライター」『文藝春秋』2019年4月号,216頁。
  9. 『朝日新聞』2020年12月19日。
  10. 青澤隆明「ひとりきりのカノン―山下達郎の『クリスマス・イブ』」『medici.tv. JAPAN』。
    https://medicitv.jp/Review/Aosawa_review/L8OaZ 2022年5月8日アクセス。
  11. 『朝日新聞』2020年12月19日。 このチャート1位について,山下達郎は次のような感想を述べている。「幸運の一語に尽きます。古今東西,数百のクリスマスソングの中からこの曲が選ばれたおかげで,それまでいわゆる隠れた人気曲だったものが,一気にブレイクしたのですから。89年に遂にチャート1位になった時は,まったくキツネにつままれたような気分というのが正直な気持ちでした」(三浦武彦・早川和良『クリスマス・エクスプレスの頃』日経BP企画,2009年,105頁)。
  12. 中村明彦「東海道新幹線をテーマとしたTVCMキャンペーンの歩み」『JR gazette』2004年11月号,13-15頁。森彰英『「ディスカバー・ジャパン」の時代―新しい旅を創造した,史上最大のキャンペーン』交通新聞社,2007年,201-203頁。
  13. 『クリスマス・エクスプレスの頃』,68頁。
  14. 『クリスマス・エクスプレスの頃』,100頁。
  15. 『広告批評』1990年12月号,マドラ出版,21頁。
  16. 『クリスマス・エクスプレスの頃』,104-105頁。
  17. 『クリスマス・エクスプレスの頃』,16-17頁。
  18. 岡本勉『1985年の無条件降伏―プラザ合意とバブル』光文社新書,2018年,146-147頁。
  19. 『1985年の無条件降伏』,146-147頁。
  20. 『朝日新聞』2020年12月19日。
  21. 『朝日新聞』2020年12月19日。
  22. 「ユーミン『恋人がサンタクロース』を反省「社会の呪縛になった」」。
    https://www.excite.co.jp/news/article/Techinsight_20161216_329320/ 2021年12月4日アクセス。
  23. 『恋人がサンタクロース』によるクリスマス革命の証言は以下のサイトに投稿されている。 「恐るべし松任谷由実,クリスマスを恋愛イベントに変えてしまったこの曲!」 「クリスマスプレゼントといえば親から子供へ贈るものであって,女性誌だってクリスマスプレゼントの特集を組むこともなく,その手の企画はバレンタインデーのものだったはずだ。それを一変させたのは,やはり『恋人がサンタクロース』だろう。」
    https://reminder.top/706376071/
    「ひとりぼっちの恨み節? バブル期に怒りを持って放たれた『クリスマス・イブ』」
    「恐らくこの曲が「クリスマス=恋人のために男の甲斐性を見せる日」との定義付けをしたのだろう。ユーミンの人気と共に,それはじわじわと広まっていった。
    ユーミンの『恋人がサンタクロース』はシングルカットされなかったが,まるで恋人とのクリスマスを推奨するかのように絶えず街中で流された。」
    https://reminder.top/487859836/
    「樅山 敦の歌謡曲が流れるBARBER 松任谷由実『恋人がサンタクロース』」 「それまでは家族や宗教的イベントだったクリスマスが,あの有名すぎる錆の歌詞でもって恋人と過ごすものという風潮になった。クリスマスが,若者や恋人にとっての一大イベントへとチェンジしたきっかけになった楽曲なんだ。この頃から,クリスマスイヴのシティホテルはカップルで一杯になり予約が取れない状態が続いた。」
    https://archive.mensnonno.jp/special/momiyama2019/2019/11/30/209/
    いずれも2022年1月24日アクセス。
  24. 酒井順子『ユーミンの罪』講談社現代新書,2013年,103-104頁。
  25. 『愛と狂瀾のメリークリスマス』,207-226頁。
  26. 『広告批評』1989年1月号,13頁。
  27. 『キネマ旬報』1989年11月下旬号,67,70頁。
  28. ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』川竹英克,J.ピノン訳,勁草書房,1993年,169-172頁。
  29. 『キネマ旬報』1989年11月下旬号,66頁。
  30. 『8月のクリスマス』(2005年 長崎俊一監督),『大洗にも星はふるなり』(2009年 福田雄一監督),『夜明けの街で』(2011年 若松節朗監督)などの映画である。
  31. クリスマス・イブに警察と爆弾魔が対決する『交渉人 真下正義』(2005年 本広克行監督)や『サイレント・トーキョー』(2020年 波多野貴文監督),イタリアを舞台に日本人外交官と誘拐犯との駆け引きを描く『アマルフィ 女神の報酬』(2009年 西谷弘監督)などの映画では,クリスマスは凶悪犯罪の脅威にさらされる社会の側の平和・豊かさ・無辜のシンボルになっている。
  32. 『キネマ旬報』2014年,12月下旬号,123頁。
参考文献
  • 石井研士『日本人の一年と一生―変わりゆく日本人の心性 [改定新版]』春秋社,2020年
  • 岡本勉『1985年の無条件降伏―プラザ合意とバブル』光文社新書,2018年
  • 酒井順子『ユーミンの罪』講談社現代新書,2013年
  • 都築響一『バブルの肖像』アスペクト,2006年
  • 堀井憲一郎『愛と狂瀾のメリークリスマス―なぜ異教徒の祭典が日本化したのか』講談社現代新書,2017年
  • 三浦武彦・早川和良『クリスマス・エクスプレスの頃』日経BP企画,2009年
  • ミシェル・シオン『映画にとって音とは何か』川竹英克,J.ピノン訳,勁草書房,1993年
  • 森彰英『「ディスカバー・ジャパン」の時代―新しい旅を創造した,史上最大のキャンペーン』交通新聞社,2007年
  • 『朝日新聞』,『毎日新聞』,『讀賣新聞』,『キネマ旬報』,『広告批評』,『JR gazette』,『文藝春秋』

※本稿の初出は『比較文化研究』第148号(日本比較文化学会,2022年7月)である。

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長谷川 功一
Koichi Hasegawa
  • 1966年札幌市生まれ。
  • 北海道大学工学部卒業後,日本放送協会(NHK)勤務を経て,ペンシルバニア州立大学修士課程,北海道大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。
  • 現在,京都情報大学院大学教授。専門は映画研究。

上記の肩書・経歴等はアキューム28号発刊当時のものです。